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白い羅刹と鬼討ちの剣  作者: 玖音
第一章 朧なる者達
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第一話 鬼討ちの少女

 小さな集落に、子どものはしゃぐ声がある。

 遠くから聴こえてくるその声を聴きながら、私は里のはずれにある泉で水浴びをしていた。


 家にも風呂桶はあるのだが、泉の澄んだ水で身を清めるのは魔を払うという意味合いもあり、私は“仕事”の前には欠かさずここで体を洗うようにしていた。


 泉の水に映る自分の姿を見やる。

 黒く腰まである長い髪、少し鋭さを含んだぱっちりした目。

 顔立ちは、幼い記憶の中にある美しかった母と最近少し似てきた気がする。


 視線を下げて自分の裸体を観察し、膨らんできている胸に手を添えた。

 十七ともなると、ところどころが女らしく肉付いてきてしまっている。


 鬼討ちとしては、余分な肉は動きを鈍らせる事になるので極力つけたくない。

 しかし胸の成長は止めようがなかったので、せめてその脂肪が腹などにはいかないよう、毎日の鍛錬は欠かしていない。


 鍛錬でかいた汗を流すという意味でも、いちいち湯を沸かして風呂に入るより、この泉に来た方が手っ取り早かった。


 --だが、泉で身を清めるには弊害もある。


「……またか。懲りない奴らめ……」


 私は泉の底にあった小石をいくつか拾うと、それを草むら目掛けて勢いよく投擲した。


「ぎゃっ!」「ぐわっ!」「いてっ!」


 三人の若い男の悲鳴が聴こえた。


「……ケイタ、サブ、シュウか。いい加減、私も怒るぞ。女の入浴を覗き見るとは、不届き千万!」


 私は泉の淵に置いていた刀に手をかけ、隠れていた三人の里の男達を威嚇する。


「ちっ、今日のところはこのくらいにしといてやらぁ! ズラかるぞお前ら!」


「減るもんじゃなし、ちょっとくらい良いじゃねーかケチ!」


「また胸大きくなったな! ごちそうさまでした!」


 口々に捨て台詞を吐きながら、慌てて逃げ出していった。

 最後の台詞を吐いたシュウには、もう一発小石をぶつけておいた。


「……まったく、おちおち身も清めてられんな」


 ふぅ、と息を吐きながら、そろそろ仕事の時間である事を思い返し、私はそろそろ泉から上がる事にした。




 ******




 体を拭いて着替えた後、一度自宅へと戻る事にした私は、畑仕事している何人かの里人達と挨拶を交わした。


「おぉ~ユヅキちゃん! もうすぐ仕事かい? 気をつけてなぁ~」


「うむ、ありがとう! タケさんもあまり根を詰め過ぎないようにな。私が留守の間、里を頼んだぞ」


 なんでもない日常の光景。

 そう、私はこの光景を守るため、今日も“仕事”へと赴くのだ。


 家に戻ると、予め用意していた装束に身を通す。

 膝上まで覆う黒い足袋を履き、髪を後ろで束ねると、立てかけていた刀を腰に差し、腰帯をきつく締める。


「行ってきます、父上」


 父の遺影に手を合わせ、里の平和と、今日も仕事が無事に終わる事を祈った。


 家を出て村の出口へと向かうと、欠伸をしていた青年--先ほど私の入浴を覗き見ていた男の一人、守衛のシュウと目が合った。


「……んぁ、ユヅキ? あぁ、もう仕事の時間なのか」


「まったく、守衛の仕事をサボってまで私の裸を見に来る奴があるか。そんな事で私がいない間、里を守れるのか?」


「だ~い丈夫だって。村に近づいた鬼はユヅキが定期的に退治してくれてるおかげで滅多にここまで来ないし、万が一村に入られても里人みんな、“鬼討ち”なんだ。普段はあんなでも、いざって時に遅れを取るような奴はいないさ」


「万が一という事があるだろう? 里人でも退治出来ないような大物が来たらどうするんだ?」


「ははっ、それこそないって。こんな辺鄙な里をわざわざ襲おうとするような奴はいないだろ。大きな都なら狙う奴もいるかもしれねぇけどな。最近都でよく事件を起こしてるって噂の、なんだっけ……あぁ、そうだ。“(おぼろ)”とかいう鬼の集団とかならな」


「……“朧”か。都で暗殺や強奪を繰り返しているという……目撃者の証言から、構成員は鬼族の手練ればかりだと聞く。確かに主に事件は都で起きているようだが、油断は禁物だぞ。何かのきっかけでここが“鬼討ちの里”と知られれば、目をつけられるかもしれんしな」


「それこそ心配ないだろ。この里は代々、鬼討ちの里であるという事実を知られぬようひっそりと過ごしてきたし、公にした事はねぇ。知ってる奴はほとんど外界にはいないはずだぜ。……っと、こんなとこで油売ってていいのかい、ユヅキ? 鬼退治に行ってきたまえよ」


「……調子の良い奴め。まぁいい、確かにこんなところで時間を浪費してる場合じゃないな。行ってくるよ」


 そう毒づいてシュウに向けて軽く手を振ると、森へと続く道を進んだ。




 ******




 木々の間から、鳥のさえずりや風が葉を揺らす音がする。

 涼しげに目を細めながらも、気だけは引き締めた。


 自分の腕ならばこの辺りの鬼に遅れを取る事はないだろうが、時折群れで襲ってくる場合もある。そうなればいかに個として力の差があるとはいえ、何が起こるか分からない。


 半刻ほど経ち、森の大分奥の方まで来た時……“それ”は姿を表した。


(あれは……餓鬼か)


 餓鬼は、元々は人間だった者が死してなお、醜い欲望や怨念から動き出し、変異した存在だ。

 鬼の中では最下位に属し、戦闘力はそれほど高くない。


 とはいえ、一般の人間より力は強い場合が多く、度々人を襲っては人肉を食らったり、群れで襲われると手がつけられなくなる事から、人の世では恐れられる“魔物”だ。


(あの足の形状……素早い個体だな)


 一口に餓鬼と言っても、一匹一匹が様々な特徴を備えている。

 足の早い者、力の強い者、毒を吐く者、ただ徘徊する者、遭遇すると逃げ出す者、仲間を呼ぶ者、罠を張る狡猾な者など、多種多様な生態を備えている。


 普段、鬼などには滅多に遭遇しない普通の人間ならば、見ただけでそれらの特徴を見分けるのは難しいだろう。

 しかし、生まれた時より鬼討ちとして育った私は、これまでの人生で数え切れないほどの鬼を見てきた。

 その経験と知識から、餓鬼の身体的特徴からある程度の個体差を把握し、対処する術を身につけていた。


(一瞬で仕留める!)


 腰の刀に手をかけ、餓鬼の死角に回り込む。

 音で気づかれないよう、少しずつ近づいていき……ほんの数メートルまで迫ると地を蹴り、餓鬼の背後から首を一刀両断した。

 返り血を浴びぬよう素早く離れると、刀に付着した血を拭う。


「……ふぅ。気づかれる前に仕留められて良かった……素早い奴は、まともに相手すると面倒だからな」


 刀を納めると、地に伏した餓鬼の亡骸へ手をかざし、手の平に気を集中させる。

 数瞬後、亡骸からパチパチと火花が散り‥そのまま火は炎となって、餓鬼の身体を燃やしていった。


 放置しておけば虫も涌くし、腐臭や病の温床にもなる。

 幸い私は長年の過酷な修行により、体内に流れる気を練って熱量に変換する能力を得ており、それによって火を起こす事を得意としていた。

 火を物理的に起こすのは骨が折れるし、数多くの鬼を討ち処理する立場としては、こういった能力が身に付いたのはありがたい事だった。


「さて……先へ進むか」


 後処理を終えると、更に森の奥へ歩き出す。途中何体かの餓鬼に遭遇するも、危なげなくこれを倒し、里への脅威となり得る魔物を着実に減らしていった。


 餓鬼はこのような辺境の森では生息数が多く、定期的に倒してもしばらくするとまた数が増える。

 おそらくは、遠い地域から徘徊してきた者や、追い立てられた者、生息地の周囲に住む人間を食い尽くし、更なる餌を求めやって来る者など、様々な要因で集まるのだろう。


 私の里の周辺に集まる鬼は、ほとんどが餓鬼のようなあまり強くない鬼だ。

 長い歴史の中では、大物の鬼ともなると、一匹で人を千人食っただの、国を一つ潰しただのといった伝説を残す者もいる。


 鬼討ちの一族は、かつてはそのような伝説級の大物と戦いを繰り広げた歴史も持つが、それも今では滅多にない話だ。

 時々国から内密な依頼が入って大物退治に赴く事はあっても、大抵は辺境の森の奥にある里で、ひっそりと人目を避けて暮らしている。


 私もその例に漏れずひっそりと暮らしていたが、餓鬼より数段強い中堅程度の鬼とならば何度か戦った事があり、下す実力を持っている。

 そのくらいの実力を持つ者ならば、鬼討ちの里出身という事を伏せながら都の警護の職に就く者が多い。強い鬼は得てして、人の多い場所を襲う事が多いからだ。


 私がそういった職に就かないのは、自分にはそれほどまでの実力はないと思っての事もあるが、一番の理由は“里を守りたいから”だった。

 里人は皆、鬼討ちの一族とはいえ、実力ある者は次々と都へ登っていってしまい、最近では高齢化に悩まされつつある。

 せめて自分だけでも、もしもの時に皆を守れる存在でいなければ。それが私を、里の守護者たらしめる理由だった。


「……ふぅ。結構狩ったな……これでしばらく、鬼が里の方に迷い込むような心配もないだろう。そろそろ里へ戻るか」


 額の汗を拭いながら満足気にそう頷くと、来た道を引き返そうと踵を返す。


 瞬間、背筋に怖気が走った。


 なんだ?なんなんだ、この気配は。

 久しく感じていなかった感覚……

 ……否。生まれて初めて感じる感覚。


「ま、さか……何故、こんな辺境に……これほどの妖気、た、ただの鬼ではない……!」


 思わず身を震わせ、おそるおそる後ろを振り返るが‥誰もいない。視界には何者も映っていない。

 逆に言えば、距離があるにも関わらずこれほどの妖気を感じさせる相手。

 とてもではないが、私の手に追える相手でない事は明白だった。


「だ、だが……それでもっ!」


 拳をギュッと握り締め、顔を上げる。

 今、里を守れるのは自分しかいない。もしもこの鬼が、里へと向かったら……襲われたなら、里は全滅だろう。


 自分が戦うしかない。

 ゆっくりと体ごと振り返り、気配のする方へと足を踏み出す。

 森の奥へ。

 死の入り口へ。

 一歩一歩が重く感じる。

 だが、それでも着実に近づいていく。


 どれほどの時間、そうして進んだか分からないが……

 “それ”は、確かに居た。

 異様に白い髪の隙間から、二本の角が天に向かって生えている。


「……なんだ、貴様は……? 人の娘か。ちょうど良い、腹が減っていたところだ……女、貴様を食ってやろう」


 こちらを見つめる瞳は血のように紅い。


 こうして私は、白い鬼と出会った。

 狩る者と狩られる者。

 圧倒的捕食者と、脆弱な獲物として。

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