第二部中盤 異能開発機構回顧録 間章
私は、誰か。
否。正確には、誰であっただろうか。
私は自分という存在を知覚できない。
わかるのは、目の前の人間をただ殺すしかないということだけだ。
それだけが生きる理由で、それしかできることがない。
ずっとそうだが、致命的な何かを忘れてしまっているような気がする。
いや、"無くしてしまった"気がする。
胸の奥にざらつく違和感を抱えながら、牢獄をぐるりと見渡す。石の壁には冷たい湿気が張り付き、かすかな光が差し込むだけ。その隅に不釣り合いなほど立派な本棚が置かれていた。
様々な種類の本があり、本という本には軒並み手を出しているようだ。そうしてわかることは、私が本好きであったということだ。きっと、私はかつて本を愛していたのだろう。少なくとも、こうして思索に沈みながらも、手は無意識に本を開いている。でも、一つだけどうしても腑に落ちないものがあった。それは、みっちりと詰まっている本棚の中で、明らかな隙間が存在する。
そして、私は必ず牢獄を出る時にその空白を指でなぞる。これも、反射的なものだった。
だから、大事なものでもあるんだろうと思ったが、そこにあるのは、本一冊分の――虚ろな空白だけだった。
「やぁ、今日はなんだか悲しそうだね。5108番」
「なんでもない。で、今日は何の用?もしかして、"私にしかできない役割"とやらがきたのかしら?」
「いやいや、まだ機は熟してはないさ。と言っても、あと半年には食べ頃にはなる。君にもそれを伝えておかないとね。それと、半年は生きてねっていうお願い」
「お願い…ね。殺し合いをさせている人間のセリフとは思えないわね」
「でも、君は勝つだろう?なんてたって、『言霊』っていう誰でも発現できる異能なのに、解釈の違いで性質変わるという異能の特性を利用して、君は8年も生き残っている」
解釈の違い…か。
私からすれば、本を読んでいれば言葉の種類や相手の受け取り方次第で、"意味合い"が変わる。そんなことは、本を読んでいればわかるはず。だから、私にとってはそんなことすらできない連中は、努力不足としか思えない。
「そ、死んでいく人間なんかに興味はないわ」
「ハハッ、100万人以上も殺しておいて興味ないというんだね。どんな人格破綻者であろうとも、君の冷たさの前では固まるしかないだろうね」
「くだらない。そんな軽口を叩くために来たの?これ以上居るなら、こっちも考えがあるけど?」
全身から殺意を噴き出し、位登を睨め付ける。
「おお、怖い。でもやめときなよ。僕の前では、どんな異能も、どんな現象も意味をなさない。それは、前に味わったはずだけど?」
「それは4年も前の話よ。昔の私と一緒にしないでほしいわね」
「ますます怖い。ならさっさと消えるとするかな」
ニヤリと笑いながら、バサっと白衣を大袈裟にはためかせながら、靴音で曲でも奏でるようにリズミカルにスキップしながら廊下の奥へと消えていった。
「はぁ…」
奇人変人はここには多いが、特に奴と話すときは深い心労に見舞われる。ここまで人を不快にできるのであれば、もはや特技と言っていいレベルだ。
「さてと」
5108番はベットに腰を下ろし、開きっぱなしの本を読み始める。
現実を目を背けるように、
心の空白を埋めるように。