全ては神の御心のままに
シルファも料理店に通い詰めていたけれど、他の迷惑イケメンのように口説かれることはなかった。
彼の場合、ファンが厄介だったのだ。
料理店が嫌がらせを受けていた頃、深夜に店内を物色する人影を見つけてしまい、大家の元へ逃げ込んだことがある。
恐怖の一夜を過ごし、翌日になって確かめたところ、家財は一切盗まれていなかった。
では、もしや暴行目的で……と当時のチナミは青ざめたものだが、後々の調査でシルファのファンの仕業ということが分かった。
しかも犯人が吐いた動機は、『魔女という噂が本当なら神官長様には相応しくないから、物的証拠を探していた』というもの。
今思い返してみても、令嬢達が流した噂のせいで散々な目に遭っている。
忘れたい過去を頭から振り払うと、チナミは盲目的ファンの多い神官長を見据えた。
アーケアとダリクスに続き、シルファまで。
――本当に偶然? こんなことってある……?
偶然もここまで続くと怖くなってくる。
シルファの視線がこちらを向いた瞬間、チナミの背筋はなぜか一気に粟立った。
「これはこれは。チナミさんに、ルドウィンさん。王都を遠く離れこのような地で会えるとは、何という偶然でしょうか」
シルファが嬉しそうに相好を崩す。
そうしてこちらに近付こうとすれば人垣が割れ、チナミ達にも注目が集まる。
料理店に問題が起きはじめる前は、彼に親しみを抱いていた。
シルファは穏やかで、怒りという感情がおよそ縁遠い人柄だった。
つまらない話でも微笑んで聞いてくれるから、つい悩みごとや不安を打ち明けたことがある。
その流れで、彼なら何とかしてくれると、悪質な嫌がらせについて相談したのだ。
シルファは親身になってくれたけれど――辛い実情は何一つ変わらなかった。
あの時から、チナミの中で彼に対する不信感が芽生えている。
「シルファ様……どうしてここに?」
「当然、アヴァダール教の敬虔な信徒達に、神の救いを与えるためです。神は貧富の差を憂い、地方の都市に十全な物資をと思し召しになりました」
チナミ達がたどりつくタイミングで、彼が偶然グルーシャ村にいたという怪しさを抜きにすれば、その行い自体は素晴らしいものだ。
「この国は、地方の村や街で、多くの問題を抱えていますもんね」
「はい、とても悲しいことですが。けれど、こうして偶然チナミさんに会えたのですから、やはり神は私達を優しく見守りくださっているのでしょう」
「偶然、ですか……」
果たして、偶然で片付けていいものなのか。
強調されるとかえって胡散臭い。
「おや、神をお疑いですか?」
チナミの相槌には懐疑的な思いが交ざってしいたようで、シルファがふと目を瞬かせる。
ゆらりと、灰色の瞳が蠱惑的に揺れた。
「もしこれが偶然でないなら、運命……それこそ神のお導きかもしれませんね」
シルファは、恍惚とした笑みを浮かべた。
うっとりと頬を赤く染めながら、まるで本当に恋でもしているように。
それでも一瞬たりとも自惚れることができなかったのは、彼の瞳にチナミが映っていないから。
彼がただ、神だけを一心に見つめているからだ。
――おっとり穏やかな人だと思ってたけど……。
認識が間違っていたのだろう。
怒ったり泣いたりしないのは、ものごとの一切に興味がないから。どんな話でも微笑んで聞いてくれるのは、内容などどうだっていいから。
彼の中には、真実彼と神しかいないのだ。
微笑むシルファが、チナミの頬に手を伸ばした。
チナミは動けない。彼の瞳は純粋で穢れなく……それゆえ歪んでいるようで体がすくんでしまう。
けれど、伸ばされたシルファの手がチナミに触れることはなかった。大きくて頼れる背中が両者の間に割って入る。
ルドウィンが、シルファを険しい眼差しで見据えている。しかも恐怖で周りが見えなくなっていたチナミに代わり、メルとしっかり手を繋いでいた。
「おや、ルドウィンさん。まるで、まだ騎士のようではありませんか。いつの間にお子さまがお生まれになったので?」
「迷子を一時的に保護しているだけだ。俺達と、こいつを教会で休ませてほしい」
「……なるほど。それもまた、神が奨励する善行ですね。私自身、こちらの教会で厄介になっている身。了承はできかねますが、司祭に話を通すくらいはいたしましょう」
ルドウィンが話の流れを断ち切ってくれ、おかげで助かった。
シルファの瞳の奥の歪んだ熱情が消え、彼は水を打ったような静けさで歩き出す。
正直不安しかないが、すっかり村人達に慕われているようなので、彼の意思に反することはできないだろう。たとえ村長に一宿一飯を求めたとしても、断られそうだ。
チナミとルドウィンは素早く視線を交わすと、どちらからともなく頷いた。
そうして、シルファの背中を追いかけはじめた。
◇ ◆ ◇
疑念と不安しかなかったけれど、シルファは予想を覆すようによく働いた。
毎日早朝に起き出し、教会内外の清掃。
神に朝の祈りを捧げたあとは、王都から運んだという物資の運搬。数名の騎士に的確な指示をして不平等が起こらないよう配慮している。
昼前に再び祭壇に祈りを捧げ、自分は乾いた固いパンと水のみで昼食とする。
午後は相談にやって来た信徒達の話を聞き、必要があれば神事を執り行う。
そして、夕方にはまた祈祷。
怪しいところなど一切ない、健全な神官の一日。
むしろ下級神官達に交ざって神に奉仕する姿は、神官長の鑑とも言える。
何かしらの思惑をもってチナミ達を待ち伏せしていたのではと思ったが、間違っていたのだろうか。ダリクスの忠告を気にしすぎたのか。
グルーシャ村は、いたって平和だった。
ソルタ村のように困窮しているということもなく、レバンテ街のように問題が起こっているわけでもない。それは確かに、王都からの支援物資のおかげもあるのだろう。
村人達も親切にしてくれる。
一つ気がかりがあるとすれば、魔族への偏見がすさまじいということだ。
魔族領との境界だから、仕方ないのかもしれない。アヴァダール教の教徒でもあるし。
「……ねぇ、知ってる? また『魔族の果実』が見つかったって」
「聞いたよ。シルファ様が浄化してくださったらしいが、あのまま放っておけば毒を撒き散らして、この村は全滅してたかもしれんって話だぞ」
「何で魔族はこんな恐ろしいことができるんだか……」
「魔族共が全員消えてくれりゃ、俺達の暮らしも楽になるのにな……」
個人を見るのではなく、魔族と一括りにして誹謗中傷を繰り返す視野の狭さ。
確かに、魔族にだって悪意を持つ者はいるだろう。
けれどそれは当たり前のことだ。人族に善人と悪人がいるように、どのような場所にも悪意は育つ。
そう考えられるのは、チナミが異世界の人間で、アヴァダール王国の常識に染まっていないからかもしれないけれど――……。
「いや、単純に腹が立つのよ……仲のいい人が悪口言われてたら、普通にむかつくし」
駄目だ。こちらも負けず劣らず視野が狭いし、正当性がなかった。
チナミは教会の食堂で頭を抱えた。
噂くらいで気になってしまうのはきっと、ルドウィンとメルがいるからだ。
そこかしこで魔族の恐ろしさを囁き合う村人達に、嫌な気持ちにならないだろうか。できることなら彼らの耳を塞いでしまいたい。
蔑まれている当人達といえば、同じテーブルでのんきにレモネードを飲んでいた。
「そうイライラするな。俺達のために怒ってくれるのは嬉しいがな」
「ちなみー、れもねーど、おいしい。でも、ごはんたべたい」
共に旅をする魔族達があまりにいつも通りで、チナミは半眼になった。




