第二話「仇敵」
ライバルキャラ?
森の中にそびえ立つ、あたかもEMSの文明を誇示するかのような塔、数十メートルの高さを誇るゲネシスソイミートタワー。
アベルディンにあるパウリナ・イェンセンの邸宅へ報告に行っていたノリス・イェンセンが自分の管轄たる卑猩の実験や食料加工、新薬開発を行うための巨大な研究施設たるゲネシスソイミートタワーに戻ってきたのは、冥月の脱走から二週間後のことである。
「随分増えてるわね」
その塔の最上階に位置する執務室のデスクで自分の管理部門たる卑猩の『産出量』について留守中の報告を受けていたノリスだったが、どうやら産出資源たる卑猩の数がかなり増えているらしく、機嫌良さげに呟いた。
「エリアBとエリアCの家畜民たちが発情期を終え、かなりの数出産した模様です」
報告をしている男性はすらりと背が高く、顔立ちも整った美青年である。彼こそがロベルト、ノリスの秘書でありパウリナの愛人でもある男性だ。
「それに伴い両エリアで適正基準に達した資源の収穫を大々的に行い、今朝この塔に搬送されました」
「養殖だと捕獲よりも手間がかかる分、かなり安定して収穫できるわね」
デスクに置かれた資料には卑猩の収穫数とともにどの程度の比率てゲネシスソイミートタワーにあるどの部門に配布されるのかが記されている。
『製薬部門』が最も多く、次いで『産婦人部門』さらには『兵器部門』『燃料部門』などかなり細かく振り分けられているが、共通することとして単位が『匹』で統一されていた。
「それと『ヴァスティーユ』のセオディア総督から隷爬に関する交渉が来ています。レンタル料を上げたいそうですが……」
「『命が惜しければふざけるな』と返しておいて頂戴、あんなクズの言うことは気にする必要はないわ」
強い口調でそう告げると、思い出したかのようにノリスは身を乗り出す。
「そう言えばイチの妹、狩場から捕獲してきたあの雌の様子はどう?」
「だいぶ大人しくなりました。しかし報告によればまだ交配出来る段階ではありません」
「ロボトミー処置をしても良いから従属させなさい」
今にも舌舐めずりをしそうな恍惚とした表情でノリスはそう告げると、すぐ近くに置いていた書類に何やら記入した。
「とにかく早めに交配出来る状態にしておいて、早ければ早いほどいいわ」
「……では予定が空き次第すぐにでも」
また別の書類に目を向けるノリス、そこには『ネクロス』『集結態』と呼ばれる存在についての報告が書かれていたが、どうも面白くはないらしく、彼女は微かに鼻を鳴らす。
「……他には私の留守中何かあったかしら?」
報告書を机の上に投げ捨てたノリスは面白くなさそうにロベルトの方に視線を戻した。
特には、と続けようとしたロベルトだったが、ふと職員が言っていたことを思い出し、ついでとばかりに口を開く。
「アルデアの『首塚』でまた化け物が出たと現地の兵士たちが……」
「『ふざけないで真面目にやれ』と返しておいて、他」
「報告することでもないかもしれませんが、二週間前、エリアA近郊で発行する飛翔体を見たという報告がありました」
「……二週間前、それはたしか?」
ついでに報告するつもりだったためノリスの予想外の食いつきにロベルトは少なからず面食らった。
「は、はい、あくまで噂のため詳細は不明ですが、第十三番区域方面に落下したとか」
「……(二週間前、ちょうど冥月が逃亡したくらいの時期、ね)」
その際に彼が謎の変異を遂げ、豪雨の中を飛び去っていったというのはノリスもつかんでいる情報だ。
その後冥月の情報は途絶えていたのだが、どこかの卑猩生産エリア、EMSの監視が届きにくい場所に潜んでいたのだとしたらそれも辻褄が合う。
「……大佐はもう来てる?」
「すでに部隊を率いて到着してますが、まさか……!」
しばらくノリスは無言で考えていたが、やがてはっきりした口調でロベルトに指示を出した。
「エリアA十三番区域に彼女を派遣して、多分あの雄はどこかに潜んでいるわ」
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美しい夕日が差し込む高台、筋骨隆々たる鍛え抜かれた身体つきの少女莉乃は石斧を構え、精神を集中していた。
「……どこから来る?」
静かに意識を四方に向けてみると、十メートルほどの距離か、森の中を素早い動きで走り、こちらに近づいてくる存在がいるのを感じる。
「……もう少し」
両眼を閉じて石斧を振り上げ、それに合わせて腰も下に落としていつでも攻撃出来る態勢をとった。
「来た」
近くの茂みから立派な体躯の猪が飛び出してきたのと、莉乃がバネのように石斧を振り下ろしたのはほとんど同時である。
「!」
莉乃の放った一撃は的確な動きで猪の左半身を切り裂き、動きを止めた。
最初からここに現れるのを予期したかのような動き、足から血を流して動けなくなった猪にまたがると、莉乃はもう一度石斧を振りかぶりとどめを刺した。
「終わったらしいな」
森の中から出てきた冥月は手にしていた松明を使って地面に焚き火を起こすと、莉乃の仕留めた猪を見る。
「石斧とは思えない切れ味だな」
「これも日々の狩猟の賜物、毎日猪を狩ってればこれくらいは出来るようになるってこと」
感服したような冥月に対して軽口を返す莉乃、二人が出会ってからすでに一週間が過ぎようとしていた。
食料は森に自生する野草かあるいは近くの川に生息する川魚、または猪等野獣を狩り、拠点として最初に冥月が目覚めた洞穴を野営地にしていたのだが、どうもこの辺りはEMSの監視が届かない場所らしく、追っ手も来ないため快適なものである。
「よし、獲物も仕留めたし、『冥にい』、そろそろ飯にしようぜ」
『飯』という言葉を米を用いた料理ではなく、食事のことと理解しているのか莉乃は嬉しそうに笑うと腰に挟み込んでいた石器を取り出して猪の解体に移った。
最初に火を使って調理して以降莉乃は冥月に懐いてしまい、近頃はどこに行くにも一緒で、『冥にい』などと呼び後ろをついてくる。
「……それにしても、最近さらに逞しくなったのではないか?」
冥月の言うように現在手慣れた調子で石器を振るい猪を解体している莉乃は、一週間前と比べても身体つきがより洗練されたものになっていた。
基本的に大型の猪や鹿を狩猟する際には冥月が囮として獲物を引きつけ、それを莉乃が仕留めるという作戦をとっていたが、それまで彼女が相手にしていた小型の獣とは違い二人で狩る成体の猪や鹿は大きい分力も強い。
必然的にそれまでは狩るに適していなかった強敵を相手にすることが増えたため、腕力も増してきたのだろう。
「頼り甲斐がある、と言って欲しいもんだな」
猪の解体を終えると莉乃は肉を枝に突き刺し、焚き火の周りに並べた。
「そうだな、君のような相棒を得て私は幸福かもしれないな」
軽口を叩き合いながらしばらく二人は燃え盛る炎を眺めていたが、やがて莉乃がゆっくりと口を開く。
「……冥にいは今、幸せか?」
ちらっと莉乃は隣に座る冥月に流し目を送ったが、肝心の彼は肉の焼き加減を見るのに必死で気づかなかった。
「そうだな、こうしてすべきこと、生きる術があるのは幸せなことだな」
冥月の言葉にしばらく莉乃は何ごとかを考えていたが、その表情は一週間前の野性味溢れる動物的なものではなく、どこか文明的な人間らしさを感じさせるものである。
「俺はみんなに排斥されて人間と断ち切られたことを不幸に思ってたけど、今思うとそれは大したことじゃないんじゃないかって思うんだ」
家畜民として生きてきた莉乃の信じられない言葉は、他の卑猩が聞いたら愕然とするかもしれないものだったが、冥月は何も言わずただ静かに耳を傾けていた。
「むしろ誰かに生死を左右されて、自分の生き方を選べないことの方が不幸なんじゃないかな?」
兄平蓮との別離から始まった一連の流れ、EMSに管理される卑猩たちと離れて暮らしたために莉乃は彼らとは異なる価値観を見いだしつつあるのか。
「……そうかもしれないな」
無言で火を見つめながら莉乃の言葉に聴き入っていた冥月だったが、彼女の話しがひと段落つくと微かに頭を下げてみせる。
「なんのためにEMSが卑猩を支配し、道具のように使うのか私にはわからないが、言葉が通じる同族が同族を支配するなどあってはならない」
「同族……」
冥月の同族という言葉に莉乃はことさら強く反応した。
最近莉乃は冥月の使う言葉を学んで語彙力を増やすことがある。『飯』というのも彼が使っていた単語でそこから食事の意味と理解したらしいが、卑猩たちと離れて暮らしたことによる変化なのだろうか?
「同じ種族ということだ。少なくとも私から見れば人間も卑猩も何も変わりはない」
同じような姿をしているにもかかわらず、片方が支配される構図は現代日本で生きてきた冥月から見れば不自然極まりない。
だが、莉乃のような存在を除き大多数の卑猩たちがEMSに支配されていることを受け入れているならば、彼の正義感も独善でしかなかった。
「……(それに、別の世界の人間である私が、勝手な感情でこの世界に干渉するのは間違っている)」
もしこの世界を変えると言うならば、異分子たる冥月ではなく、莉乃ら卑猩が自分たちの意思で立ち上がらねばならないだろう。
「どうして卑猩はEMSに支配されてるのかな?」
「……さあ、私には見当もつかないな」
莉乃の問いかけは冥月にとっても気になる疑念だが、情報がここまで少ない状態では仮説すら立てられないものだ。
「……(だが、あの兵士は私の雷を見たとき、明らかに驚いていた)」
あの実験場から逃れる際に追いかけてきた兵士は、冥月の雷、『理気』とやらを見て明らかに動揺していた。
「……(莉乃の様子を見るに卑猩は理気を扱えない、そのためEMSは卑猩を見下していると考えるべきか?)」
だがそれだけでは何故卑猩を支配しているのかまではわからない。この謎を解くためにはEMS側の史料を漁らねばならないだろう。
「……(もし、正当な理由でなかったとしても、私にはどうする権利もない、がな)」
ふう、と思案をやめて莉乃のほうを見ると、すでに彼女はよく火の通った肉から頬張り始めていた。
「冥にい、食べないの? もう焼けてるよ?」
「……ん? ああ、そうだな、とにかくまずは力をつけなければな」
気を取り直して肉を食べようと手を伸ばそうとした冥月だったが、まるで何者かに手を掴まれたかのように動きを止める。
「冥にい……?」
不吉な気配を感じたのは莉乃も同じだったらしく、彼女に至っては近くに置いていた石斧に手をかけていた。
「……むっ!」
瞬間、風の流れが急速に変わったかと思うと、一瞬にして火を吹き消し、姿勢の制御にすら難儀するほどの風が二人を襲う。
「こ、これって……!」
慌てふためく莉乃だったが、即座に近くの木に掴まったため吹き飛ばされることはなく、冥月も地面に軍刀を突き刺すことでこれに抗った。
「不思議な理気の流れを辿ってきたが……」
ゆっくりと暴風の中から聞こえてくる声に耳を傾ける冥月、姿を捉えることはまだ難しいが、どうやら声の質から言って若い女性らしいことがわかる。
「察するに貴様が『メイプル』冥月か」
「……何者だ?」
暴風に負けないような大声で叫ぶ冥月の前に現れたのは、EMSの野戦服に軍刀を下げた女性士官だった。
「我が名はEMS正規軍大佐、ヴィルヘルミナ・ガドウィン。貴様によって傷つけられた帝国宰相、クララ・ガドウィンが娘だ!」




