第二部 中盤 異能開発機構回顧録3 ネームレス1
日々は過ぎ去る。
時は流れる。
殺すことは変わらず、奪うことも変わらない。
だがそんな地獄の中で、0番の日常に変化を与えることがあった。
「お、起きたか?0番」
ベッドから飛び起きると、そこには幸神がいた。視界に入れたくない人間であり、唾棄すべき人間であるが、俺にできることは無関心を装うことぐらいだ。
「またくだらないことを言いにきたのか?」
「話しかけてやってんだよ、感謝して欲しいぐらいだ。人間ってやつは話さないと言葉を忘れるらしいからな。そうなっちまえば、お前はただの獣だ」
「くだらないな。さっさと帰ってくれよ」
「おいおい、これはジャブみたいなもんじゃねぇかよ。まぁいい、今日からこいつの面倒を見ろ」
牢屋の扉を開けて、幸神は抱き抱えていたそれを俺に向けて投げた。
「お、おい」
なんとかキャッチした俺に対して、それは笑顔を向けた。
「あー、あー」
赤ん坊だった。
紛れもなく、見紛うこともなく。
この地獄では初めて見る、未成熟な人間の姿がそこにはあった。
「二人分の食事を出す。二人分のベッドも用意する。だが、お前が殺されればその赤ん坊を殺す」
「なんの意味があるんだよ」
「なぁに、簡単なことだ。"お前が満足して死なない"ようにするためだ。俺らとしては、お前に死なれると困るんだよ」
「心配せずとも満足なんかしないさ。俺には俺の目的があるからな」
「そうか、ならいい。とりあえずお前に拒否権はない。じゃ、俺は研究に忙しいから」
0番は、立ち去る幸神を睨むことはしなかった。
いや、できなかった。
幸神を睨め付けていた0番の顔を見て、腕の中にいた赤ん坊が涙を目の中に溜めていたからだ。瞳は揺れ、今にも涙が溢れそうだった。
「…うっ…うっ…」
「お、落ち着け。やめるんだ」
スイッチを握る爆弾魔を諭すように、赤ん坊に向かって声をかける。だが、そんなことを解する訳もなく。
「うああああ!」
爆ぜるように赤ん坊は泣く。
抱えた恐怖感を払拭するように、全身の力を振り絞って。
「な、なんだこれ。ど、どうすればいいんだ」
なんで泣いている。
どうやったら涙を止められる。
0番は激しく動揺していた。
理解ができなかったのだ。
絶望や殺意以外の感情の発露を知らないことや、理由がわからない涙など対処のしようがなかった。
さらにいうと、0番は常に慰められる側だった。
故に、慰め方など知らなかった。
「うわぁぁぁぁ!」
「こんな時はどうするんだっけか。確か…、いないないばぁって言って、顔を隠して出す動作を繰り返せばいいのか?」
本で見た知識を脳内から引き出し、実践しようと赤ん坊をベットに置く。
その瞬間、0番の脳内にかつて自分が入ってきた頃の記憶が唐突に過ぎる。
見も知らぬ女性に優しく抱きしめてもらったことを。
「だ、大丈夫だ。大丈夫だから」
これで…、あっているといいが。
俺はこれで泣き止んだはず…だ。
不安を抱えながらも、極限まで力を抜き、優しく抱き締める。
「うわぁぁぁ……、あー♩」
功を奏したのか、赤ん坊は泣くことをやめ、0番に笑顔を向ける。
「よかった…」
「あー?だー」
赤ん坊は首を傾けながら、何かに気づいたように手を伸ばす。
その指に伝うのは、0番の涙だった。
「なんだよ…、なんでなんだよ。今更…、こんなものが」
怪物になると決めたあの日から、感情を無くすように誤魔化し続ける日々だったが、暴くように本能は涙を流させる。
儚い命を前にして、生命が胎動している実感と、自分の所業の罪深さを味わったのだ。
「名前…つけなきゃ…な」
俺らは番号で呼ばれているが、こいつは小説で見るような漢字で構成された名前の方が気にいるだろうか。それに、番号だと機械みたいで味気がないだろう。
「きゃきゃ!」
伸ばした人差し指を赤ん坊は握る。
まるで陽だまりのような笑顔を浮かべながら。
「向日葵」
その笑顔見た時、0番の口からその単語が思わず口からこぼれ落ちた。
「向日葵だ…、向日葵がいい」
向日葵によって、0番は感情を取り戻した。
怪物から、怪物未満に戻った。
怪物であったら、楽なこともあるだろうに。
その後、向日葵と0番の奇妙な共同生活が始まった。1日の半分を殺しに使い、1日の半分を向日葵と過ごしていた。
「俺はいつまで…、こんなことを」
俺が向日葵を育てるようになって気づいたことでもないが、改めて自分の業の深さに呆れ果てるばかりだ。
さらには、それを感じながら俺は殺し続ける日常を変えられない。
「あうー、あぁ」
「あれ?いつのまに」
考え事をしている間に、いつのまにか向日葵を抱き上げていたようだ。三ヶ月も経てば、慣れてくるものだ。
「赤ん坊と仲良くやっているようだね」
「296番…、帰っていたのか」
「あぁ、随分と数が減ったからね。仕事が減って楽なもんだよ」
「そうか…」
「向日葵ちゃん…だよね。少し大きくなったんじゃない?」
「まぁ環境はクソだけど、食事はまともに出るからな」
牢獄に閉じ込められているため、刑務所とやらと同じ食事がでそうなものだが、ここではあくまでも殺し合いが目的なようで、真っ当なご飯が出てくる。つまり、殺し合い以外の死が許されていないという意味でもある。まぁ管理が杜撰なこともあり、死ぬ方法なんていくらでもあるが。
「まぁ、それも計算済みだとでも言いかねないな」
「あー!あー!」
構えとばかりに、向日葵は0番の頬をペチペチと叩く。
「はいはい、すまねぇな」
「ハハッ、無敵の怪物も赤ん坊の前では無力だね」
「ちげぇよ。俺はいつだって無力だ」
「君らしくない。随分と弱気だね」
「当たり前だろ。俺はいつだって、誰かを殺すことしかできてない。そして、そんな手で向日葵を抱きしめるしかない。毎日無力と苦痛でどうにかなりそうだ」
「そこまで感傷的だったっけ」
「どうだかな。だが、最近は考えてこなかったことを考えてるよ」
向日葵を抱き上げるたびに、命の尊さを教えられる。そして、それを踏み躙っている残酷さを味わう日々。
かつて467番が教えてくれたが、ここで誰かを殺すことは救済することであると同義だと言っていた。だが、それは正しいことなのか、もはやは判別がつかない。
「最近、断末魔が聞こえるんだよ」
「断末魔?それは今までも聞いてきたんじゃ?」
「いや、今まで聞こえなかったんだ。殺すことは作業で、当たり前で、日常だったからだ。だが最近だ。『ありがとう』とか『やめてくれ』とか聞こえるんだよ。そうやって断末魔とか死に顔を見るたびに、俺がやっていることは、"救っている"ことじゃ無い事くらいわかる」
「いや、君はちゃんと役割を…」
「役割の話じゃねぇんだよ。だって、人間は本来向日葵みたいに生まれるはずなんだよ。誰かにとって大切な存在で、誰かにとって生きてほしい人間で、そして生き続けるはずの命のはずなんだよ。俺は、それを、その全てを、踏み躙っているんだ」
怪物の悲鳴は、牢獄中に響き渡る。
金属は音を返すだけ。そして、296番はそれに対して何一つとして返すこともできない。
彼は、0番と同じ土俵にすら立てていないのだから。
「僕は…」
296番が言い淀んでいると、白衣の男が0番の牢屋の目の前で止まる。
「来い、戦いの時間だ」
「…わかった。向日葵、ここでおとなしくするんだぞ」
「あ…、あー」
向日葵は一瞬だけ服を掴み、何かを悟ったようにすぐさま指を離した。
「心配すんな、帰ってくるからよ」
牢屋を静かに出て、296番の目の前を二人は横切る。
「待て!まだ僕は君に!」
「安心しろよ、別に死んだりしねぇよ」
心が荒む。
どうして、俺はこんなにもどうしようもないんだ。
「死なない…か。随分と大きな自信だ」
「黙ってろよ。殺すぞ?」
軽口を叩いた男は、0番の強烈な殺意に押し黙ることしかできなかった。
「こ…ここだ。は、入りたまえ」
「あぁ、そうさせてもらう」
大広間へと続く扉を開ける。
一面ガラス張りの殺しの舞台。
そこで披露されるのは、中世の闘技場と同じ殺し合い。中世では観客が楽しむのが目的だが、ここでは何が目的か定かでない。だが、俺たちはかつての闘技者のやることと同じだ。
向かいの扉から入ってくる人間と殺し合うことに変わりはない。
「さて、どんな奴が出てくるかね」
いつもの如く目を閉じてから、ルーティーンを始める。
息を吸って、静かに吐く。
再び息を吸って、今度は止める。
水中に潜るように、意識を沈めるように集中力を高める。
息を吐きながら、手を強く握りしめる。
一回、二回、三回。
今までの惨状を思い出しながら、自分を怪物だと思いながら、ゆっくりと目を開ける。
これが、いつものルーティーン。
そして、それを終えるころには必ず目の前には闘士がいる。
「よう、久しぶりだな」
そいつにはひどく見覚えがあった。
それは怪物になるよりも前の記憶であり、2年は共に過ごした人間だった。
「久しぶりだな。72番」
「相変わらずひどい顔をしているな」
「はっ、お互い様だろ」
今から知り合いと殺し合うというのに、酷く心が静かだ。先ほどまで荒んでいたことが嘘のようだ。ルーティーンのせいなのか、それとも慣れのせいなのか。判別はつかないが、はっきりと言えることがある。
それは、思い悩むことよりも、殺しの方が楽であると思ってしまっていることだ。
「人間らしからぬ認識だな。全く、自分ごとだとはいえ、ほとほと呆れ果てる」
抱えた頭をゆっくりとあげ、改めて72番と視線を合わせる。
「姉ちゃんは死んだよ」
「7さ…、そうか、お前も姉を亡くしたんだな」
「…そうか。まぁ、そうだな」
ん?なんだ。妙な間があった。
「さて、そろそろ始めるか。どうせ、出られるのは一人だけだ」
「そうだな…って、刀持ってくるの忘れたな」
向日葵にばかりに気が向いてたため、武器を持っていくことなど、全く考えていなかった。
だが、そんなことはどうでもいい。
「持ってくるか…って、そんなことはできないか。まぁ、負けた時の言い訳なるじゃないか」
言い終えると共に、72番は静かに歩き始める。大きく弧を描くように、0番の周りを歩き始め、やがてその姿はぶれ始める。
「見せたことなかったよな。俺の異能はーー」
「「《分け身》」」
ブレがおさまった瞬間、後ろから現れたのはーー73番だった。
「…ッ!?」
「久しぶりだね、0番。元気そうじゃん」
「…72番。お前…」
「どうしたの?怖い顔をして。あ、弟がまた泣かしたんだろ」
「…っ」
言葉遣いが違う。雰囲気が違う。
端的にいうと、ディティールが荒い。
外見だけの劣化コピーだ。
「亡くしたと言ったな。俺は異能を使えば、すぐにでも姉ちゃんに会うことができるんだよ」
二人は存在を確かめ合うように、手を握り合う。そんなことは、一度もすることはなかったのに。
「そこまで…、そこまで壊れちまっているのかよ…」
「当たり前だろ。唯一の肉親を自分の手で殺しておいて、正常である方がおかしい」
「殺した…のか…」
「忘れもしない。目から生気がなくなって、力なく項垂れていったのが。抱きしめていた体から、魂が、命がこぼれ落ちていったことを」
「……」
かける言葉など見当たりようもない。
俺も亡くしはしたが、自分の手で殺したわけではない。同じ境遇にも立てない俺が、同情する権利は無い。
「俺は偽物であっても、姉ちゃんとずっと過ごしたい。異能をずっと使えるわけじゃ無いが、俺が生きている限りは一緒にいられる。だから、俺は死ぬわけにはいかない」
「私も所詮は分身。弟が0番を殺すというのなら、私もあなたを殺す」
二人は背中からずるりと太刀のようなものを出す。持ち手は楕円形の形をしており、二つを合わせるとそれはまるでーー。
「鋏…か」
「覚悟しろ、知り合いだからと言って手加減などしない」
「あぁ、もちろんだ」
聞きたいことはいくらでもある。
言わなきゃいけないこともある。
だが、今はそんなことはどうでもいい。
0番は思案を振り払い、思考を放棄して、構えを取る。
互いに殺意を練り上げていく中、大広間は煌々と二人を照らす。まるで、戦士であることを暴くように、殺しあうことを知らせるように。
「オオッ!」「ハッ!」
先に動いたのは二人だった。
72番は勢いよく太刀を横に回転させるように、投げ飛ばす。
73番は太刀を構えたまま、一直線に0番へと突進する。
「フッ!」
横一線に薙ぐ太刀を避け、瞬時に懐へと潜り込む。
「吹っ飛べ!」
気合いと共に、鳩尾へと放たれる拳。
だが、その拳は命中することはなかった。
73番は瞬時に足を組み替え、0番の右側面へと移動していた。
「なっ…」
「避けられることなんて想定済みよ!」
73番は一回転しながら、太刀を再び薙ぐ。
「こんなもの!」
だが、避けようとした瞬間、視界の端でもう一つの刃が迫り来るのが見えた。
「言っただろう?鋏だって」
「…ッ!」
二つで挟まれれば、どんな効果があるかわからない。が、断言できることはある。
素手で掴めるような鈍ではないことだ。
「《略奪》」
0番の首元へと迫った太刀は、強烈な金属音を鳴らしながら火花を散らす。
「成程、それが《略奪》。いや、それだけが強さの原因じゃねぇな」
咄嗟の判断で、0番は73番の刀を奪い、瞬時に72番の太刀筋に合わせきった。
「流石だな。10年の重みは伊達じゃねぇってことだな」
「随分と余裕そうじゃないか」
「当たり前だろ?何せ、2対1だぜ?」
「そうよ。すぐ忘れるのが、あなたの欠点ね」
0番の視界は瞬時に揺らぎ、空中に身を投げ出される。蹴られたことを瞬時に理解し、勢いを殺しながら体勢を整え、静かに着地をする。
「厄介だな…」
連携に全くの隙がない。
どっちかを狙えば、どっちかが自由になるということ。重点的に狙うことが不可能ってわけか。
「考えている時間なんてあるの?」
放たれる鋭い蹴りを紙一重で避けるが、掠めた頬が切れ、わずかに血が溢れる。
「…ッ!」
「痛がってる場合かよ!」
容赦のない逆袈裟を側面から蹴り上げ、強引に軌道を変える。
「安心するのは速いわ!」
72番の背後を縫うように、ぬるりと73番が太刀を大上段に構えて出現する。
「これで!どう!」
「どうもあるかよ!」
腰を落としながら瞬時に懐へと移動して、腕の隙間から顎を狙って、思いっきりアッパーを繰り出す。
「ガッ…」
73番は防御をすることもできず、攻撃をもろにを受けたことで、意識を刈り取られる。
「二人まとめて吹っ飛べ!」
流れるように鳩尾へと蹴り入れ、二人は重なって壁へと激突する。
「ぐっ…、姉ちゃん無事か」
「……」
73番は失神したまま、力無く項垂れる。
「これ、返しとくぜ」
散乱した太刀を、0番は72番達の目の前へと蹴る。
「今更何を考えてんだよ。これは殺し合いだぜ?敵に武器を返していい場面じゃねぇだろうが」
「なぁ…、本当に殺さなくちゃいけねぇのか?」
「なんだよ。何眠てえこと言ってんだよ!」
怒りに任せ、72番は太刀を0番へと投げる。
0番は避けることもせず、刀身を握って止める。手のひらは切れ、指の隙間からボトボトと血を流す。
「躊躇は捨てろ、死にたくないのならな。できねぇんだったら、俺に黙って殺されてろ!」
その怒号は広間に響き、俯く0番の顔を上げさせる。
「…わかった。なら、俺は役割に徹しよう」
刀身から持ち手へと太刀を掴み直し、静かに構える。
「せめて…だ。二人まとめて殺してやる」
「やらせないわよ。先に私の相手をしてもらいましょうか」
すぐそばの太刀を掴み取り、73番は0番に向かって構える。それは先ほどとは違う雰囲気を纏っていた。
「姉ちゃん!」
「あんたはそこにいなさい。姉より弟が先に死ぬなんてありえないから」
なんだ…、口調が変わった?
「待てよ!姉ちゃん…なのか」
「あんた、いつから私を姉ちゃんなんて呼ぶようになったのよ。そんな甘えん坊だったっけ?」
「なんで…、姉ちゃんは俺の異能だから」
「私だって知らないわよ。あんたに命を譲ったのに、こんな場所に放り込まれてんだから」
奇跡ってやつなのか。
こんな地獄でもあるのか。
そんなことが。
「って、0番じゃない。ははぁん、成程ね」
陽気に笑いながら、73番は静かに太刀を構える。それは先ほどとは全く違い、強者のオーラを見に纏う。
「安心しなさいよ、私は所詮紛い物。私が殺されてもなんの被害もないけれど、弟が黙って殺されるのは、姉としては見過ごせなくてね」
「なん…」
「構えろ!0番!」
73番の顔から笑みが消え、修羅の顔へと変貌する。その迫力に押されるように、再び構え直す。
「これ以上の問答など必要ない。行くわよ、0番」
「…そうだな。行くぞ、73番!」