第1話 タヌキの一族
2024年12月30日付けで、コミック原作コンペの応募作としてnovel days に投稿した小説を移植したものです。
「では次の方」
声をかけつつ私あての紹介状――小野智子先生御侍史と来たか大げさな――に目を通して思わず声を失った。
「複数の医院を回ったが病状が改善しない」と、それは良い。いや良くないが、ここは大学病院だ。難治の患者をこそむしろ、受け入れるべき義務がある。
問題は患者の年齢である。杏香さん10歳。小児診療はちょっとその苦手と言うか、自信が……いや不服ではない、ここは総合内科であれば。その実態が研究医の吹き溜まりであろうとも。
最大の問題は名前なのだ。大狸羽田杏香、そんな苗字が何人もいてたまるかと。救いを求め目を走らせた紹介状の作成者もしかし予想通り最悪なことに、やっぱり大狸羽田……だけど、お名前は節子さん? と首をかしげたところで杏香さんのご入室である。
「『お手紙』書いたお祖母ちゃんからも、よろしくお願いしますって……」
大狸羽田医院の院長さんか! それすなわち上司の先輩地元の名士、浮世のしがらみここに極まれり。いや、子供の前で思い浮かべて良い話ではない。集中集中、一意専心患者のために!
「……『東洋医学なら、あるいは』って」
気をそいでくれるなと。
患者さんとご家族の、藁にも縋る気持ちは分かる。でもそういうね、魔術とか民間療法みたいな扱いはいい加減やめてもらえませんかね……あれ? でも頼られてるということは……西洋医学の限界を超えるひとつのチャンス! いえ、言い過ぎか。
ともあれ早速「手を出して?」と、腕に触れたらびくっとされた。東洋医学は脈診に始まると、それは確かなことだけど、気合余って配慮が不足。ここは落ち着いて、にこやかに話しかけながらと。
「体調、どんな感じか聞かせてくれるかな?」
子供の脈にしては拍動が緩やかなものと思われた。それ以上に「弱さ」が気になる。
「朝、起きようとするとめまいがして。他に頭痛とか、それで学校に行けなくて。午後からは平気なんですけど」
該当の症例をいくつか思い返しつつ、改めて患者――大狸羽田杏香、小学4年生――の顔を眺めやる。
熱も咳も無し、外因ではない。血色やや悪し、肝か……おおよそ絞れてくるような。
「言いにくかったらごめん。イジメとか嫌な先生とか、学校に行きたくない理由があったりする?」
力なく首を振る。学校には行きたいんです、サボりじゃありませんと泣きそうな声。
またしくじったか。責めてるわけじゃないんだけど、やっぱり子供は難しい。
「えらいね。私なんか去年までほんと嫌で嫌で仕方ない先輩がいて。サボっちゃおうかなって毎日毎日」
誠心は通ずるもので、杏香が少し微笑んだ。その先輩こそあなたの父とはよう言わんが、ともあれ病名にはあたりがついた。
起立性調節障害、自律神経の不調であろう。彼女を診てきた医師たちの多くも結論づけていた。それなら「証(治療法)」は、少なくともその道筋はつけられる。
「実はね、同じような症状の子供によく効いた治療法があるって、ちょうどあなたのお父さんが私にメールを……」
「パパが⁉」
見せるため開いたノートPCを奪われたが咎める気にはなれなかった、長らく会ってないはずだもの。子供ながらに切なげなその横顔を眺める気にもなれなくて、そっとカルテに目を逸らす。
薬の話に頷いたまま下を向くのは仕方ない、小学生だ。特に漢方薬は――今回出すのは苓桂朮甘湯に五苓散だけど――匂いも味もクセがある。
「鍼やヨガでも治ったって、パパはそう言ってるんですね? ヨガに近いストレッチなら私も毎日やってますけど……」
眉間に皺を寄せている。子供にとって「はり」と言えば注射だろうし、薬以上に嫌なものと決まってる……なんて予想は裏切られた。
「治るんなら鍼、お願いします」
真剣な眼差しだった。治したいのだ。苦しみから立ち上がろうとしているのだ。その強い意志を子供の気まぐれ扱いしてはならない。ええ、真剣にお答えします。
「未成年者はね、保護者の許可を得る必要があるの。鍼は侵襲を伴う、いえ、皮膚をチクッとするわけだから。杏香さんとお母さんと私、三人で相談してそれから、ね?」
父親があちこちほっつき歩いている、もとい患者を治しに全国回っていることはよくよく存じおるところ。だから触れない、これぞ子供の心情に対する配慮というヤツですよ。
「お母さん、この間亡くなったの」
うああああー! 私はなんということをー! 子供への配慮ー!
「大丈夫です、親戚みんなで暮らしてるから。次はお祖母ちゃん連れて来るのでお願いします」
精一杯の笑顔、私が配慮されてしまった。しっかりしたお子さんだけど、だからこそ心配になる。
……ことの良し悪し、評価は難しいところもあろうが伝統的な東洋医学は「人」に向き合ってきた。そこから彼女の抱える事情を思えば……父親が仕事で長期不在のところに母親を亡くし、それでも祖母を気遣い明るく振舞ってきたと。それでは幼き心が保つわけもない。
いや、いかん。
今後の東洋医学を思うならば、現状正面から向き合うべきは「症状」だ。少なくとも今回はそれで回る、治癒の可能性が高いのだし。背景すなわち生活事情に社会情勢、その他医学と直接関係ない分野へ踏み込む際は慎重さも求められる、べきであろう。
そんな迷いはわずか3日で吹き飛んだ、大狸羽田医師・節子先生の登場により。
「太さんの言うことならば。小野先生も同じ道の専門家と伺っております。ええ、安心してお願いします」
実の息子にさんづけですか。和装の凛たる佇まいと言い、かなり古風。いや、そんなことより度量と決断力である。これほど素敵な女性の息子がどうしてあんなクズ狸に……じゃなくて。
「それでは説明を。〇〇のツボに△㎝、鍼を打ちます。☆☆神経に刺激を与えることで□□ホルモンが分泌され、これが自律神経に作用し、今の杏香さんに不足している血中成分が充たされ症状が改善されるという仕組みです。これは20××年に発表され、その後十分な検証がなされた理論に基づく治療法です」
諾否やいかに、などと思う間もなく返答があった。まっすぐこちらを見据えつつ。
「私への『言い訳』ならば不要です小野先生。信頼してお任せいたします」
熱いものがこみ上げる。この方にこそ我々の活動をぜひ理解していただきたい!
「いえ、患者の方には、未成年であれば保護者の方にもご理解いただく必要があると私は考えています。東洋医学はともすれば『東洋の神秘』、『理由不明の療法』と思われがちですが、そうではありません。現代科学の観点からも立証された確かな医療体系なのです」
だが実はこうした「東洋の神秘」の権化こそ眼前にある老女医の息子にして杏香の父、大狸羽田太なのだ。全国各地を巡り歩いては難病患者を治して回る……のは良いとして、説明もいい加減なら根拠もロクに確立せずと、ぷすぷすちくちく鍼を打つ。悪いことにそれで必ず治してしまう。いえ、言葉が過ぎました。幸いなこととは分かってる。ただ私にとって、いえ「東洋医学にとっては」不幸なことと言わざるを得ない。
なぜと言って「理由は分からないけど鍼で、漢方薬で病気が治った」と、それでは東洋医学がますます妖しき神秘のベールに包まれてしまうではないか。
ほんとうに東洋医学を広く知らしめたいならば! 世間の理解を得たければ! 多くの医師に採用されてあまねく患者を治したいなら!
大事なのは理論である機序である、誰にも分かる科学的根拠である。私たちは現代人で現代社会に生きてんだから。
そのあたりをあの大タヌキ、じゃなくて大狸羽田太医師は知ってか知らずか等閑視いえ無視しくさるのだからたまらない。
「医療は科学的たるべし、ですか。ええ、まったく同意です」
院長先生、お母さまからも言ってやってくださいよ、いやほんと。
ともあれ確実な治療法のもと、患者の杏香さんはめきめき回復していった。来るたび表情が明るくなり口数も増え、脈を診るにつけても本来は活発なお子さんだったことが分かる。こういう時、東洋医学に携わって本当に良かったと思う。
5回めの診療を終え完治のお墨付きを出した昼下がり。今日は午前上がりだし、研究室へ戻る前にたまにはゆったりランチでも……と思ったところに教授からの呼び出しが。
「出張ですか? Q県のX市立病院に?」
詳細はこちらに、と渡された書類には先ごろ目にした達筆で「小野智子先生御侍史」、裏には「大狸羽田節子拝」。ドアを閉めれば「こちらです」と先導に立つ事務員さん、門の前には私を迎えに黒塗りが。
これが開業医かあ……いや、いかんいかん! 私は研究に生きるのだ!
「小野先生!」
杏香ちゃん? おっきなリュックなんかしょっちゃって、これはいかなるアレですの?
「パパがQ県にいると分かったから、連れ帰るの!」
先生がノートPCから目を離した隙にぷすっとUSB刺してハッキングしたんだよって、ぷすぷすちくちくはあなたのパパでお腹一杯です! はいこれワクチンって、それでチャラにはならないからね? 院長からもお願いします!
「小野先生も研究のため臨床データをお求めと伺いました。太さんを捕まえて吐かせれば……いえ、杏香のおもりをどうかお願い申し上げます」
うわあ、おっきくて分厚い封筒だぁ。どすんって言ったどすんって。余裕で立っちゃうぞこれぇ。
「当医院には私が担当する産婦人科のほか総合内科があるのですが、婿……いえ、今どき婿だの嫁だの、家制度でもありませんわね……ともかく太さんに帰ってもらわないことには病院が回りません。大学にお願いして、どなたか来ていただかないと」
連れてこなけりゃワタクシにお鉢が回るとおっしゃるか!
大狸羽田のご一族、どうやら思っていたよりタヌキだぞこれ……って、手を引っ張らないで杏香ちゃん! あなた案外力持ちね!
(第1話了、設定は「紹介文」に掲載)
「現時点では」続きを書く予定はありません。事実上の単発短編となっております。
4000字で書けという規定だったので、かなり駆け足となっております。




