第二十話−冷たいナイフ−
あれから何時間が経ったのだろう……?
僕は、もともと車に酔いやすいせいもあってか、緊張と恐怖が混ざり合って、かなりの吐き気に見舞われていた。 今にも吐きそうだ。 さっきから、何度も口の中がすっぱくなっている。
僕が車に乗せられている間、何度も運転席のほうへ向かって「どこへいくんですか?」と話し掛けたが、彼が何か返事を返してくることは無かった。
そのうち、僕もあきらめて、話し掛けるのをやめた。
そのあとも、車はしばらく走りつづけた。
もう吐き気も限界まできたところだ。戻さないようにこらえているのが、やっとだという頃に、車はようやく停止した。
彼は一度外に出て、僕がいる後部座席のドアを開けてくれた。
車から降りようとしたとき、彼は僕の足に結ばれている縄を解いた。
彼に引っ張られて外に出るとき、僕は彼が意外とやさしい人なのかな……と思ったりもしたが、 それは彼が本性を見せるまでの淡い幻覚に過ぎなかった。
時々段差につまづきそうになりながらも、彼にリードされて2,3分(と、言っても感覚的にだが)歩いた。 その後、僕たちは室内に入った。(っぽかった)
室内に入るときは、リトルが先にドアを開けてくれて、つまづかないようにしてくれた。
その後も何分か歩かされた。途中でどこか見覚えるあるようなにおいの場所を辿ったかと思いきや、そのうち、埃臭さと妙な甘い香りがまざりあう、なんともいえない場所にやってきた。
そこは、今まで辿ってきた場所とはうって変わった静けさだった。車のエンジン音さえ聞こえない。
カツンカツンというリトルの淡々とした足音と、そのあとをおぼつかない足取りで進む僕の足音だけが、室内に響く。
やけに埃臭くて甘い香りのする場所に入ったあと、ある程度中まで進んだところでリトルは立ち止まった。
「さあ、前に出ろ」
僕は、どういうことなのかわからず、ちゅうちょして後ろから押される背中にフッと力を入れた。
「え、どういうこと?」
おびえた声で僕は彼に聞いた。
すると、リトルは”いいから、早くしろ”と僕をせかしてもう一度僕の背中を押した。
「適当なところで立ち止まればよい」
「ころばないよね?」
「大丈夫だ」
そんなことを言われても、僕は心配だった。
目隠しを去れているから、手探りで進むしかない。
もしやと思って、転ばないように足を引きずるようにして歩いた。
3,4歩進んだところで足元の感覚がやわらかくなった。 まるでふかふかのじゅうたんの上を歩いているようだ。
そんな、じゅうたんで出来たのような道を歩み進んでいくと、あるところまできたところで、リトルが「止まれ」と言った。
僕が立ち止まると、つづいて
「椅子に座れ」
という指図が下された。
手をふさがれているから、手探りをすることができない。
僕は椅子の位置を、足で慎重に確かめながら、そっと腰をおろした。
まとわりつくようにフカフカしている。高級そうな椅子だ。
でも、ちゃんと彼が言ったとおり、そこにそれがあったからよかった。
だって、もしも座ろうと思って腰をおろしたときに、椅子がそこに無くて尻餅をついたら格好悪いじゃないか。
いや、こんな目隠しをされて何処につれてこられたのかもわからないのに、格好いいだの悪いだのを気にしてなどいられないか。
僕には、これからされることが一体どんなことなのか、想像もつかなかった。
僕が椅子に座ると、彼は改まった口調で、こう言った。
「魔術師になることに誓を立てよ。 さすれば、お前の身を取り囲むものから解き放ってやろう」
そんなことを言われて、「はい」と言う意外に、なんと答える?
「は……」
いや、ちょっとまて。仮にここで僕が「はい」といって魔術師になったとしたら、一体どんな人生が待っているのだろう? いや、人生、だなんて、すぐに決められるものではない。
しかし、”魔術師”――……と聞いて、想像するもの。
すごい技を使えるようになるのかな。もし、そうだとしたら魔法なんて絶対にありえないって言ってた頃の自分が馬鹿みたいだ。
いや、そういう風に考えるのも、今は違う? あれ、おかしいな。 極限状態が続いたせいで、頭が変になってきているのか?
しばらくの間、沈黙が続いた。 できることなら、今すぐにでもここを抜け出して、家に帰りたい。
しかし、その時、フッと冷たいものが僕の首元に触れるのを感じた。
―――冷たくて―――するどい、鋭利なもの―――……そう、ナイフだ。
「答えを下せ」
落ち着きはらった、冷酷な声が聞こえる。 あんな馬鹿力の相手を目の前にして、そんなことができるワケ、ない!
しかも、ナイフをつきつけられて……。”いいえ”と答えれば、きっと彼に殺される。
生きるか、死ぬかだ。




