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第1話 転生とブドウ

「どうだ、晴彦。この木のブドウ、甘いが、酸っぱすぎるだろう」


 祖父から渡された実は、口が曲がるほど酸っぱかった。


「でもな。この酸っぱさが、何年も寝かせて熟成すると、すがすがしい酸味に変わる。甘さを、いっそう引き立てるんだ」


「酸っぱいのに?」


 僕が首をかしげると、祖父はうれしそうに目を細めた。


「そうとも。――そうなるには、時間だけじゃ足りん。日の光も、土も、風も……目に見えない小さな生き物たちが、みんなで時間をかけて、やっとうまいワインにしてくれるんだ」


「じゃあ、僕もおいしいワインを作るのを手伝う!」


「おう、そうか」と祖父はうれしそうに笑っていた。


 祖父の笑い声は遠くの山々にまで届いていた。

 その山々もブドウ畑も僕が住んでいる家も西日のあたたかい光で照らされていた。

 風はブドウの甘酸っぱい香りを運び、遠くでかすかな鳥の鳴き声が聞こえる。


 僕は、この風景が好きだった。


 でも、そのあと、親の畑仕事の苦労を見続けて、気づけば都会に出ていってしまった。


   ◇


 スマホの音で、目が覚めた。

 画面に光っていたのは、上司の名前だった。

 電話に出る。


「何をやっている! お客様からクレームだぞ!」


 時計は、00:14。とっくに、夜中だった。


「すぐに対応しろ!」


「……わかりました」


 電話を切り、机の前に座る。机の上にはパソコン。その周りには空の栄養ドリンクが散らばっている。

 電源を入れた――その瞬間、すうっと、記憶が薄れていった。


   ◇


「……失敗、か」


 落胆したつぶやきで、目が覚めた。

 周りを黒い石の壁に囲まれ、高い石造りのアーチに、古びた燭台。揺れる炎が、影をゆらゆらと壁に這わせている。かび臭い、ひんやりした空気。床の中心には魔法陣らしきものが描かれていた。


 知らない空間だった。


「残った財産全てを賭けた召喚魔法が失敗に終わった。ドルン家は終わりだ!」


 へたり込む貴族のような衣装の男。その男が僕を見た。


「ニコ! さっさと片づけるんだ。何している! ノロマめ!」


 ニコ?


「どうした? なに、ぼーっとしている!」


「ここはどこですか?」と僕はたずねた。


「何をいっているんだ! お前……。待て、今、なんと言った?」


「ここは、どこなんです。あなたたちは……誰なんですか」


 貴族のような男の顔が笑顔に変わった。


「成功だ! 成功したぞ! これでドルン家は昔の栄光を取り戻せる」


 男は歓喜の雄たけびをあげた。


   ◇


 その日のうちに、僕は城へ連れていかれた。


 ――わかったことは、僕が、本でしか読んだことのない“異世界転生”とやらに巻き込まれたらしい。実感は、まるで湧かなかった。ただ、自分の肉体が他人のものに変わっていた。


 玉座の間。マクシミリアン王と呼ばれた男は、はやる気持ちを抑えきれないように、玉座から身を乗り出していた。

 広間の両脇には、着飾った貴族や騎士がずらりと並び、品定めするような視線を、いっせいに僕へ向けている。リクルートのときの面接官の目を思い出した。


 僕を召喚したという貴族――ドルン伯爵が、得意げに進み出た。


「陛下。お約束どおり、異界より召喚に成功しました。きっと、王国に役立つお力となるはずです」


「そうか。成功したか」と国王は微笑んだ。


 側近が何事か国王に耳打ちする。


 国王は小さくうなずいて、

「そうだな。召喚に成功したとはいえ、確かめねばな」


 兵士が、台座に乗った水晶のような装置を運んできた。これに手をかざせば、宿した力が測れるのだという。

 言われるまま、僕は手をかざした。


 ……何も、起きなかった。


 国王の顔が怒りに変わった。


「スキル、なし……だと? 期待させておきながら、役立たずか。二度とその顔を見せるでない!」


   ◇


 城の門前で、ドルン伯爵が独り言を言った。


「……ドルン家は終わりだ」


 それだけ吐き捨てると、彼は僕にひと睨みして、馬車に乗り込もうとする。


「待ってください! 僕はどうすればいいんですか?」と僕は叫んだ。


「そんなことは知るか!」とドルン伯爵は馬車に乗って去っていった。


 ひとり、残された。知らない世界で。知らない男の体で。文無しで。スキルとやらもないらしい。


 そのとき、なつかしい匂いがした。甘酸っぱい、あの香り。

 匂いがするほうへ誘われるように歩いて行った。


 ブドウ畑だった。


 石壁に囲まれた小さな一角。一目でわかるほど手入れが行き届いていた。


 思わず近寄り、顔を近づけて香りを嗅いだ。昔の記憶が呼び起こされる。


「ブドウは好きかい?」としわがれた、それでいて、どこかなつかしい声がした。


 声のしたほうに振り向くと、剪定ばさみを手にした老人が、こちらを見て言った。


「――おや。見ない顔だねえ」

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