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鱗の裏側  作者: 銀タ
14/22

仕舞う心


 


 

 

 どうしてこうなった、と密かに唸りながら、アウレが入れた茶をやけくそ気味に飲み干す。空になったカップを手荒に置いたヴィアは、キリキリと痛む胃を押さえながら、ゆっくりと顔を上げた。

 

 晴れ渡る空、咲き乱れる花達に彩られ、『花園』の庭は今日も美しい。

 

 そんな庭に設置されたテーブル、そこから少し離れた場所で、ニコニコと微笑みながら立つアウレ。うむ、これは問題ない、むしろ可愛らしくていいじゃないか。

 次に、おっとりとカップの中を覗き込みながら、良いお天気ですわね、と喜ぶルトミナ。ああこれも正常だ、相変わらず所作が美しい。

 

 だが、次は可笑しいだろう次! と歯を食い縛ったヴィアは、ギリギリと歯軋りをしながら横を見る。目と目が合った瞬間、バチリ、と音がしたかと思うほど強烈な視線。その視線は真っ直ぐヴィアを見つめ、どこかうっとりと甘い雰囲気まで漂っている。

 何故だ、何故この男と一緒なのだ! 内心頭を抱えながら、優雅に茶を飲む諸悪の根元をジロリと睨み付ける。昨日あれ程メルヴィルの事は任せてくれ、と胸を叩いていた筈のルトミナ。それなのに、メルヴィルをこの場に連れてきたばかりでなく、二人を隣り合わせにまでする始末。

 

「ナゼダ……」

 

 つい口から洩れてしまった言葉に、慌てて空のカップに口をつけて誤魔化そうと試みる。……その試みが成功してるかはさておき、誰からも追求されなかった事に安堵し、恨みがましくルトミナに目を向ける。

 メルヴィル殿の相手は気が重いと言っただろう! と睨みつけているヴィアの視線など何のその、当のルトミナは何事も無かったかのように飄々とお茶を楽しんでいる。そんな態度に、ぐぅっと唸ったヴィアは、負け惜しみのようにテーブルの下で小さく地団駄を踏みながら、目の前に置かれたクッキーをひたすら貪った。……そしてその行動がいけなかった。

 

「ヴィア、腹が減っていたのか?」

 

 隣からかけられた甘い声に、モグモグと頬を膨らませていたヴィアは思わず喉を詰まらせる。えずきながら慌てて胸を叩き、気を利かせたアウレが然り気無く追加した茶に感謝をして、一気にカップを煽った。

 

「ぐっ、ごほっ、あ、ああ、朝食を忘れていて……」

 

 クッキーを喉に詰まらせたヴィアは、何とか呼吸を整える事に成功し、今更ながら平静を装う。

 ああ、我ながらなんと情けない姿か。己の余りの威厳の無さに、生理的か精神的だか、どちらともつかない涙が浮かぶ。

 まったく取り繕え切れていない自分の態度に、いや、元々威厳など欠片もないし、と肩を落としたヴィアは、しょんぼりとクッキーを頬張りながら、テーブルの上に飾られた花とと見つめ合った。

 段々、何だかクッキーだけが自分の味方な気がして、黙々と咀嚼を繰り返す。すると、視界の端からゴツゴツとした男の手が伸びてきた。小さな傷やタコだらけの大きな手に、これが騎士の手か、と呑気に関心していたヴィアの頬へ、その太い指が突き刺さる。

 一瞬何が何だか理解できなかったヴィアは、ボケッとその指と指の持ち主を見て、口一杯に詰め込んだクッキーを呑み込んだ。

 

「ああ、可愛かったのに」

 

 ツンツンと頬をつつきながらそう宣った男に、漸く自分の状況を把握したヴィアは、カッと頬を上気させた。

 

「なっ、なっ、なっ!」

 

 発火しそうな程熱を持った体に、ごちゃごちゃと纏まらない頭の中、そして言葉を発する事すら、いまのヴィアには儘ならない。パクパクと口を開閉して驚愕を露にするヴィアに、メルヴィルはひどく嬉しそうに笑った。

 

「照れてるのか? なら、脈ありって事かな」

「み、み、み、」


 脈って何だ脈って! とヴィアが叫びかけた時だった。

 

「ちょっと、そこのお二人? 私達をお忘れでなくて?」


 先程まで上機嫌にお茶を飲んでいたルトミナが、険しい表情をメルヴィルに向ける。ルトミナとアウレの存在をすっかり忘れていたヴィアは、怒っている様子のルトミナを見て、自分が怒られているのかとオロオロとした。

 

「ちっ」

 

 隣から聞こえた小さな舌打ちに驚き、目を剥いてそちらを見る。するとそこには、氷点下かと思うほど冷たい目でルトミナを睨むメルヴィルが居た。

 

「良いところだったのに……」

「メ、メルヴィル殿?」


 余りの豹変っぷりに驚き、恐る恐る声をかけると、先程までの鋭い雰囲気はどこへやら、何時ものように柔らかく笑いかけてくる。

 

「どうかしたのか、ヴィア?」

 

 甘い声で問いかけるメルヴィルのあまりの落差に目を白黒させていると、大きな咳払いが響く。慌ててその音の方を向くと、何やら渋い顔をするルトミナが居た。

 

「ごほんっ、えー、先程私がした忠告は覚えていらっしゃるかしら?」

 

 忠告? なんの事かと首を傾げるヴィアとは反対に、心当たりがあるのか、メルヴィルはむっとした表情を見せた。

 どうやら二人にしか分からない話らしい、と察したヴィアは、途端に何故か詰まらない気持ちになる。そんな自分の心境に首を傾げるヴィアを置き去りにして、二人は何やらよく分からない会話を続けた。

 

「ああわかっている。一々口を出すな鬱陶しい。お前は小姑か」

「なっ、私は親切心で言っておりますのに、何ですのその言い方は!」

「あーあー、お前は本当に五月蝿いな。少しは淑やかなふりでもしたらどうだ? お前を嫁にする奴が憐れで仕方がない」

「まぁ! そんな貴方こそ、化けの皮が剥がれておりますわよっ! 大体、私達愛し子に、嫁ぐだの何だのは関係ありませんでしょう!」

「さてな。我が弟は、未だにおまえが忘れられんようだが」

「なっ、あの方の話を出すは卑怯ですわ!」

 

 先程からどうも晴れない心地のまま、仲の良い二人のやり取りを傍観する。脇に控えるアウレも、そんな二人のやり取りに着いていけないのか、唖然としていた。

 そんな状態は暫く続き、何時までも止む気配の無い言葉の応酬にそろそろ飽きてきたヴィアは、今ならこっそり逃げれるかも、と企み、ゆっくりと立ち上がる。そして二人には何も告げず、こそこそと足を進める。筈だったが、案の定二歩程進んだ所でがっしりとした手に腕を掴まれ、強制的に元の場所へ引き戻された。

 

「ヴィアはまだここに。……おいルトミナ、話はもういいだろう。お前は邪魔だ、とっとと帰れ」

 

 ヴィアの手を掴んだままそう言ったメルヴィルに、ルトミナが呆れたように首を振りながら、それでも何も言い返さずアウレを連れて去っていく。

 ああ置いていかないで、と捨てられた犬のような心細い心地でその後ろ姿を見つめていたヴィアは、ぐっと腕を引かれ、無理矢理メルヴィルの方を向かせられた。

 

「そうルトミナばかり見てくれるな」

 

 しっかりとヴィアを抱き込み、憮然とした顔で見下ろしてくるメルヴィルは、そのまま頬を撫でてくる。その行動と言動がやけに甘くて、戸惑うヴィアはどうしていいか分からない。

 ウロウロと視線をさ迷わせるヴィアを強く抱き締めたメルヴィルは、その体制のまま低い声で言った。

 

「さっきルトミナから聞いたけど、まだ俺の事信用してないみたいだな?」

「うっ」

 

 ルトミナ、裏切ったな! と言葉には出さずとも、顔にありありと出てしまっているヴィアに目を眇め、首を傾げながら器用に片眉を上げたメルヴィルは、ゆっくりとした口調で問いただす。

 

「……信用、してないな?」

 

 念押しのように問われた言葉に冷や汗を流しながら、メルヴィルからひしひしと伝わってくる憤怒の気配に息をのむ。

 初めて感じるその怒気に、首を竦めて怯えるヴィアに気がついたメルヴィルは、眉を寄せて不機嫌に唸った。

 

「何がそんなに信用ならない? 俺がヴィアの事を好きだと言うのは、そんなに変な事か?」

「それは……正直、そうだろう?」

 

 じっとメルヴィルの胸の辺りを見つめながら、沈んだ声で答える。直接目を見て話す勇気は、ヴィアにはまだ無かった。

 

「何故だ? そんなに俺が不誠実に見える? それとも何か、俺が女を弄ぶような男だと?」


 そう矢継ぎ早に言うメルヴィルは、もしかしたらヴィアが思う以上に怒っているのかもしれない。腰に回った腕に力が入り、ヴィアの体を苦しいほど締め付けてくる。しかし、そんな状況でも何とか声を搾りだしたヴィアは、上を向いてぶつかった緑の瞳を眩しそうに見つめ、眉を下げた。

 

「もっと私を良く見ろ。こんな化け物を、本当に貴方は愛するのか。世間知らずの私とて理解出来る、私が恋されるような人間ではないと」

 

 落ち着いた調子のヴィアの声は、その状況の中で酷く異質で、辺りに染み渡るように響いた。その言葉を聞いたメルヴィルは、たちまち顔を凶悪なものに変え、不敵に笑った。

 

「今さら何を言う。愛するさ。いや、愛しているさ、もう取り返しのつかない程に」

 

 メルヴィルの言葉に目を大きく開くヴィアの頬を優しくなぞり、驚愕に固まっているその体をいとも簡単に抱き上げる。そして間近に見えるその顔を見て、笑みを深くした。

 

「初めて会ったときは、確かにヴィアに興味なんて全く無かった。だが、あの会議の時、小さく震えながら必死にクロシアに話をしている姿を見て、俺はまっ逆さまに落ちたんだ」

「なっ!」

「言わなくても、何に落ちたかなんて愚問を問うてくれるなよ?ああ、恋だ。……そう、これは恋なんだ。だってこんなにも、俺の胸は苦しいのだから」


 だからちゃんと責任をとってくれ、と甘く囁くメルヴィルには、偽りの影は欠片も見当たらないように思う。ありえない、と思考を停止させたヴィアは、それでも一つだけ分かっている事がある。

 

 ――メルヴィルだけじゃない、ヴィアの胸だって、息ができない程苦しいということを。

 

「ま、まって、責任って……」

 

 途切れ途切れに話すヴィアを抱え直し、メルヴィルは柔らかく目を細める。そして満面の笑顔で言った。

 

「まあ、もう逃がすつもりはないがな」

 

 ニヤリ、と笑う男の目は、ちっとも笑ってなどいない。ゾワゾワと身体中を走る何かを感じながら、ヴィアはその時悟った。きっと、この男からは死んでも逃げられやしない、と。

 

 だからヴィアは笑った。諦めたように、困ったように、そしてどこか嬉しそうに。

 メルヴィルに向かって、初めてではないかと思うほど、柔らかく甘い笑みを浮かべる。そして、やはりどこか嬉しそうな声で言うのだ。

 

「困ったな、まだよく分からないが。私はそんな貴方が嫌ではないらしい」

 

 それを聞いて意外なことに顔を赤く染めた男を見て、もしかしたら本当に信じてもいいのかもしれない、と思ったヴィアは、自然と口許を緩めて笑っていた。

 

 ――きっと、二人が幸せになる未来はないだろうが、それでも今だけなら

 

 脳裏に浮かんだその言葉を密かに胸に仕舞い込み、体の力を抜いてメルヴィルに身を預ける。幸せなのに悲しい、その複雑な心境を悟られないよう、ヴィアはゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

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