第52話「言葉封じの口づけ」
「京弥っ」
腕を失うか、もしくは冥界に引きずり込まれると、心配する蒼の声も聞こえるが、京弥は柚月葉の手を離したくないと、必死に腕を引く。
「柚月葉ッ、戻って来い!」
三分の一ほど冥界に引きずり込まれた柚月葉に叫ぶが、柚月葉は京弥の手を掴み返してこない。
「これ以上、ご迷惑をかけるわけにはいきません」
「迷惑などかけていないッ」
「私はっ、疫病神なのです……、だから手を離してください」
このまま消えてしまった方が、良いのだと顔を背ける。
「これの礼をしていない」
京弥は空いた手で柚月葉から贈られた風呂敷を懐から取り出す。それを見た柚月葉は目を開き、驚いたように京弥を見る。捨てられてもおかしくなかった粗末な物、それを傍に置いてくれていたことが素直に嬉しかった。
「受け取っていただけたのですね」
「当たり前だ、この刺繡には柚月葉の気持ちが溢れている」
【京】という文字からは愛する気持ちが伝わってくると、京弥はこれほどまでに嬉しかった品物はないと話す。
本当に優しい方だと、柚月葉は目尻に涙を浮かべた。
「優しい方、どうぞお手をお離しください」
こんなに優しい人を巻き込むわけにはいかないと、不幸にさせてはいけないと、柚月葉はそっと声を出す。
しかし、先ほどよりも腕を強く引かれた。
「俺は柚月葉を幸せにしたい。幸せにすると誓う」
「……京弥様」
「だから、俺の傍に居ろ! 俺の傍で幸せになれっ」
精一杯の声を出し、そして京弥は全力で柚月葉の腕を引き寄せる。
『俺が必ず幸せにする! 戻って来い柚月葉ッ!!!』
柚月葉を抱きしめるのは、俺の役目だと京弥が叫べば、胸に何かが飛び込んできた。そして、
―― ガシャンっ ――
鬼門と呼ばれる古き門の扉が閉じた。
「……ぅ、ぅう」
胸に抱きつく柚月葉の泣き声が静かに響く。
「柚月葉、もう大丈夫だ」
「私は……、私は……」
そっと抱きしめながら、京弥は髪を撫で落ち着かせようと、優しく触れる。
「肝が冷えるとは、まさにこれだな」
閉じた門に背を滑らせ座り込む暁山は、太刀を鞘に納めながら深く息を吸い込む。
「本当に寿命が縮まりました」
「だな。ところで蒼殿、俺の部隊に入らねえか」
「お断りいたします」
「その腕、勿体ねえよな」
十分軍で通用する能力だろうと暁山は蒼を見るが、にこっと笑った蒼は「隠居生活が性に合ってますので」と、表舞台に立つつもりはないと言う。
以前も誘ったことがあったが、京弥のためにしか協力しないと断られており、暁山は仕方ないかと潔く諦める。本人にその気がなければ、簡単に命を落とす。それが分かっているからこそ、暁山は無理強いをしない。
蒼との話がついたところで、暁山は横目に京弥を見る。
「あ~、あ、腹が減ったな」
重労働をしたんだ、当然報酬はあるよなと、これ見よがしに声をあげれば、京弥が気づかれないように息を吐く。
「家で食事でもいかがですか?」
「おっ、いいのか京弥」
「そのつもりだったのでは?」
「まあな」
神白家のご飯と酒は美味いと、暁山は蒼の肩を抱くと上機嫌で歩き出す。
「暁山さん! 絡まないでくれませんか」
「京弥の家なんぞしばらく行ってないからな、場所を忘れた」
今から軍に戻って車を拝借すると、暁山は蒼を道連れに軍部を目指す。
「本当にあの人は……」
嫌がる蒼に絡んだまま歩いて行ってしまう暁山の背を見ながら、京弥は少し落ち着いた柚月葉の肩を押す。
「落ち着いたか?」
顔を覗き込むように優しく声を掛ければ、柚月葉はいつのように下を向いてしまう。もっと顔が見たいのだが、とは思いつつも強引にはできず、京弥はこれから顔を見せてくれるようになればいいと期待を膨らませる。
「すみません、私のせいで……」
「柚月葉のせいではない」
「でも、私は疫病神だか……、んっ」
口癖のように『疫病神』と言った唇を京弥は自分の唇で塞いだ。
突然のことに柚月葉の瞳が零れるほど見開く。優しく触れた京弥の唇に、顔が熱くなって、耳まで赤くなる。
そっと離れた京弥は、柚月葉の唇に人差し指を添えると微笑んだ。
「柚月葉が『疫病神』と口にすれば、そのたびに口づけをする、いいな」
自分のことをそのように言うのは我慢ならないと、京弥はそのたびに口を塞ぐと言う。
柚月葉は自分の妻なのだから、これから幸せで埋め尽くすと、京弥は柚月葉の頬を片手で包み込むと、額、頬、唇と口づけを落とした。
「あっ、あの……」
「他にして欲しい場所でもあるのか?」
最後に柚月葉の手の甲に口づけを落とした京弥は、「俺は柚月葉を愛している」と、綺麗すぎる顔を見せてくれる。
心臓が壊れてしまいそうなほどの大きな音が鳴り響き、柚月葉は全身が沸騰するのが分かる。
「本当によいのですか、疫病神の……ッん」
「それはもう口癖か。ならば口づけの回数が楽しみだな」
『疫病神』という言葉は、柚月葉にとって口癖ならば、京弥は口づけがたくさんできると笑って見せた。それを聞き、柚月葉は京弥は本当に口づけをするつもりなのだと、物凄く恥ずかしくなる。こんなに綺麗な方の顔が近づくだけで、心臓が飛び出しそうなのにと、思わず京弥の胸元に顔を隠してしまう。
「不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
消え入りそうな声でそう声を出せば、京弥が抱きしめてきた。
「俺にはできた妻だ。生涯離すつもりはない」
「お傍に置いてください」
「ならば、幸せになる覚悟をしてもらわねばな」
だから笑ってほしいと、京弥は柚月葉の笑顔のためならば何でもすると、甘やかしながら、ふわりと抱き上げる。
「え、っ……と」
突然浮いた体に、柚月葉が驚きとともに声を出せば、京弥の整った顔が近づく。
「食べたいものはあるか?」
今夜は美坂に美味いものを作ってもらおうと覗き込まれ、柚月葉は顔を赤くしてそっと視線を反らすと細く声を出す。
「京弥様のおむすびが、……食べたいです」
「あれは食べ物ではないぞ」
「そんなことはありません。とても優しいお味がしました」
なのでもう一度食べたいと柚月葉が願えば、京弥は参ったと眉を寄せたが、すぐに表情を崩し、少し困ったように微笑みながら、「では、俺には柚月葉が握ってくれるか?」と聞かれた。
柚月葉のおむすびが食べたいと京弥から見つめられれば、気恥ずかしくなって下を向いてしまう。そんな柚月葉にさらに顔を寄せる京弥はなぜか声を出して笑い出す。
「蒼のおむすびを食べてみたいと思わないか?」
いたずらに笑いながら、京弥がそんなことを口にするから、柚月葉も釣られて笑ってしまう。蒼が握るおにぎりはどんなのだろうかと、胸が躍る。
「はい、食べてみたいです」
「では決まりだ」
元気よく返事を返せば、京弥は楽しそうに柚月葉を抱えたまま歩き出す。
出会いは間違いではあったが、妻にしたのが柚月葉で良かったと、京弥はあのとき案内の部屋を間違えた中居に感謝した。
恋などに興味などなかったが、今は柚月葉が可愛くて仕方がないと、京弥は顔を綻ばせたままその腕に大切な人をしっかりと抱きしめた。
これからどう甘やかしてやろうかと、密かな楽しみを胸に抱きながら。
おしまい
最後までお付き合いしていただきまして、誠にありがとうございました。
ちょっぴりでも楽しんでいただけましたら、とても幸いです♪




