番外編 セシルとルートの熱砂訪問⑤
「世話になったね」
馬車を背にして学園時代の友に告げる。
コンサートが終わった後、王宮から手紙が届いてメイは正式に宰相として政治を補佐することが決まった。歌手としての人気も上々。民衆の認知度も十分だ。民に慕われ愛される素晴らしい宰相になることだろう。
因みにゾノは王専属の護衛騎士になるらしい。納得の采配だ。
「寂しくないぞ!そのうちすぐ俺が行くからな!」
「隣町に行く感覚で国を跨ぐな!」
「ルート、また一緒にステージで演奏しましょうね」
「はい!楽しみに待ってますね」
「えっボクには?」
「コンサートのチケットもぎとしてなら足を踏み入れる事を許可してあげなくもないわ」
「ち、チケットもぎ……!」
相も変わらずメイのボクへの当たりは強い。
……でも今日は何故か少し違う気がした。
ボクを見る時はいつもキュッと吊り上がっていた目が、今はまるでぷつんと糸が切れたように下がり、不機嫌そうに曲げられていた口角が上がり、そして――。
「アハハッ、冗談よ!ふふふ……」
「え……」
冗談だと笑った。メイがこんなふうにボクを見て高笑いではなく、素直に笑うなんて初めてじゃないだろうか。
友達とふざけ合う時みたいな、こんなころころとした笑顔を見せたのは。
「あたしの歌は、アンタに響いたかしら」
「えっ。う、うん……」
「それならいいの。……それならいいのよ」
「また聴きにいらっしゃい。今度はちゃんと招待してあげるわ」と穏やかに微笑んだメイに、ボクは。
「ああ、楽しみにしてる」
「ふふっ」
差し出した右手に細い手が重なる。初めてメイと交わした握手は少し力が強くて、この手でこの国を支えていくのだろうと思うととても逞しく感じた。
「頑張りなよ」
「ええ」
ふっと笑って手の力を緩める。メイの手は何処か名残惜しそうに、ゆっくりと離れていった。
「……いいのか?」
「ええ、いいのよ。なんだかすっきりしたわ」
顔色を伺うようなゾノの声にメイがカラッとした表情で笑う。
まるで憑き物が落ちたようなその表情に「何かあったの?」と尋ねると「アンタには一生分かんないわよ」と笑われた。なんだかよく分からないが馬鹿にされた気がする。
「それじゃあね」と手を振ると「ああ、気を付けて帰れよ」とゾノがボク達が来た時の倍の勢いでぶんぶんと手を振った。ボクは笑って背を向ける。そして馬車に乗ろうとして、
「セシル」
「えっ?は……」
名前を呼ばれて振り向いた途端、肩を押さえつけられてガクッとバランスを崩す。
瞬間、右頬に柔らかな唇が触れる感触がしてボクは驚きに目を見開いた。
「じゃあね、鈍感なお馬鹿さん」
鈍感なお馬鹿さん。
そのフレーズ、どこかで――。
ちゅっ、と音を立てて離れていった熱。思わず右頬に手を当てて唖然としていると、熱砂の宝石が微笑んだ。
「冗談よ」
「ぼっ……ボクをからかうな!」
「アハハ!」
メイは心の底から楽しそうに笑ってルートの元へ駆け寄ると同じように頬にキスを落とし、こちらを見て「またね」と意地悪っぽく笑った。
ドレスの裾を翻して背を向けた後ろ姿。細い身体で凛と背を伸ばして歩く彼女は、もう振り返ることはなかった。
「大人の女性って別れ際も素敵だなぁ。……あれ、兄さん?顔真っ赤だけど」
「う、うるさいっ!ちょっとびっくりしただけ……!」
「ふーん。まあいいや。帰ろっか」
バクバクとうるさい心臓。
なるほど、欲しい物を手に入れた時のメイはあんなふうに笑うのか。
昨日は可愛げがないなんて言ったけど。
「……ほんのちょっとは、可愛かったかもね……」
「えーなに?僕が可愛いのはいつものことでしょ。ほら早く引いて。兄さんの番だよ」
「お前のことを言ったんじゃないよ……!」
「おや、では私のことで……?」
「あんた居たの!!?」
しれっとババ抜きに加わっていた主張の強い金髪のおかっぱ頭に度肝を抜かれ、騒がしく馬車は進む。
砂漠に沈む夕日はまるで彼女の瞳みたいに真っ赤に帰路を照らしていた。
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「あーあ、やっと行った!清々したわ!」
「行ってしまったな……今度会えるのはいつになるだろうか」
「しみったれてんじゃないわよ。この国のトップに仕えるんだもの、これから忙しくなるわよ」
「痛い」
大きな体躯をしょんぼりと丸めて、とぼとぼと歩くゾノ。それと比例して、ゾノの脚をげしげしと蹴って進ませるメイの表情は明るかった。
「どうやら完全に吹っ切れたようだな」
「ええ。……あたしね、いい事考え付いちゃったの」
「んっ!?い、今何故か背筋が少しゾワっとしたが……聞こう……」
「フフッ……そうね……年下の男の子って可愛いわよね」
「……まさか」
メイの言わんとしていることが分かり、驚愕の表情で見つめる。
メイは口の端を持ち上げ、まるで女王のような美しい所作で微笑んだ。
「コンサートで一緒に歌って演奏して思い付いたの。どうしてわざわざへたくそな歌を聴きたいだなんて思っていたのかしら?あたしを慕って懐いてくれている、音楽の才能に溢れた子がすぐそこに居たというのに!」
「……程々にしておけ。相手は6つも歳が離れているだろう」
「あらやだわ、歳の差なんて些細なものじゃない。あのセシルの弟だもの、成長したら素敵な美青年になりそうよ?相手は次男だしうちに婿入り出来るわ。そうしたらセシルとも家族になれる……」
「そうなればアンタも嬉しいでしょう?」と聞かれて頷く。
勿論、セシルと家族になれたらとても嬉しい。嬉しいが……。
「あたし、欲しい物は全部手に入れないと気が済まない主義なの。どれだけ時間がかかったって絶対に手に入れてやるわ」
ルビーのような瞳がメラメラと熱意に燃えている。そんな妹の横で、ゾノは溜め息を吐いた。
熱砂の宝石は、兄が思うよりもずっと強かだったらしい。