第126話 敗北
ジュンイチが負けた。
その衝撃は天界に住まう蛇神と猫神にまで伝わっていた。
「おい、どうするニャ蛇神! このままやとニンゲンまじで死ぬニャ!」
「どうするって……どうする? どうすればジュンイチ君を?」
普段安穏とした蛇神でさえ、その時ばかりは焦りを隠せなかった。
蛇神の眷族たる半神の喪失、それは時にやむを得ない事情もあるだろう。
だがこんなゲームなんかで神が死ぬなんて想定外もいいところだ。
「万事休すか……!」
「ええい! 諦めんなニャ! こうなったらニャアが……!」
「まさか猫神!? 《神力》を使うつもりか!? そんなことをすれば今度こそ捕まえるぞ!」
神が神力を持って、地上世界に干渉することは、神界の法律で禁止されている。
既に猫神は初犯であり、裁神の恩情に助けられた部分もある、もしもう一度法を犯せば、低級神への降格もありうる。
それは神だけでない、全ての猫の眷族たちが同様に格を落としてしまうのだ。
「勘違いすんなニャ! ウチの狙いは――」
§
突然闇がパイソーの街を覆った。
地上で怪我した冒険者の面倒を見ていたベヒーモスはその異変に顔を上げる。
同様に冒険者達もまた圧倒的な負の怨念に恐れ慄いた。
「一体なにが起きたニャア……?」
訝しむその時、ベヒーモスにある神々しい念が伝わった。
『ベヒーモス、ウチの声が聞こえとるかベヒーモス?』
「ニャニャ!? そ、その偉大なる声はまさか猫神様!?」
『そうニャ、単刀直入に言う。お前にウチの加護を与えてやるさかい、ニンゲン……やなくてジュンイチを救って撤退しろ!』
言うが早いか突如ベヒーモスの持つ猫の加護は猫神の加護へと昇格する。
それはこれまでに感じたことのない力、猫神の力の一旦がベヒーモスに流れ込んだ。
「ニャア……まさに恐悦至極ニャ! アニキ、今行くニャー!」
ベヒーモスは一瞬で地上を駆ける。
アニキの気配は旧市街にあった。
今なら師匠にだって勝てるんじゃないか、それ位気が強くなったベヒーモスは風となる。
すぐに強大な力を持つ死霊使いと、倒れて動かない白蛇を見つけた。
「アニキ!」
すぐに白蛇に駆け寄ると、白蛇を揺すって意識を確認する。
「ククク……そっちから来たか」
「ニャア……お前がアニキを!」
「そんな雑魚はどうでもいい、お前を俺の眷族にしてやろう」
「ほざけニャ!」
ベヒーモスはすぐにでも死霊使いに飛びかかろうとした。
だがすぐに死霊使いの手に持たれたリッチクイーンの首を見て、踏みとどまる。
「いかん馬鹿弟子め、カッカせず、状況を見極めんか!」
「少し黙れ」
死霊使いはリッチクイーンの首を地面に叩きつけると、踏みつける。
一切抵抗の出来ないリッチクイーンはただ死霊使いを睨みつけた。
「小僧が……!」
「くっ! 師匠ーっ!」
ベヒーモスは直ぐにでも助けたかった。
だが師匠の言う状況を見極めること、死霊使いは少ない戦力だが、それでも師匠を、そして敬愛するアニキを下している。
彼我戦力差ははたしてどちらに分があるか?
「くっ、師匠ごめんなさい!」
天秤は白蛇へと傾いた。
ベヒーモスは白蛇を咥えると、背中から翼を生やす。
「逃がすか馬鹿め!」
だが死霊使いは直ぐに魔法を放つ。
無数の蛇のような邪気は強烈な闇の波動を放って、ベヒーモスに襲いかかった。
ベヒーモスは防戦一方、飛び上がろうにも、複雑な機動を描く闇の蛇に苦戦していた。
「ククク、逃さんぞベヒーモス……む?」
その時だった。突然死霊使いを白い靄が包み込む。
靄はあっという間に濃霧となり、濃霧はベヒーモスを覆い隠してしまった。
「なんだこれは? 魔法か?」
然り、魔法だ。
《霧の魔女》という固有スキルは、旧市街に張り巡らされた水路からもうもうと霧を上げている。
「ベヒーモスさん、今のうちに」
丁度ベヒーモスの真下からあるネレイドの少女の声がした。
濃霧を操るネレイド、テティスは秘密裏に動いていたのだ。
「テティス、避難してなかったのかニャ?」
「一族の大半はミズチの湖に避難しました、私は様子を見るために……」
「ならテティスも避難するニャ! 一旦ル・ファーレまで後退するニャ」
テティスはコクリと頷くと、水路に溶け込んだ。
ベヒーモスは濃霧を盾に、白蛇を咥えたまま後退を開始した。
時に大陸歴1000年夏の終りの頃、栄華を極めんと急速発展した魔物街パイソーは、初めての陥落。
パイソーは元より、魔物の国が受けた被害は過去最大となる。
その衝撃は、周辺国にまで波及。
ドワーフ王国では、アンデット殲滅論が放たれ、モリブデン公国では来る決戦を恐れ、兵器や傭兵の雇用等で専守防衛に努める動きがある。
千年に一度の世界を巻き込んだ大イベント、七人の神に選ばれたプレイヤー達は次の千年の覇権の為に争う時代。
白蛇は気絶しながら、ただそんな戦乱の時代を憂いた。
神々が娯楽の為に多くの命をゲームの駒にしている。
きっと神々からすれば、テレビゲームでモンスターを倒すくらいの感覚なんだ。
あるいは国盗りゲームの実況を楽しんでいる。
ゲーム、全てはゲームなんだ。
クソくらえ! なにがゲームだ!
……なんて悪態を吐いても現状は変えられない。
世界がどうなろうと、結局一個人にはなにも出来ない。
それでもジュンイチは……世界の平和を願った。
ラブ&ピース、残酷で無慈悲で、問題のなにも理解していない滑稽な言葉だが、一人一人が、ニンゲンだって、モンスターだって願っても良いはずだ。
(戦争でしか……解決策はないのかな?)
真っ黒なジュンイチの深層心理。
なにも見えない、なにも感じない、死霊使いの放った《破滅の光》の影響か、全てが闇に閉ざされている。
だがそんな闇に、【希望】が語りかけてきた。
『諦めてはなりませんよ、元人の子よ』
それは強烈な光だった。
ただとても懐かしく、ジュンイチは涙してしまう。
(もしかして神様?)
光は頷いた気がした。
【人神】、人の子の祖であり、強く慈しむ女神であった。
だが何故? もうとっくにジュンイチは蛇神の眷族になり、人神の眷族ではなくなったというのに。
『蛇神と猫神にお願いしました。私は今でも貴方の神でありたいと願っています』
どうやらなにかあの二柱と取引でもしたようだ。
人神の情愛はまるで、親権を手放しても、子を愛する母そのものであった。
ジュンイチはふと、両親のことを思い出した。
高校を卒業して、直ぐに就職し、親元を離れてから、両親と顔を合わすのは年一回程度。
すっかり疎遠になっていたが、まさか白蛇になっているなんて夢にも思わないだろう。
(もし、もし許されるなら願いがあります)
『それは、なんでしょう?』
(両親を見守ってください、こんな親不孝者だけど、両親は両親ですから)
人神は少しだけ胸を痛めた様子であった。
元はと言えば蛇神と猫神の蛮行を止められなかったのが責任である筈なのに、ジュンイチはただ両親の事を願っている。
『その願い叶えましょう』
(感謝します)
人神はやはり、この蛇神の眷族を見捨てることは出来そうになかった。
だが人神に出来ることなんて殆どない、特にジュンイチには。
それでも人神はジュンイチの心の奥に、小さな【希望の欠片】を落としていった。
もし、ジュンイチがまた絶望に暮れる時、それでもちっぽけな勇気を持てるなら…………。
§
世界が変動していく。
とある古代遺跡に佇む巨大な大蛇ヨルムンガンドは眷族を使い、世界のあらましを観察する。
(白蛇様、わたくしは祈ることしかできません、この定めをどうかお許しください。どうか白蛇様に光あれ)
ヨルムンガンドのリサナには世界を見守るという役目がある。
リサナが動けるのは世界そのものを破壊しかねない力が現れた時のみ。
今神々の遊技が進行している、リサナはただ見守るしかなかった。




