後編
アーロンがヴァイオレットを探して生徒会室を覗き込むと、エリアスと楽しげに談笑するヴァイオレットの姿があった。絵になる2人の姿に、そして以前は自分だけに見せていたヴァイオレットの心を許した様子の笑顔を見て、今更ながら後悔が込み上げる。
「ヴァイオレット、少しいいかい?」
「あら、アーロン。どうしたの?」
ヴァイオレットがエリアスを見つめると、エリアスは了承を示すように微笑むと、行っておいでと彼女に声を掛けた。
廊下に出たアーロンは、近くに人気がないのを確かめてから、ヴァイオレットに切り出した。
「ニーナのこと、君が言っていた通りだったよ。せっかく君が僕に忠告してくれようとしていたのに、最近その……君を避けてしまっていて、悪かった」
ヴァイオレットがふわりと笑った。
「……幼馴染みが帰って来てくれたようで、嬉しいわ。私、さすがに相手がニーナ様じゃ、アーロンのことを心から祝福できなかったから」
幼馴染み、と、ただ事実を言われただけなのに、そんな彼女の言葉に、アーロンは少なからず心の痛みを覚えていた。
「今更こんなことを言うのは、間違っているのかもしれないけれど。
……ヴァイオレット、君にとって、僕は単なる幼馴染みかい?」
ヴァイオレットは驚いたように、アーロンの言葉に目を瞬かせた。
「アーロン、それはどういう……」
「君を、失いたくないんだ。僕が悪かった」
必死に熱の篭った瞳でヴァイオレットを見つめるアーロンから、ヴァイオレットが困ったように目を逸らした。
「失うなんて、大袈裟ね。私が誰と婚約したって、貴方が大切な幼馴染みであることに変わりはないわ」
「でも、僕はようやく気付いたんだ。
僕は、君のことが……」
「それ以上は聞けないわ」
ぴしゃりと遮ったヴァイオレットの言葉を聞いて、アーロンはすっと自分の顔から血の気が引くのを感じた。
ヴァイオレットは、目を伏せたままで続けた。
「過去の話として聞いてね。
貴方も気付いていたと思うけれど、私、幼い頃からずっと貴方のことが好きだったわ。
人気者の貴方に釣り合うようにならなきゃって、私なりに必死だった。でも、貴方がほかの女の子に微笑みを返す度にざわつく心を隠すのに、だんだん疲れて来ていたの。特に、遠慮なく貴方に近付くニーナ様には、私、醜く嫉妬してしまって、そんな自分がほとほと嫌になったわ。
ねえ、知ってた?貴方とニーナ様が親しくなる前に、ニーナ様、エリアス様にも近付いてたのよ」
「それはさすがに、知らなかったな」
見境のない様子のニーナにまんまと乗せられていた自分自身にも呆れて、アーロンは苦々しく笑った。
「その時は、私の友人の婚約者が彼女に奪われたという話を聞く前で、たまたま、ニーナ様がエリアス様に告白するのを見掛けてしまったのだけれど。
ニーナ様、エリアス様にまったく相手にされないのに痺れを切らしたのか、直接告白していたのよ。でも、エリアス様は、自分には好きな女性がいるからって、はっきり断っていたわ。
その場に偶然居合わせてしまった私が慌てて去ろうとしていたら、彼と目が合ってしまって、エリアス様は気まずそうに頬を染めていたの。
その時は特に何も思わなかったけれど、その後ニーナ様が貴方と親しくなって、苦しい思いを抱えるようになってから、貴方と対照的だったエリアス様の態度を思い出して、ついエリアス様に言ってしまったの。一途なエリアス様に愛されている方は幸せですねって」
「……それが、君だったと?」
「ええ。彼に気持ちを告げられた時には、想像もしていなかったから、驚いたわ。でも、ニーナ様に嫉妬する自分が嫌になって、沈んでいた私をいつも励ましてくださったのはエリアス様だったから、彼の気持ちは素直に嬉しかったの。
アーロンのことが好きだから、今は応えられないって返事をした私にも、それでも構わないからって言って、私の気持ちが落ち着くのを待っていてくれて。
彼からの婚約を受ける前に、もう一度貴方と話したかったのだけれど、冷えた目で私を見る貴方を見て、確信したの。私、エリアス様といる方が幸せだって」
「……」
口を噤んだアーロンに、背を向けかけていたヴァイオレットが振り返った。
「ごめんなさい、こんなこと、今更貴方に言う必要はなかったのかもしれないわね。
……私、こんな風に理屈っぽいから、やっぱり貴方の好みには合わないと思うわ」
若干の皮肉の混じった、そして傷付いた表情を滲ませた彼女の言葉に、アーロンははっとした。
ニーナといた時に、自然な感情の赴くままに自由に行動するニーナは魅力的だと、理屈っぽい女性はあまり好きじゃないと、そう話していたことを思い出したのだ。
確かにあの時、いつも理路整然と物事を説明しようとするヴァイオレットのことを頭の片隅に思い浮かべていたのは否定できなかった。それは、彼女の長所と表裏一体でもあった筈なのに、ニーナと比べて可愛げがないと感じてしまっていた部分もあった。それを、あの時側にいた彼女も、きっと勘付いていたのだろう。
「違うんだ、あれは……」
「貴方なら、これからいくらでも素敵な女性を選べると思うから」
最後に一度微笑んだヴァイオレットは、もうアーロンのことを振り返ることはせずに、生徒会室へと戻って行った。
***
「エリアス様、お待たせしました」
「ヴァイオレット。……話は済んだのかい?」
「ええ。お蔭様で」
少し躊躇った様子を見せてから、エリアスがヴァイオレットに尋ねた。
「君はもう、本当に彼のことは……」
「はい。彼は私の幼馴染みですが、それ以上でも以下でもありませんから。
今は、私はエリアス様しか見ておりません。それは、十分にエリアス様もご存知でしょう?」
ほっとした様子のエリアスは、優しくヴァイオレットの肩を抱き寄せた。
「……よかった」
「私も、アーロンに言いたいことを言えてすっきりしたところです。
……でも、エリアス様、こんな私で本当によろしいのですか?
私、理屈っぽいですし、それに結構嫉妬深いですよ」
「僕には君だけだから。……それに、僕たちは似た者同士だと思うよ」
「そうでしょうか?」
「僕が理屈っぽいことは君も知っていると思うけれど、意外と僕も嫉妬深いみたいだ。
君がさっき彼と2人きりで話しているというだけで、落ち着かない気持ちだった」
「ふふ。好きな人に嫉妬されるのって、こんなにくすぐったい気持ちになるんですね」
頬を赤らめたヴァイオレットのことを、エリアスは愛しい気持ちで抱き締めた。
美しく努力家で、しっかりとした彼女といる時間は心地良く、生徒会で一緒に活動するようになってから、今まで特に女性に興味を感じることのなかったエリアスが彼女に惹かれるようになるまでに、そう時間はかからなかった。
よくいる甘い笑顔ですり寄って来る女生徒たちとは違い、知性を感じる彼女の言葉には裏表も嘘もなく、そこも彼女を信頼できると思った所以だった。けれど、ヴァイオレットがアーロンのことを目で追う姿を見る度に、エリアスは初めて心が締め付けられるような嫉妬を覚えていたのだ。
いくら多くの女生徒に好かれたところで、たった1人、愛する女性に振り向いてもらえなければ、何の意味もない。そう気付いたのは、彼がヴァイオレットに出会ってからだった。
エリアスと同じことにようやくアーロンが気付いた時、アーロンは、既に失ってしまったヴァイオレットの姿を、痛む心と共に、ただ遠くから見つめることしかできなかった。
ちょっとした思い付きで書いたものですが、最後までお付き合いくださってありがとうございました!
短編用に思い付いた話の多くは、短話連作「神官カトリーナの託宣帳」に投入しておりまして、もしこちらも読んでいただけたら、とても嬉しく思います。