紋章
ランプの火が揺れ、テーブルを囲む面々に、光の波を投げかけた。
誰もが意気消沈し、暗い顔で席についている。
同じ日に、ふたりの若者を失った。
ひとりは連れ去られ、もうひとりは亡骸となって二階に横たわり、母親のフィオナに付き添われている。
ベルムが一部始終を語り、その間にも、訃報を聞きつけた村の人々が入れ代わり立ち代わり、追悼の言葉を述べに来ていた。
そのたびに話は中断され、タナンは玄関先で来客の対応に当たった。
夜が更け、客足も途絶えたところで、面々は遅い夕食をとっていた。貝のスープに固いパン――。質素な食事だった。
ベルム、タナン、村長、そしてジギーは、黙々と咀嚼を繰り返し、そして飲み込んだ。
テーブルの真ん中では、樽の栓に使う大きなコルク栓に腰かけたティリルが、パンの欠片をかじっている。
最初は皆、ピクシーの出現に驚いていた。伝承で聞いたことがあるだけで、実在するのかさえ定かでない存在だからだ。
しかし、サカリの死を知り、それどころではなくなった。
ベルムが今日の出来事を語るうちに、彼女の存在は不思議とその場に馴染んでいた。
残った最後の一口を飲み干し、タナンは器をそっと置いた。
「私は反対だ。危険すぎる。お前まで失いたくはない」
父の言葉が、ベルムの胸に重くのしかかる。
村長のヘイゲルは、首肯してこれに同意した。
「ここは大陸の最南部。いくら魔族の支配が強くなったとしても、何とかなるじゃろうて」
「いや、僕は行くよ」
だが、ベルムの意志は固い。
「それは、僕だけではなく、サカリの願いでもあるから」
「なら俺も行く。ラミーナは俺の妻になる人だ」
ジギーが口を挟んだ。
「ティリル、と言ったか。俺を連れて行ってくれ」
思わぬ提案だったのか、ピクシーはパンを咥えたまま固まった。
口の中のものをゆっくりと飲み込み、腰を上げる。
「だめよ」
「どうして?」
「私の役目は、勇者を神器のもとに導くこと……。二人は連れていけない」
使命を多少曲げたとしても、依然、彼女にも譲れないものがあるのだろう。口調には、有無を言わせぬものがあった。
「だったら!」
ジギーが語気を強めた。眉間に皺を寄せ、ティリルを睨みつける。
「俺ひとりを連れて行ってくれ!ベルムじゃなくたっていいだろう?」
女神の言葉を細部まで伝えたわけではない。彼がそう思うのは無理もなかった。
むしろ、ラミーナへの気持ちを考えれば、自然な発想だ。
しかし、ティリルは毅然として言葉を返した。
「女神の領域には、本来勇者しか入れないはず。でも、彼は入れた。そこには、双子ならではの何かがあるはず……今後、それが必要になる場面がきっとくる」
そう。彼女が職務を曲げてまでベルムについたのは、この事実があるからだ。
二人の視線が中でぶつかる。火花が見えるようだった。
ジギーはそれ以上何も言わず、外へ出て行った。戸が音を立てて閉まり、後には静寂が残った。
間をおいて、タナンが口を開いた。
「男爵様に相談した方がいいだろうか?」
主に村長へ向けられた問いだったが、答えたのはティリルだった。
「だめよ。勇者出現の情報は極力内密にすべきだわ。魔王側に知られたくない」
息子の安全に直結する問題だ。タナンは素直に頷いた。
――再び沈黙が訪れる。
手持ち無沙汰になった四人は、二階の様子を見るため、階段を上がった。
そこは、双子の寝室だった。
小さな窓は雨戸が半開きにされ、そこから夜風が入り込んでいる。灯りの油皿からは、魚油特有の鼻につく匂いが漂っていた。
床には、戸板に乗せられた弟の姿があった。清潔な白い布が掛けられている。
その隣にはフィオナが膝をつき、鼻をすすっていた。
暗くて顔はよく見えないが、目は赤く泣き腫らしていることだろう。
「何か光っていないか?」
最初にそれに気づいたのはタナンだった。
ベルムも目を凝らして遺体を見下ろす。
部屋が暗いおかげでかろうじて見える程度だが、確かに、首元から微かな光が漏れ出ていた。
屈み込み、そっと布をどける。幾分か光が強くなった。
シャツのボタンに手をかける。
フィオナが震える声で「何をするの?」と尋ねた。
しかし、ベルムは手を止めることなく、弟の胸部を露わにした。
「これは……」
ヘイゲルが驚きの声を上げた。
左の胸に、女神に刻まれた紋章が淡い光を放っていた。死してなお、彼が勇者であることを示しているようだ。
「これは、勇者の証。これを然るべき相手に見せ、助力を仰ぐの」
ヘイゲルの言葉を問いと受け止めたのか、ティリルが説明した。
「しかし、ベルムにはないだろう?どうするんだ?」
タナンが疑問を呈する。
それは、ベルムも考えていたことだった。
本来得られるはずの助力無しで、旅を続けられるかは甚だ疑問だ。代替案が必要だった。
誰からともなくため息が漏れる。
旅が始まる前から早速躓いているのだ。無理はない。
「いや、何とかなるかもしれん」
意外にも突破口をもたらしたのは、無口な村長だった。
「皮膚を移すことができれば……」
一同は耳を疑った。
バーバー=サージャンであるヘイゲルには、皆、幼いころから怪我の治療をしてもらってきた。彼の腕を疑う者はいない。
それでも、『皮膚を移す』など、聞いたこともなかった。
「昔、腕をやけどした娘に、母親の腿の皮膚を移したことがある……腐り落ちることも多いが、双子なら成功するかもしれん」
「だめよ!」
フィオナが真っ先に声を上げた。ぶんぶんと首を横に振っている。
「ベルムは怪我をしているわけでもないのよ?よく分からない役目のために、そんな危険を冒す必要は無いわ」
金切り声で村長に食って掛かる。
「落ち着きなさい」
タナンが妻の肩に手を乗せ、何とかなだめる。
ベルムは弟の胸に手を乗せながら、村長に視線を向けた。
「お願いします」
母の泣き声にかき消されないよう、力強く答える。
―――
ベルムは居間のテーブルに横たわり、天井を見据えていた。手脚は縄できつく固定されている。
胸に冷たい刃が当たり、痛みが走った。
ヘイゲルは慎重にナイフを動かし、ベルムの胸に四角い傷をつける。
「痛むぞ」
ひとつ息を吐き、忠告を発する。
(すでに痛いけど…)
ベルムは内心そう思いながらも、黙ってうなずいた。
分厚い布で猿ぐつわを噛まされているため、返事をすることはできない。
刃が皮膚の下に差し込まれ……激痛が走った。
「ぐっっっ!!」
声にならない声が漏れる。布を強く噛み締める。
意に反して手脚に力が入るが、動かすことはかなわない。
「メリメリッ」
嫌な音を立てて皮膚が剥がれる。
実際は短い時間だろう。だがベルムには、その時間が永遠にも感じられた。
青筋を立てながらなんとか耐える。
フィオナが小さな悲鳴をあげて、部屋を出ていった。階段を駆け上がる音が響く。
「ほれ」
ベルムの目の前に、切り取られた皮膚が差し出された。
(そんなのいいから早く済ませてくれ!)
涙で目を潤ませ、心の中で懇願する。
「すまんすまん」
ヘイゲルは軽い調子で謝った。こんな状況だというのにどこか楽しそうだ。
広げた布の上に、剥いだ皮膚を丁寧に置く。そして、隣のもう一枚を手に取る。
サカリの皮膚だ。剥がされてなお、紋章は光を保っている。
――濡れた布を当てられたような感覚だった。
剥き出しになった肉が、弟の皮膚で覆われる。
ヘイゲルはその上にたっぷりの薬草軟膏を塗り、手を当てた。
柔らかい温もりが広がる。魔力が流れ込んでくるのがわかった。彼の家が代々受け継いできた、治癒の魔法だ。
痛みが徐々に引き、ベルムは体の力を抜いた。
「うん、やはりうまくいった。さすが双子だ。他人の皮膚とは思えん」
ヘイゲルが満足げに唸ると、タナンがベルムの拘束を解いた。
胸を見下ろす。
ちょうど心臓の位置で、女神の紋章が光っていた。
移植した皮膚の淵をそっとなぞる。
指先にわずかな引っかかりを感じるが、それ以外はなんともない。
完全に馴染んでいた。
弟を胸に感じる。ベルムはその重みを静かに受け止め、息を吐いた。
次回より、毎週月水土、19:50更新に変更です。




