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【コミカライズ連載中!】落ちこぼれ魔女のためのメルヘン  作者: 中村朱里
番外編

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【後日談こぼれ話・シズシラ視点】湯けむりに隠してひみつ

本編後日談の、もしかしたらあるかもしれないとあるこぼれ話のひとつです。

ぽちゃん、と、どこからか水音がする。

周囲はどこか甘くクセのある匂いの白い湯気ですっかり覆われていて、視界はお世辞にもいいとは言えない。

肌を撫でるあたたかくしっとりとした湯気に、ついついうっとりとした溜息を吐いてから、シズシラは両手を腰に当てて、「もう!」と声を張り上げた。

きらめく鉱物で覆われた洞窟にロウと響くその声に対する返事はない。

けれどそれで諦められるわけもなく、シズシラは深々と溜息を吐いた。


「ユオレイル、ユオレイルったら。そんなすみっこにいないで、こっちにいらっしゃいな」

「…………………………それ、本気で言ってる?」

「当たり前じゃない!」


洞窟のすみのすみのこれまたすみっこ、シズシラからとにかくできる限りこれ以上ないほど距離を取って、こちらに背を向けて、こちらをちらりとも見ようとしない、一匹の猫。

長きに渡る憂いから解き放たれ、ようやく真実の名前を取り戻した、シズシラの幼馴染であるヨル、もとい、ユオレイルである。

まあなんというかそんなこんなアレソレドレミの事情により再び自らに獣化の呪いをかけ、今日も今日とてワガママ愛され猫生活を満喫しているはずの、ユオレイルだ。


そんな彼のご自慢のふさふさつやめいていたはずの毛並みは、本来は星の流れを集めたかのような見事な銀のそれであったはずだ。

だがしかし今はそのきらめきは見る影もない。

べちょべちょのどろどろのぐちゃぐちゃに、泥まみれである。


そも、現在シズシラとユオレイルがいるのは、リュー一族の隠れ里から遠く離れた、とあるド田舎の山奥の洞窟である。

悪魔と契約を交わしたシズシラの解放、ただそれだけを望んだユオレイルが再び世界中に、前回の比ではないほどの勢いで、『まっとうなる善意の魔法』だなんて到底呼べない、本物の『自分勝手で理不尽な呪い』をまき散らした、とは、知っての通りだ。

かくしてシズシラは再び猫となったユオレイルとともにリュー一族の隠れ里を追い出され、その問題解決に従事することと相成った、とは、つい先日の話である。


なおその際、総出で見送りに来たかつての師である長老衆たちは「婚前旅行、楽しんでおいで☆」と無責任にもよってたかって騒ぎ立て、シズシラの母であるライラシラは「場合によっては去勢を覚悟せよ」となぜかユオレイルを脅し、シズシラのほうが震え上がる羽目になった。閑話休題。


かくして隠れ里を後にして、日中ばかりか夜を徹してほうきに乗る日々である。

今日も今日とて、目的地に向かって飛び続けていたのも、まあ当たり前に当然の話だ。

問題はその結果だった。

自らの飛行速度と、目的地への距離の目測を誤り、完全に休憩のタイミングを逃したシズシラは、落ちた。

ガクッとバランスが崩れたと感じた時にはもう遅かった。


――――シズシラ!!


大変珍しいユオレイルの慌て声が聞こえたと思ったら、そのまま、それはもうとんでもない勢いで直角に落下したのである。

月が浩々と輝き、星々がきらきらと歌う、大変美しい夜に、シズシラの悲鳴がとどろいた。


不幸中の幸いだったのは、落下した先が硬い地面ではなく、沼地が点在する湿原であったことだろう。

ここまで言えばお解りだろうが、つまるところ、ふたりは沼にドボンと落ちて、泥まみれになりながらも一命をとりとめたというわけである。


そして不幸中の幸いは続いた。

湿原の沼地を住まいとする水芭蕉の乙女達が、泥まみれでぐすぐすと半泣きになっているシズシラと、前述の通りべちょべちょのどろどろのぐちゃぐちゃの猫を憐れんで、少しばかり山に入った先にあるこの洞窟の存在を教えてくれたのだ。


かくしてシズシラとユオレイルは、泥まみれの身体を休めるために、ようやくこの洞窟までたどり着き、腰を落ち着ける運びとなったのである。


「……あの、あのね、ユオレイル……ごめんなさい、怒ってるよね?」

「怒ってないよ」


即答だった。

けれどいつも柔らかく甘い響きを孕んでいるはずのその声音はいつもよりも明らかに強張っていて、シズシラは引っ込んでいたはずの涙がまたにじむのを感じた。


「う、うそでしょ……! だからこっちに来てくれないんでしょう? 私がちゃんと休憩してたら、あなたがこんな目にあうこともなかったんだから」

「こんな目にあったのはシズシラも同じだし、僕だってきみとの夜間飛行を楽しんでて注意するのを忘れてたんだから同罪だよ」

「だ、だったら、どうしてこっちに来てくれないの? 来てくれないどころか、わ、私のこと、見てもくれないし……」


自分で言えば言うほど悲しくなっていって、しょんぼりと肩を落とすシズシラを、やはりユオレイルが見ることはない。

すみのすみのこれまたすみっこで、シズシラに背を向けたまま、やがて彼は、本当に、本当に本当に本当に、それはそれは重苦しい、これ以上ないほど沈痛な溜息を吐き出した。

そのあまりの深刻さに、思わずシズシラが薄い肩を震わせると、ユオレイルはこれまたやはり振り返らないまま「あのね」とため息交じりに言葉を紡ぐ。


「僕ときみは、恋人だよね?」

「えっ?」


何の話だ。

前触れなく問いかけられた確認に、涙が音を立てて引っ込んだ。

ぱちん! と大きくシズシラが目を瞬かせて口ごもると、「恋人だよね」と、そこはかとなくどころではなくドスの利いた声音で更に確認され、シズシラは反射的に姿勢を正す。


「う、うん!」


そう、そうだとも。シズシラと、ユオレイルは、幼馴染で、恋人だ。


シズシラにとってのまことの愛はユオレイルで、ユオレイルにとってのまことの愛はシズシラであると、もうちゃんと解っている。

今更のことすぎて確認するまでもないことなのに、どうしてここにきてそんな話をするのだろう?


思わず首を傾げれば、ユオレイルは彼らしくもなく声にならないうなり声を上げてべたんっと地面に突っ伏した。

どろどろべちょべちょの猫のその姿、なんとも情けなくかわいそうでかわいらしい。

ふふ、と思わずシズシラが笑うと、バッ!!!! と彼は勢いよく身を起こし、とうとうこちらを振り返った。


「だから!! いくらなんでも恋人と一緒にお風呂なんて入れるわけないでしょ!?!?」

「――――――――――へ?」


ユオレイルの切実極まりない悲鳴が、洞窟の中にわんわんとこだました。

対するシズシラは、ぽかんと固まった。


現状引き続き泥まみれのユオレイルと、シズシラの状態はまったく異なる。

洞窟のすみのすみのすみっこで小さくなっているユオレイルとは裏腹に、シズシラはのびのびと四肢を伸ばしている。

その白い髪も肌もすっかり綺麗なものだ。

当たり前である。


なぜならシズシラは、温泉に浸かっているのだから。


――山の洞窟に行ってごらんなさい。

――秘湯が湧いているのよ。

――魔女さん、猫さん、そこでその身を清めなさいな。


湿原に住まう水芭蕉の乙女達が口々にそう進めてくれた結果である。

魔法で泥の汚れを綺麗さっぱり落としてしまえたら楽だったのだが、それができたらシズシラは落ちこぼれだなんて呼ばれてはいない。

だからこその、温泉なのだ。


へとへとになりながら辿り着いた洞窟に着くなり、歓声を上げてシズシラは温泉に飛び込んだ。

対するユオレイルは逃げた。猫のくせに脱兎のごとく逃げた。

そしてすみっこで背を向けて、今に至る。


「お風呂じゃなくて温泉よ?」

「そこが問題じゃないよ」

「私、ちゃんと、身体に布を巻いてるのに?」

「それで済む問題じゃないよ」

「せっかく気持ちいいのに」

「じゃあシズシラが出て、ちゃんと服を着て、落ち着いてから、僕はひとりで入るよ」


なんともまあ、かたくなである。

一瞬こちらを見てくれたと思ったら、またそっぽを向いてしまうユオレイルに、シズシラは申し訳なくて仕方なくなったし、さびしさだってもちろん感じてしまう。


そりゃあ小さい頃だってさすがに一緒にお風呂に入ったことはなかったけれど、水浴びなら何度も一緒にした仲だ。

ユオレイルがシズシラの肌を見ないように気を遣ってくれているのは解るけれど、でも、シズシラだって馬鹿ではない。

ちゃあんと身体に布を巻いて、大切なところは見えないように隠している。

水着をちゃんと着ているのと同じようなものではないか。


このままユオレイルを放っておけば、身体が冷えてしまうし、泥がかぴかぴに乾いて綺麗に落とせなくなってしまう。

猫になってても綺麗ですてきなユオレイル。

シズシラのためにその姿を選んでくれて、シズシラのために今温泉に浸からないという選択をしてくれているというならば、こちらにだって考えがあるのだ!


「よし!」

「え? ッシズシラ!?」


ざばん! と大きな水音を立てて温泉から立ち上がる。

ユオレイルが驚きつつも固い意思のもとに絶対にこちらを見ようとしないのをいいことに、シズシラはぺたぺたともちろん裸足でユオレイルの元まで歩み寄り、泥まみれのその体を両腕で抱え上げた。


「し、しずしら、あの、ちょっと、しずしら!?!?!?!?!?」


慌てふためくユオレイルがなんとか逃げ出そうとするけれど、むぎゅぎゅぎゅっと胸に抱きしめて構うことなくシズシラはそのまま再びドボンと温泉に浸かった。


「ほら、気持ちいいでしょ?」

「いやあのきもちいいよそりゃあきもちいいようわやわらか……ってちがうあのそのえっといやだからうん、あ、あたた、かい、ね……」

「ふふふ、でしょう。はーい、それじゃあ綺麗にしていきますね~~」

「かんべんしてよ…………」

「聞こえませ~~ん」


目を閉じてぐったりとするユオレイルの毛並みに指を入れ、シズシラはわしゃわしゃとまとわりついていた泥を落としていく。

石鹸がなくとも、さすが水芭蕉の乙女が教えてくれた秘湯なだけあって、驚くほど簡単に汚れはほどけていく。


いくら猫の姿であるとはいえ、そのやわらかな身体だってほうきに乗り続けて凝り固まっているに違いない。

よし、と気負いを入れて、マッサージもかねてさらにもみもみとユオレイルの身体を洗いながらもみしだく。


「ひどい……僕が血赤珊瑚の長に本当に去勢されたらどうするの……困るのは僕だけじゃなくてもシズシラもなのに……」


目を閉じたままぐすぐすとわざとらしく鼻を鳴らして、ユオレイルはシズシラにされるがままになっている。

あら、とシズシラは心外そうに瞳を瞬かせた。


「大丈夫よ、お母様はご冗談がお下手なだけだわ。よく意味は解らなかったけれど、まさかこんなことで、ええと、去勢? なんてするわけないじゃない。ユオレイルったら心配性ね」

「いや、あれは十割本気だった。血赤珊瑚の長はやる。絶対にやると言ったらやるお方だよ」

「そんなことないと思うんだけどなぁ」

「血赤珊瑚の長は、シズシラには甘くて、シズシラに関することには厳しいんだよ。まあ、僕も、相当甘やかしていただいたけれど」

「ふふ、でしょ?」


ほら、やっぱりライラシラ・リューは、シズシラの自慢のお母様なのだ。

強く、美しく、誇り高く、そして誰よりもお優しい、大好きなお母様。

それがライラシラ・リューである。


ユオレイルがリュー一族の隠れ里にやってきて以来、その世話の担当も彼女が担当したが、ライラシラはシズシラとユオレイルのことを分け隔てることなく、平等に愛し慈しんでくれたとシズシラは思っている。

身内の欲目、かもしれないけれど。


ああ、そうだ。


「まだまだ先の話だけれど、今度こそ全部終わったら、お母様は私だけのお母様じゃなくなっちゃうのね」

「うん?」

「……あなたのお義母様にも、なるって、ことよ」

「!!」


ぎゅっと固くつむられていたユオレイルの双眸が、ばっちん! と開いた。

青と黄色の瞳がまんまるになってこちらを見上げてくるものだから、シズシラは湯あたりのせいではない理由で顔が真っ赤になっていくのを感じる。


「ごめんなさい、忘れて」

「やだ」

「ユオレイル!」


シズシラが真っ赤になったまま抗議の声を上げても、ユオレイルは構うことなく、猫のくせいになんとも小癪な笑みを浮かべて、まっすぐにシズシラの真っ赤な顔を、いとおしげに見上げてくる。

猫のくせに。


「ふふ、ふふふふ、そうか、そうだね。ああそうか、血赤珊瑚の長を、僕が、『義母上』って呼ぶのか。はは、どんな顔をなさるかな」


楽しみができた、と、くふくふと笑うユオレイルはすっかり上機嫌である。

そのままそれとなくシズシラから離れ、ふよふよと温泉を泳ぎ出そうとした彼を、シズシラは両腕を伸ばして引き寄せた。

途端にぎくっと強張るユオレイルに、シズシラはにっこりと笑いかける。


「まあでも、あなたはまだまだ猫さんだもの。こんな風にたまには一緒にお風呂も素敵じゃ……」


ない? と、そう笑いながら提案しようとした、はずだった。

けれど、その言葉は最後まで紡ぐことは叶わなかった。


腕の中のユオレイルの瞳が、ぎらりと剣呑に輝いたからである。


まるで獲物を前にした大型肉食獣のような、本日いちばんのぎらつき方に、シズシラが、「え、あ」と口ごもると、ユオレイルは シズシラの腕の中で、牙をちらつかせて笑った。


「あのね、シズシラ」

「は、はい。なんでしょうか」


何故か敬語になるシズシラである。


「僕はね、そういうシズシラの迂闊なところが好きだよ」

「え、ええと、うん」

「シズシラのそういうところは僕相手にだから発揮されるって言うのも解ってるし、そういうところをね、僕は利用しているしね、だからこそ都合のいいときっていうのが往々にしてあるから、別に、直してほしいわけでもない」

「……馬鹿にしてる?」

「ううん、愛してる」


にっこりと大真面目にユオレイルは続けて、そして。


「でも」


シズシラの腕の中で、ユオレイルが前足を突っ張って背筋を伸ばし、そのまま彼の鼻先、いや口と、シズシラの唇との距離が、ゼロになる。



――――――――――!!



そう、口付けを交わしたら、それはすなわち、とシズシラの理解が完成するのと同時に、湯けむりが一気に吹き飛んだ。


「男として意識されていないっていうのは、本当に本当に面白くないから、この機会にちゃんと教えてあげようね」

「~~~~~~~~~~~~っ!?」


濡れた流星を紡いだ銀の髪、星々の加護を宿した青と黄の双眸、水もしたたるいい男。

すっかり人間の姿を取り戻したユオレイルが、今度は彼こそがシズシラを腕に閉じ込めて耳元でささやいた。


猫の姿とはまるで異なる、シズシラよりも大きくて力強くて頼りになる、それがなぜかいまはものすごくなんだか落ち着かない、男の人の腕。

決して太くはないはずなのに逆らうことができないその腕の中に閉じ込められ、シズシラはごぎゅんと息を呑んだ。



――もしかしてもしかしなくてもこれってとってもまずいのかも!?



言葉にならない悲鳴を上げながら、シズシラはようやくその現実に気が付いた。

しかし、もう遅い気がする。遅すぎる気がする。

でもでもでもでも、このままでなんていられない!!


「お、お母様に去勢されちゃうわよ!?」

「シズシラが黙っていれば解らないよ。それに」


先程とは打って変わって手のひらを返したシズシラが、身にまとう布をかき集めてお湯の中で身をよじる。

ぱしゃんぱしゃんと力なくお湯が跳ねるが、気にすることもなく、シズシラのなけなしの抵抗すべてをたやすく封じて、にこにこにこにことユオレイルはとてもとても楽しそうに笑った。


「シズシラが『義母上』に言えないようなことなんて、これからどんどん増えていくだけなんだから」


だから安心して? と駄目押しするユオレイル(もうすぐ十八歳青少年、立派な男の子)に、シズシラは「ぜんぜんあんしんできないいいいいいいいっ!」と言葉にならない悲鳴を上げたのであった。


そのあとの顛末を、シズシラは「いいいいいいい言えるわけないじゃない!」と、決して語ることはなかったというし、ユオレイルもまた、「僕とシズシラのひみつだもの」とこれまた決して語ることはなかったのだとか。


なお蛇足ではあるのだが、この後、何故か「反省します」と書かれた札を首から提げた銀の猫を連れた白髪の魔女が某国に現れたらしい。


繰り返そう。蛇足である。

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