第一話 ローゼリア・フォン・アルデルテ
初めての投稿です。
よろしくお願いいたします。
「お前はまた訓練場を壊しただろ」
朝食の席でお父様は開口一番、そんなことを言いました。
「まあ。言いがかりですわ」
「これで何度目だ?」
「標的には当たりましたわ」
「標的ごと壁が消えたんだ」
「でしたら命中ですわね」
「違う」
お父様、クラウス・フォン・アルデルテが額を押さえる。
騎士団長のお父様は恐れられている人ですが、こうして見ると苦労性の中年男性にしか見えません。
「ローゼリア」
「はい、お母様」
隣に座るお母様、エレノアが穏やかに口を開いた。
「もう十八歳なのですから、少しは落ち着きなさい」
「お母様まで……」
お母様がくすくすと笑う。
わたくしも、つられて笑った。
いつもの朝。
紅茶の香りがして。
庭師が手入れした薔薇が窓の向こうで咲いていて。
お父様が小言を言い、お母様が笑っている。
「しかし、魔力量だけなら本物なのだがな」
お父様が呆れたように言う。
「『だけ』とはなんですの、『だけ』とは」
「問題は制御だ」
「できますわ」
「昨日できなかっただろう」
「あれは壁の耐久性に問題があったのでは?」
「なぜ壁のせいになる」
失礼ですわね。
わたくしの一族。
アルデルテ家は、千年以上続く魔術の名門。
中でもわたくしは、幼い頃から人並み外れた魔力量を持っていました。
わたくしが得意とするのは、アルデルテ家に伝わる《紅薔薇術式》。
赤い魔力を薔薇の形へ変え、炎や刃として操るアルデルテ家独自の魔法です。
「ローゼリア」
それまで呆れていたお父様の声が、少しだけ低くなった。
「力があることを誇るのは構わん。ただし、過信するな」
「またその話ですの?」
「世界には、お前より強い者などいくらでもいる」
「お父様も?」
「もちろんだ」
「では今度、勝負してくださいませ」
「断る」
「怖いんですの?」
「娘に怪我はさせられん」
「逃げましたわね!」
お父様は深いため息をついた。
「……ローゼリア」
「なんです?」
「もし、いつか……」
そこでお父様の言葉が止まった。
「いつか?」
「……いや。なんでもない」
「何ですの、それ」
まったく。
最近のお父様は、何かを言いかけては、やめる。
尋ねても教えてくれない。
「変なお父様」
「お前にだけは言われたくない」
いつものことなので、それ以上気にしませんでした。
◇
「――《紅蓮華》!」
真紅の薔薇が咲く。
次の瞬間、その中心から炎の槍が迸った。
轟音。
着弾地点が爆発し、地面が大きく抉れる。
土煙がゆっくりと晴れていく。
「ふふん」
完璧ですわ。
「お嬢様」
指導役の魔術師が、震える声で呼びかけてきた。
「なんですの?」
「本日の標的は、あちらです」
「…………」
指差された先を見る。
そこには、傷一つない標的。
では。
今、わたくしが吹き飛ばしたものは?
「……古い標的かしら?」
「倉庫です」
「…………」
「備品倉庫です」
「…………誰にも言ってはいけませんわよ」
「旦那様が見ておられます」
ゆっくり振り返る。
訓練場の入口で、お父様が腕を組んで立っていた。
「ローゼリア」
「……ご機嫌よう、お父様」
「昨日は壁。今日は倉庫か」
「事故ですわ!」
結局。
その日の訓練は、そこで強制終了となりました。
◇
夕方。
お父様から訓練禁止を言い渡されたわたくしは、仕方なく図書室にいました。
「退屈ですわ……」
本棚を眺めていると、ふと一冊の本が目に留まる。
何となく抜き出してみると、ずしりと重かった。
随分と古い本です。
色褪せた表紙には、
『久遠盟約記』
と書かれていました。
「久遠……?」
聞いたことのない題名です。
普段なら、そのまま棚へ戻していたでしょう。
けれど、何気なく開いたページで手が止まりました。
「……これ」
五つの紋章が描かれている。
その一つ。
薔薇を模した紋章には、見覚えがありました。
アルデルテ家の家紋です。
「どうして、うちの家紋が……?」
残り四つは知らない。
そして五つの紋章の傍らには、それぞれ異なる姿をした五体の存在が描かれていました。
翼を持つもの。
巨大な角を持つもの。
長い身体を持つもの。
獣のようなもの。
最後の一体は、本の傷みが酷く、姿さえよく分かりません。
その周囲には古い文字が並んでいましたが、インクが掠れ、ほとんど読むことができない。
目を凝らす。
『盟約』
『守護』
断片的に、そんな文字だけが読み取れました。
そして。
ページの下部。
黒く滲んだ文章の中に、一つだけ、はっきりと読める言葉があった。
『久遠の王』
「……久遠の王?」
「ローゼリア」
「ひゃっ!?」
突然背後から声をかけられ、思わず肩を跳ねさせる。
振り返ると、お母様が立っていました。
「驚きすぎよ」
「突然呼ばないでくださいませ!」
「ごめんなさい」
お母様は楽しそうに微笑む。
「何を読んでいるの?」
「わたくしにもよく分かりませんわ」
本をお母様へ向ける。
「ですが、ここにアルデルテ家の家紋が描かれていますの」
「……本当ね」
ほんのわずか。
お母様の視線が止まったように見えました。
「お母様。《久遠の王》とは何者ですの?」
「久遠の王……?」
お母様は本へ視線を落とす。
それから静かに首を振った。
「私も知らないわ。ずいぶん昔の本みたいだもの……」
「そうですか……」
少し残念です。
お母様なら何か知っていると思ったのですが。
そんなわたくしの頬へ、お母様がそっと手を添えました。
「ローゼリア」
「なんですの?」
「あなたは、とても強い力を持っているでしょう?」
「当然ですわ!」
「ふふ。そういうところよ」
「?」
母の表情から笑みが消える。
「だからこそ、その力に振り回されてはだめ」
「振り回される?」
「力は便利よ。強ければ、自分には何でもできると思ってしまう」
細い指が、優しくわたくしの髪を撫でる。
「でもね。いつか大きな力を手にしたとしても……力に使われる側になってはだめよ」
「…………」
何をそんなに真剣に言っているのか、わたくしにはよく分かりませんでした。
きっと。
昨日、訓練場を壊したことをまだ気にしているのでしょう。
「大丈夫ですわ」
胸を張る。
「わたくしは、わたくしですもの」
「……そうね」
母は少しだけ目を細めました。
「それなら、安心ね」
◇
その日の夜。
――ゴォン。
低い鐘の音が、屋敷に響いた。
「……?」
窓の外を見る。
もう一度。
――ゴォン。
そして、三度目。
背筋に冷たいものが走りました。
時刻を知らせる鐘ではありません。
魔物が領内へ侵入した際の警鐘とも違う。
幼い頃。
一度だけ、お父様から教えられたことがあります。
この鐘が鳴る意味。
――アルデルテ家への敵襲。
「お嬢様!」
廊下を騎士が駆けていく。
「何がありましたの!?」
「お部屋から出ないでください!」
「だから何が――」
――ドォォォンッ!
「っ!?」
凄まじい轟音。
屋敷全体が大きく揺れ、窓ガラスが震えた。
外を見る。
西側の外壁。
そこから真っ赤な炎が上がっていました。
「西門突破!」
「魔術師隊、急げ!」
「侵入者多数!」
怒号が飛び交う。
ほんの数秒前まで静かだった屋敷が、一瞬で戦場へ変わっていく。
「ローゼリア!」
「お父様!」
廊下の向こうから、お父様が走ってくる。
腰には剣。
身には戦闘用の魔術礼装。
いつもの屋敷で見るお父様ではなかった。
その後ろには、お母様もいた。
お母様もまた、戦闘用の魔術礼装を纏っている。
「地下道へ逃げろ!」
「ですが――」
「早く行け!」
声が廊下に響いた。
「…………!」
初めてでした。
お父様が、わたくしにあんな顔を見せたのは。
お母様がわたくしの手を取る。
「行くわよ」
「待ってください。一体、何が起きていますの!?」
そのとき。
再び爆発音が響いた。
外壁の一部が完全に崩れ落ちる。
舞い上がる炎と煙。
その向こうから、人影が現れた。
黒装束。
一人ではない。
二人。
五人。
十人。
さらに増えていく。
騎士たちが迎え撃つ。
魔法の光が飛び交う。
剣と剣がぶつかる音。
誰かの悲鳴。
そして。
その光景の向こうから。
一人だけ。
ゆっくりと歩いてくる者がいました。
長い黒のローブ。
深く被ったフード。
顔を覆う白い仮面。
周囲の黒装束たちが、その人物の前から道を空けていく。
「…………」
黒ローブが足を止める。
そして。
離れた場所にいるわたくしを。
正確に見上げた。
「……え?」
仮面の奥など見えるはずがない。
なのに。
確かに目が合った。
そんな気がしました。
ぞくり。
理由の分からない寒気が、背筋を走る。
黒ローブが。
ほんのわずかに首を傾けた。
初めて会ったはずなのに。
その仕草はまるで――。
わたくしがここにいることを、最初から知っていたかのようでした。
「ローゼリア!」
お母様がわたくしの腕を強く引く。
「待ってください! あの者は――」
「早く!」
屋敷の奥へ連れていかれる。
お母様が壁の一部に手を触れると、隠されていた扉が開いた。
地下へ続く秘密の通路。
そんなものが屋敷にあったことすら、わたくしは知りませんでした。
「入って!」
「でも、お父様は!?」
「すぐに来るわ!行きなさい!」
お母様に背中を押される。
扉が閉じる。
その直前。
わたくしは、最後にもう一度だけ振り返りました。
炎に包まれ始めた屋敷。
戦う騎士たち。
倒れている使用人。
遠くで剣を抜くお父様。
そして。
炎の向こうからこちらを見つめている、白い仮面の黒ローブ。
朝まで。
わたくしは、それが当たり前なのだと思っていました。
お父様がいる。
お母様がいる。
帰る家がある。
温かな食事が並び。
くだらないことで笑い合える。
そんな毎日が。
明日も、その次の日も。
ずっと続くものだと。
このときのわたくしは、まだ知りませんでした。
――この夜が。
わたくしにとって、最後の「日常」になることを。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今後も頑張って完結を目指します。




