第十話 其の二 強さを知りたい
フェッサの領地の端、港町の沿岸でロッシュは海を眺めていた。
人間界で見た海とそう変わらない、規則的に寄せて返す波の音はぼんやり聞いていると意識を持っていかれそうな気になる。
「ここにいたのか、ロッシュ」
声をかけられ、振り返ればこちらに歩いてくるギョウブの姿があった。海から吹いてくる強い風がギョウブの髪を乱し、どことなく憂いている表情が妙に絵になる。
髪を押さえながら、ロッシュの隣まで来たギョウブは、果実のジュースが入った容器を差し出した。それを受け取ると、どちらともなく海を眺めながら腰を下ろした。
「そういえば聞いたか?魔界の海には塩分が含まれていないそうだ」
「へぇ、それでか」
言われてみれば、潮風特有のベタつくような感じも無ければ、潮の香りもしない。海を見ているハズなのに、何か違和感を感じていたのはそのためか。
「他の皆は?」
「久し振りの船旅にはしゃいでる。もう、乗船してるんじゃないかな?」
「そうか……」
呟くように答えたロッシュは、再び海へ目を向ける。ほんの少し、沈黙の時間が流れた……。
「船か……」
「うん、船だ……」
ハアァァァ……と、二人は大きくため息をつく。
「酔うんだよなぁ……」
これから始まる地獄を思い、ガックリと項垂れた。
「それじゃあ、間も無く出港するが準備はいいかね?」
今回、乗船する船の副船長であるエルフのドルホがロッシュ達を見渡して告げる。その声や態度には、少々、トゲのような物があった。
マリーナ・エルフ、もしくはパイレーツ・エルフと呼ばれる彼等は、大森林のバーバリアン・エルフに匹敵するほど長身で頑強な肉体を持ち、海辺を生活圏とする種族である。
誇り高いと自称する彼等は、通常のエルフを「陸エルフ」と呼びライバル視する事がしばしばあった。
ちなみに、魔界にはダークエルフしか普通のエルフはいないのかと今までの価値観が破壊されたとはロッシュの談。
ともかく、彼等は今回の航海にいわゆる「陸エルフ」達を従えるロッシュ達が自分達を従える立場で乗船しているのが気に入らないらしい。
主義主張や価値観はそうは変えられないものではあるから、マリーナ・エルフの気持ちは解る。だが、フェッサに属している彼等は共にロッシュの元で働く事になるのだから、いがみ合う様な事は無くさなければならない。そういった調整も上に立つものの役目というやつだろう。
わざと波の荒いポイントを航行されて船酔いが悪化したらたまったものではないし……と、内心思いながらも、威厳を保つために表情には出さないよう努力する。
そんな訳で、魔界のエルフに対してもっとも解りやすい手段である、「肉体言語に訴える」事にした。
「ドルホって言ったかな?どうやら僕らにいまいち良からぬ感情があるみたいだけどこの際だ、腹を割って話してみないか?」
「ふん……そうですな。まぁ、ハッキリと言わせてもらえば、我々はあなたの実力を信用していません」
ここに来て、少しくらいは実力が知れわたってきていると思っていたのに……。ちょっと落ち込むロッシュであった。
そんな様子を伺っていた一人の男が甲板にひょっこりと現れた。
「何やら面白そうな事をやってるみてぇだな」
その声に、ドルホが顔色を変えて振り返る。ロッシュもその声の主の方を覗き込むと、視線の先にいたのは初老とよんでも差し支えない、エルフにしては珍しく髭を蓄えた一人の男。
「せ、船長!ス、スイマセン勝手なマネを……」
恐縮すドルホに対し、船長と呼ばれたエルフは豪快に笑って手を振った。
「構わん、構わん!お前らからの信頼を得られないなら客人に問題があるんだろうよ」
あえてロッシュ達を客人と指摘する船長の言葉からも、ロッシュ達に対する不信感が感じられた。
さて、ダラダラと長引かせるつもりはない。ロッシュはドルホ達に自身の力を見せるべく、テスト内容を示すように促す。
「簡単さ、今からコイツで呼び出す魔獣を倒してみればいい」
懐から取り出した小さな笛を船長はロッシュ達に見せる。
「これは海が無風の時に船を引かせる魔獣を呼び出すアイテムだ。近くにいる魔獣をランダムに使役するんで、どんな魔獣が来るかは運しだいだがな」
ニヤニヤとしながら見学に集まってきた船員のエルフ達が、これ見よがしに賭けを始める。その大半が、ロッシュ達だけでは手に負えず、エルフが止めを刺すといった内容だ。
舐められた物だと思いつつも、さっさと呼び出してもらうことにした。
ピイィィィ……と、甲高い音が鳴り響き、辺りに溶けていく。
しばらくの沈黙の後、穏やかだった。海面に白い泡が立ち込めはじめた。
ブクブクと泡立つ海面から頭を出したのは、巨大なマンボウに似ていた。
「ほう、『蛙マンボウ』か……」
ドルホが顔を出した魔獣を見て呟く。
文字通りマンボウから蛙の手足が生えたようなこの魔獣は、温厚で動きも鈍い。しかしその力はかなりの物で、巨大帆船でも悠々と牽引していく事ができる。
「まぁまぁの……」
「いや、まだだ」
言いかけた船長の言葉をロッシュか遮る。その言葉を肯定するように、蛙マンボウの胴体から上のみが浮かび上がってきた!
大量の血に海面が赤く染まる。その光景に、船員達がざわめき浮き足だった。
やがて、蛙マンボウの半身を遥かに越える巨大な岩を思わせる何かが水面から姿を現す。縦の亀裂が入り、左右に裂けたことでそれが甲殻類のハサミなのだと知れた。まるで周囲の者達を威嚇するように、ガチンガチンと火花を散らしながら開閉を繰り返す。
「あ……ああ……嘘だろ……」
愕然としながら船長がへたりこむ。
「か、『蟹獰落』だ……」
それは近海の主、周辺の者から実在する悪夢と恐れられる蟹の魔獣の名であった。




