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積み重ねたものの先に

変わらない日々の中で、

同じことを繰り返しているように見えても——


その一つ一つは、確かに積み重なっていく。


気づかないまま過ぎていく時間も、

誰にも見られていない努力も、


いつか、形になる日が来る。


——これは、そんな積み重ねの先にあるものの話。

少しだけ、時間が経った。


季節は巡り、暮らしは落ち着いている。


ナナの仕事は、変わらない。


薬を作り、商業ギルドへ納品する日々。

時折、冒険者に同行して素材採取へ向かい、

街では非常勤の治療師としても呼ばれる。


積み重ねた分だけ、信頼は増えていた。


納品は安定し、品質は常に高い。


ギルドでのやり取りも、自然とスムーズになっている。


「今日も問題ありません」


穏やかな声。


リオルドが書類を確認する。


「ええ、いつも通りね」


ナナは短く答える。


「次もよろしくお願いしますね」


小さく、互いに笑みを返す。



半年ほど前。


一通の手紙が届いた。


ナナは封を切る。


見慣れた文字。


『しばらく手紙書けなくてごめん。

ちょっとバタバタしてたんだ。』


思わず、少しだけ口元が緩む。


『セナ、喧嘩したんだって?

すごい、成長してるじゃん。』


ふふっ。ナナは小さく笑う。


『ナナも元気そうでよかった。

体に気をつけて。』


少しだけ、視線がやわらぐ。


『あ、そうそう。

第3騎士団に引き抜かれた。』


ナナは一度、読み返した。


(さらっと書くのね……)


『引っ越しとかはないから住所そのままだよ。

またしばらく忙しいと思うけど、手紙ちゃんと読んでるから。』


ナナは、そっと手紙を畳んだ。


「……忙しそうね」


静かな声だった。


それからも、手紙のやり取りは続いている。


頻繁ではない。


けれど、途切れることはなかった。


ナナが書く内容は、ほとんど決まっている。


セナのこと。


今日はこんなことがあった。

こんなことを言っていた。

こんな風に笑っていた。


気づけば、そればかりを書いている。


さらに、時が流れる。


ナナは机に向かい、手紙を書いている。


ふと、視線を上げる。


窓の外。


広場が見える。


子どもたちが集まっている。


その中に——


セナの姿があった。


少し背が伸びている。


動きも、以前より落ち着いていた。


二人の子どもが、言い合っている。


セナは、その間に入っていた。


宥め、それぞれに顔を向けながら頷く。


少し考えて、


短く言葉を返す。


強くは言わない。


根気強く、聞いては話すを繰り返す。


やがて、


二人はしぶしぶといった様子で、離れていった。


ナナは、ほんの少しだけ目を細めた。


視線を、手元に戻す。


(……あの子)


ペンを、ゆっくりと走らせる。


『あの子、少し変わったみたい。』


少しだけ考えて、続ける。


『この前のことがあってから、

自分なりに考えているみたい。』


手が止まる。


もう一度、窓の外を見る。


セナは、また別の子に声をかけていた。


(きっと——)


再び、ペンを動かす。


『きっと、見たら驚くわよ。』


ふっと、小さく息をつく。


そのとき——


窓の外を、小さな影が横切った。


「まてー!」


元気な声。


ノエルだった。


(そういえば——)


少し前のことを、思い出す。



広場の真ん中で、


小さな影が元気よく走り回っていた。


ノエルだ。


「まってー!」


セナの声が響く。


「だいじょぶー!」


振り返りもせず、両手を広げて走っていく。


「ノエル、そっち行ったら危ないって!」


セナが声を上げる。


でも——止まらない。


「あっ、そっち畑——」


レオが笑いながら追いかける。


「だいじょぶよー!」


「ダメダメ!ーーレオ!リク!止めてよ!」


レオの横で、


リクが少し遅れてついてくる。


「……あっち、むしいるよ……」


状況は、まったく変わらない。


「ちょっと、待ってってば……!」


セナが手を伸ばす。


けれど届かない。


そのとき——


「ほら、ダメよ」


サラの声が飛んだ。


ノエルをひょいと抱き上げる。


そのまま、くるりと向きを変える。


「勝手に走らないの」


「危ないでしょ」


「えへへー」


「笑って誤魔化してもダメよ」


優しいがきっぱりとした声。


レオが苦笑する。


「はーい……」


リクも小さく頷く。


セナは、その場に立ち尽くしたまま、


少しだけ息を切らしていた。


サラがちらりと見る。


「セナも、目を離しちゃダメよ?」


「……うん」


「レオもリクも笑ってないで、ちゃんと見てて」


その腕の中で、


ノエルが笑う。


「ねーね!」


「だいすきー!」



視線を、手紙に戻す。


『楽しくやっているわ』


それだけを書いて、


ペンを置いた。


静かな時間が流れる。


窓の外では、


今日も子どもたちの声が響いていた。



そんなある日、

商業ギルドから、呼び出しがかかった。


普段の窓口ではなく、二階へ通される。


静かな廊下。


リオルドは扉の前で足を止めた。


「こちらです」


ノックの後、扉を開ける。


「連れてきました」


そのまま一礼し、下がる。


ナナが中へ入ると——

後ろで、扉が静かに閉まった。


机の向こうに、一人の男。

その隣に、見慣れない男が立っている。


「あなたがナナさんだね?」


断定するような声。


「はい」


ナナは小さく頷いた。


「本日は、確認したいことがある」


「——“流環整調薬りゅうかんせいちょうやく”を知っているか?」


ナナは少しだけ考え、答える。


「はい」


「材料は?」


迷いなく口を開く。


風精草(ふうせいそう)清水花(せいすいか)、根系の薬草を数種、調整に光系の素材を少量——」


わずかな沈黙。


「……作り方も、分かるのか?」


「はい」


一拍。


ナナは、首を傾げる。


「必要でしたら、お話ししますが?」


空気が、変わる。


男はゆっくりと息を吐いた。


「ナナさんの知識が確かなことはわかった」


わずかに、空気が緩む。


「……この先の話は、貴族案件になる」


空気が、張り詰めた。


「聞けば、断れない」


視線がまっすぐ向く。


「——どうする?」


ナナは、すぐには答えなかった。


ほんのわずかに、視線が落ちる。


(……セナ)


頭をよぎるのは、いつもの光景。


広場で笑う姿。


小さな背中。


静かに、息を吐く。


——けれど。


「……その薬」


ナナは顔を上げた。


「魔力停滞症……正確には、魔力循環停滞症ですね?」


「……成長期に、起きやすい病気です」


空気が、止まる。


ギルド長の目が、わずかに細まる。


隣の男も、初めて明確にナナを見る。


ナナは、それ以上は続けない。


ただ、静かに視線を受け止める。


ナナは、ほんの一瞬だけ目を伏せる。


(……放ってはおけないわね)


小さく、息を吐く。


それから、


顔を上げた。


「……受けます」



隣の男は貴族だった。


その男から、事情を聞いた。

ギルド長からは、報酬についての説明がある。


無駄のないやり取りだけで、話は進んだ。


そして——


「娘を、頼む……!」


絞り出すような声だった。


ナナは、まっすぐに頷く。


「最善を尽くします」



一度帰宅し、セナとハンナに説明した。

詳しくは言えなかったが、二人は何かを察して了承してくれた。


必要なものだけを持ち、ナナはすぐに家を出た。

足を速め、そのまま商業ギルドへと戻る。



その日のうちに、ナナは屋敷へ向かった。


通された部屋は、静まり返っていた。


豪奢だが、空気は重い。

——息を潜めたような静けさだった。


ベッドに横たわる令嬢。


——歪な浮腫み。


ナナは近づき、静かに観察する。


左右差。

皮膚の張り。

そっと指で押す。


戻らない。


「……流れていない」


小さく呟いた。


食事、水分、排出。

一つずつ確認する。


どれも問題はない。


「……女性特有の不調は?」


使用人が静かに答える。


「大きな乱れはございません」


ナナは頷いた。


「……やはり、魔力の滞りですね」


自分の中の知識と擦り合わせるように、頷く。


その様子を、隣の医者が見ていた。


(……そこまで見るのか)



調合用に整えられた部屋へと移る。


ナナはその部屋をざっと見回し、必要な道具が揃っていることを確認した。


簡易炉に火を入れる。


「これから作ります。手順はすべてお伝えします」


医者が筆を取る。


「葉は裂いてください。断面を増やします」


「ただし、潰さないでください。濁ります」


「温度は上げすぎないでください。水面が揺れる程度で」


「香りが変わったら、次に進みます」


一つ一つ、言葉にする。


理由と共に。


途中、手が止まる。


「……まだです」


誰かが息を呑む。


「ここで触ると、崩れます」


ただ、待つ。


やがて、変化が訪れる。


「——今です」


最後の一滴。


静かに落とす。


「……できました」


医者は、しばらく無言だった。



令嬢の父親をはじめ、屋敷の者が固唾を飲んで見守る中、


「お食事はおすみですか?体調に変化はございませんね?」


ナナは、淡々と告げる。


「こちらがお薬になります。この小瓶一つ、全てお飲みください」


令嬢が薬を口にする。


静寂。


「……あれ」


小さな声。


「思ったほど、苦くありません」


少しだけ、戸惑うように。


「……少し、甘い……?」


ナナは頷く。


「そうですか」


医者が呟く。


「……体が受け入れているのか」


ナナは腕を確認する。


赤みなし。


呼吸も安定。


「……問題ありません」


「食後に、小瓶を一つ。日に三度」


「状態が変われば、量を減らしてください」


「肌が落ち着けば二度に。むくみが引けば一度で」


「最低でも二ヶ月は続けてください」


「無理に流し続ける必要はありません」


「体が自然と循環を覚えます」


「……魔力が多い方に、見られる病気です」


「無理に止めず、循環が安定するまでは続けてください」


「……治るんですね……!」


「間違いなく」


令嬢が泣き崩れた。


父親が、そっと抱きしめる。


ナナは一礼をし、静かに部屋を出た。



調合室にて、ナナは医者と手順をおさらいしていた。


「ここの材料でできる分は作りました」


「およそ一週間分あります」


「ですが……それでは足りません」


「追加で材料を取り寄せるよう、私から旦那様に伝えておこう」


医者が任せろと頷いた。



三日後。


経過を見るために、ナナは屋敷に泊まり込んでいた。


肌荒れが、落ち着き始めた。


令嬢の表情が明るくなる。



五日後。


令嬢の笑い声が、屋敷に響く。


追加の材料が届く。


ナナの監修のもと、王都の医者が薬を作る。


「……まだです」


「その反応が出た時は、まだ触らないでください」


やがて。


「……できた」


ナナが確認する。


色。香り。


「……大丈夫です」


医者が息を吐く。


「……再現できる」



七日後。


浮腫みが、目に見えて引いていた。


「……もう、大丈夫だ」


誰かがそう言った。


ナナは一礼する。


「……私の役目は終わったようですね」


チラリと医者を見ながら言うと、

医者は自身ありげに頷き、

令嬢の父親は


「ありがとう」


と言った。


「お礼は——」


令嬢の父親が続けようとするが、


「報酬は後日、ギルド経由で」


首を振りながらナナは言った。


そして——


「それでは、お暇させていただきます」



空気が軽い。


(……帰ろう)


セナの顔が浮かぶ。


ナナは、わずかに歩みを速めた。



——二週間ほどが過ぎた頃。


ナナはいつも通り、商業ギルドへ納品に訪れていた。


変わらないやり取り。


変わらない日常。


——のはずだった。


「ナナさん」


呼び止める声。


振り返ると、リオルドが立っていた。


その表情は——


以前とは違い、どこか柔らかい。


「少し、お時間よろしいでしょうか」


ナナは小さく頷く。


そのまま、二階へと案内される。


静かな廊下。


同じ道のはずなのに、


足取りは、前よりも軽かった。


扉の前で足が止まる。


ノック。


「連れてきました」


扉が開く。


中へ通される。


——そして。


「失礼します」


今度は、リオルドも落ち着いたまま一礼し、


静かに扉を閉めた。



机の向こうに、ギルド長。


前と同じ構図。


だが——空気は穏やかだった。


「来てくれて助かる」


短くそう言って、


一通の手紙が差し出される。


「預かっている」


ナナはそれを受け取った。


静かに封を切る。


整った文字。


読み進める。


令嬢は、すっかり元の姿に戻ったこと。


今は流れを保つため、薬を続けていること。


そして——


深い、感謝の言葉。


ナナは、そっと手紙を畳んだ。


「……そうですか」


それだけを、静かに返す。


ギルド長が頷く。


「ああ。完全に持ち直したそうだ」


「報酬についてだが——」


机の上に、書類が置かれる。


「ギルドとしての報酬は、規定通りだ」


「ランクの昇格と、相応の金額」


そこで、少しだけ視線を上げる。


「それとは別に、先方からの謝礼がある」


ナナは顔を上げた。


「店舗付き住宅だ」


短く告げられる。


「商い用に持っている建物の一つでな。割引という形で譲りたいそうだ」


ナナは、わずかに目を細めた。


「……どうして、私に」


ギルド長は、少しだけ口元を緩める。


「話の流れでな」


それだけだった。


だが——


十分だった。


ナナは小さく息を吐く。


(……リオルドね)


「善意だ。受け取るかどうかは自由だがな」


書類を指で叩く。


「一度、見てみるといい」



扉を開ける。


中は、静かだった。


けれど——


どこか、使われていた空気が残っている。


「……ひろい」


セナが小さく呟く。


一階は店舗用の空間。


作業台には、細かな傷が残っていた。


長く使われていた跡。


ナナは、そっと指でなぞる。


(……薬師、かしら)



「保冷庫……魔道具ね」


よく手入れされている。


使い込まれてはいるが、状態はいい。


「以前の住人が使っていたものです」


案内役が静かに言った。


「薬師の方でして」


「事情があって、店を畳まれまして」


「当主様が、このまま残しておくことにしたそうです」



「——決めました」


翌日、ギルド長に報告に行くと


短く、そう言った。


ギルド長は小さく頷く。


「そうか」


「では、手続きを進めよう」



ギルドを出る。


足取りは、軽い。


(……忙しくなりそうね)


新しい暮らし。


新しい場所。


思い浮かべるだけで、少しだけ胸が弾む。



家へ戻る。


扉を開けると——


「おかえり!」


セナの声。


「ただいま」


靴を脱ぎながら答える。


「手紙きてたよ!」


机を指さす。


「置いといた!」


ナナは視線を向ける。


見慣れた封。


(……アルス)


ふっと、表情がやわらぐ。


「ありがとう」


手に取り、そのまま椅子に腰掛ける。


封を切る。


——きっと、いつもの手紙。


そう思いながら。


紙を開く。


視線を走らせる。


そして——


「……えっ」


ナナの動きが、止まった。


思わず、もう一度読み返した。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


変わらないように見える日々の中でも、

一つ一つの積み重ねが、確かに形になっていく。


ナナの歩みはとても静かですが、

その分だけ、しっかりと前に進んでいるのだと思います。


これからも、彼女たちの暮らしを

見守っていただけたら嬉しいです。

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