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久遠に薔薇は咲くか ~滅びた名家の令嬢と五柱の盟約~  作者: AJP/
第1章 失われた薔薇

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第三話 生き残った薔薇

 どのくらい泣いただろう。


 どのくらい叫んだだろう。


 ◇


 眠ってしまっていたのか気絶していたのか。


 崩れた場所から朝日が差し込む。


 すべてどうでもいい。


 夢ならどれだけ良かっただろう。


「…………」


 もう一度目を開ける。


 薄暗い地下道。


 冷たい石の床。


 焦げた匂いと、血の匂い。


 そして。


 すぐそばに横たわる、お母様。


「…………」


 少し離れた場所には、お父様。


 目を閉じている。


 昨日の朝なら。


 この時間にはもう、お父様は食堂にいたでしょう。


 紅茶を飲みながら新聞を読み。


 わたくしが遅れて現れれば、眉間に皺を寄せる。


『遅い』


 そう言って。


 お母様は笑って。


 わたくしは言い返す。


 そんな朝だったはずなのに。


「……おはようございます」


 声が出た。


「お父様、お母様」


 返事はなかった。


「…………」


 分かっています。


 もう。


 何度呼んでも。


 返事なんてない。


 それでも。


「朝ですわよ」


 言ってしまった。


「いつまで寝ていますの」


 喉の奥が痛い。


「お父様」


 動かない。


「わたくしを起こすのは早いくせに……」


 何を言っているのでしょう。


 昨日までなら。


 こんなことを言えば、お父様は呆れて。


 お母様は笑って。


 それで。


 それだけでよかった。


「…………」


 頬を何かが伝った。


 もう涙なんて残っていないと思っていました。


 泣いたところで。


 誰も何も戻ってこない。


 分かっているのに。


「……ずるいですわ」


 声が震える。


「お二人とも……」


 返事はなかった。


 ◇


 地下道を出た頃、空はすっかり明るくなっていました。


「…………」


 わたくしは、言葉を失った。


 屋敷が。


 なかった。


 正確には。


 形だけは残っています。


 けれど。


 昨日までそこにあったはずのアルデルテ家は、もうどこにもありませんでした。


 壁は崩れ。


 窓は割れ。


 庭園は焼け焦げ。


 真紅の薔薇は黒く炭になっている。


「……」


 昨日。


 ここでお父様と話した。


 ここでお母様と笑った。


 ここで魔法の訓練をして。


 叱られて。


「…………」


 たった一晩。


 それだけで。


 全部。


 なくなるものなのですか。


「ローゼリアお嬢様!」


 声がした。


 振り向く。


 町の人、騎士、兵士。


 知らない顔もいる。


 消火や救助のために集まったのでしょう。


「ローゼリアお嬢様!」


 一人の男が駆け寄ってきた。


「ご無事だったのですね!」


「……ええ」


「旦那様と奥様は……?」


 答えられない。


 ただ。


 目を逸らした。


 それだけで。


 男は何も言わなくなりました。


「……申し訳ございません」


 短い言葉。


 わたくしは何も言えませんでした。


 やがて。


 お父様やお母様、騎士や使用人たちは、屋敷や地下道から次々と運び出されました。


 布を掛けられ並べられて。


「…………」


 見ないようにしたかった。


 でも、目を逸らしてはいけない。


 だから見ていた。


 ずっと。

 

 ずっと。

 

 ずっと。


 ◇


「一体、何があったのです?」


 昼頃。


 わたくしは、焼け残った離れの一室にいました。


 向かいには、領内の騎士や町の代表者たち。


 わたくしは、覚えている限りのことを一つずつ話しました。


 昨日までなら、わたくしを見るなり頭を下げていた人たちです。


「分かりませんわ」


「襲撃者に心当たりは?」


「ありません」


「何か要求は?」


「何も」


「では、なぜ……」


 男が言いかけて止まった。


「なぜ、なんですの?」


「……いえ」


「構いません。仰ってくださいませ」


 沈黙。


 やがて。


 別の男が口を開いた。


「なぜ襲撃され……ローゼリア様だけが、ご無事だったのでしょう」


「…………」


 その言葉……。


 胸の奥に冷たいものが刺さった。


 分かっています。


 当然の疑問です。


 屋敷にいた者たちは。


 一人残らず殺された。


 騎士や使用人。


 お父様やお母様も。


 なのに、わたくしだけが生きている。


「わたくしを……」


 唇が震えた。


「わたくしを殺そうとした者がいましたわ」


「……?」


「ですが、止められました」


「誰に?」


「黒いローブを纏った者です」


 部屋の空気が変わる。


「その者が……あなたを?」


「殺すなと命じました」


「なぜ?」


「…………」


 わたくしが知りたい。


 そんなこと。


「分かりませんわ」


「何か言っていなかったのですか?」


「……教主様のお言葉だ、と」


「教主?」


「それ以上は何も」


「ローゼリア様は、その者と面識が?」


「ありませんわ!」


 声が大きくなった。


 部屋の中が静かになる。


「……失礼しました」


 男が頭を下げる。


 けれど。


 さきほどとは少し空気が変わったように感じた。


 ◇


 噂というものは。


 恐ろしいほど早く広がるらしい。


 翌日。


 屋敷の外へ出たとき。


 それが分かりました。


「……あの方よ」


 小さな声。


「アルデルテ家の……」


「一人だけ生き残ったって」


「どうして?」


「敵に見逃されたらしいわ」


 ……聞こえていますわよ


 そう言ってやろうかと思いました。


 けれど、声が出なかった。


 以前なら。


 道を歩けば、皆が頭を下げた。


「ローゼリア様」


「ご機嫌よう」


 そんな声が飛んできた。


 今は。


 視線を逸らされる。


 近づけば会話が止まる。


 離れればひそひそ話。


 そうか。


 わたくしにはもう何もないみたいだ。



 小さな女の子が、わたくしを見ていた。


「ローゼリアお姉ちゃんだ」



 何度か屋敷へ遊びに来たこともある子だ。


 女の子がこちらへ駆けようとする。


「待ちなさい」


 母親が、その腕を掴んだ。


「でも……」


「行きますよ」


「ローゼリアお姉ちゃん……」


 母親は。


 わたくしと目を合わせなかった。


「…………」


 笑えばいい。


 いつものように。


 何でもない顔をして。


「ごきげんよう」


 そう言えばいい。


 でも。


 できませんでした。


 ◇


「……くだらないですわ」


 焼けた屋敷の前。


 一人で呟いた。


「何も知らないくせに」


 腹が立つ。


 どうして。


 わたくしが疑われなくてはいけないのです。


 わたくしだって。


 何も知らない。


 黒ローブが何者なのか。


 教主とは誰なのか。


 なぜアルデルテ家が襲われたのか。


 そして。


 なぜ。


 なぜ、わたくしだけ生かされたのか。


「…………」


 答えなんて。


 一つもない。


 視線を上げる。


 崩れ落ちた図書室。


「そういえば……」


 思い出した。


 あの本。


『久遠盟約記』


「…………」


 足が勝手に動いた。


 瓦礫を避け。


 焦げた柱を跨ぎ。


 昨日まで図書室だった場所へ向かう。


「どこですの……」


 本棚は倒れ。


 床は黒く焦げていた。


 灰の中を探る。


「お願い……」


 ない。


「何か……」


 紙片。


 焦げた革。


 砕けた棚。


「残っていませんの……?」


 指が汚れる。


 爪の間に灰が入る。


 そんなこと。


 どうでもいい。


「……あ」


 黒く焦げた何か。


 一冊の本。


 半分以上が焼け落ちている。


「久遠……盟約記……」


 辛うじて読めた。


 ページを開く。


 ほとんどが黒く焼けている。


 触れただけで崩れそうだった。


 それでも。


 一枚だけ。


 文字が残っていた。


『……五柱……』


『……守護……』


『……盟約……』


 そして。


『久遠の王』


「…………」


 黒ローブ。


 教主。


 久遠の王。


 五つの紋章と五体の存在。


「関係が……あるんですの?」


 答えはない。


 当然です。


 本は何も教えてくれない。


 でも。


 知らないなら調べればいい。


 ここに答えがないのなら。


 答えがある場所へ行けばいい。


「…………そうですわね」


 わたくしは立ち上がった。


 昨日までなら。


 困ったことがあれば。


 お父様に聞けばよかった。


 分からないことがあれば。


 お母様に聞けばよかった。


 でも、もう……。


 なら、わたくしがやるしかない。


 ◇


 その日の夕方。


 二つの墓の前に立っていました。


 お父様。


 お母様。


 アルデルテ家の墓地。


 まだ新しい土。


「…………」


 何を言えばいいのか、随分考えました。


 結局、上手い言葉なんて浮かばなかった。


 風が吹く。


「お父様、お母様」


 返事はない。


「わたくし……」


 一度、唇を噛む。


「この町を出て真実を探しますわ」


 声にすると急に怖くなった。


 ここを離れる。


 生まれてから一度も一人で遠くへ行ったことなどない。


 それでも。


「このままここにいても、何も分かりませんもの」


 家族を奪った者たちの正体を知るため。


 自分だけが生かされた理由を知るため。


 

そして。


 あの黒ローブと《教主》と呼ばれる何者かの正体を突き止めるため。


「全部」


 拳を握る。


「全部、わたくしが突き止めてみせますわ」


 返事はない。


 でも、お父様なら。


『無茶をするな』


 とでも言うのでしょう。


 お母様なら。


『あなたが決めたなら、行ってらっしゃい』


 と笑うのでしょう。


「……ふふ」


 少しだけ笑えた。


「心配しないでくださいませ」


 墓石に手を触れる。


「わたくしは、ローゼリア・フォン・アルデルテですもの」


 アルデルテ家最後の一人。


 それが何です。


 嫌われようが疑われようが、もう知ったことではありません。


「必ず戻ってきますわ」


 声が震えた。


「少しだけ行って参ります」


 ◇


 早朝。


 わたくしは町の門の前に立っていました。


 瓦礫の山や無事な部屋などから必要そうなものは全部用意した。


「完璧ですわ」


 一人旅などしたことはありません。


 ですが、わたくしはアルデルテ家の令嬢。


 何を心配する必要がありますの?


「さて」


 道の先を見る。


 どこまでも続いている。


 これから何が起こり何を知るかもわからない。


 怖くない……と言えば嘘になります。


「…………」


 一度だけ振り返った。


 遠くに焼け残った屋敷が見える。


 もう一度。


 前を向く。


「行って参ります」


 最初の一歩を踏み出した。


 こうして。


 わたくし――ローゼリア・フォン・アルデルテの旅は始まりました。


 家族を奪った者達の正体を知るため。


 自分だけが生かされた理由を知るため。


 そして。


 あの黒ローブと《教主》と呼ばれる何者かの正体を突き止めるため。


 このときのわたくしは。


 とても重要なことを知りませんでした。


 旅というものが。


 思っていたより、ずっと大変だということを。


 

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