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その後 夜会の夜に







ふかふかの絨毯に豪奢なシャンデリア。

壁には所々に、タペストリーや絵画が掛けられている。

一定間隔で配置されているらしい窓からは、星の瞬く夜空が広がっている。




何度履いても慣れることの出来ないヒールのある靴のせいで、足元が心許ない。

ロープの上を綱渡りしているような感覚に辟易しながら、一歩を踏みしめる。

そんな私を支えてくれるのは、シュウの腕だ。

久しぶりに着飾って・・・正確には、張り切った院長に着飾らされた・・・動きにくい。

完全に服に着られている私は、隣を悠然と歩く彼の横顔を恨めしい思いで見つめていた。


「何か付いてるか」

立ち止まって、こちらを見もせずに鼻で笑った彼に、私は小さく首を振る。

「・・・緊張か」

「ん、やっぱり慣れなくて・・・」

ごめんね、と囁けば、彼が振り向いた。

そして、色違いになった瞳が優しく細められる。

「慣れなくていい」

「うん、でも・・・」

今回のような集まりに参加する機会は、これからいくらでもある。

それを思って気が重くなった私の肩を抱き、彼が囁く。

「慣れて、1人でふらふらされてもな。

 緊張して、俺にくっついているくらいが丁度いい」

「・・・え、シュ、・・・」

ぐい、と引き寄せられて近づいた瞳に、鼓動が跳ねた。

長い廊下の先に、何人かの人影が見えている。

見られているかも知れない、と人の目が気になった私は、近づいてきた顔を押し返す。

端正な顔立ちが、ぐに、と綺麗に潰れる。

「ここ、どこだと、思って、る、のっ」

・・・一体いつから、場所を選ばず魔王様に変身するようになったのか・・・。

そんなことを思いつつ、えいっ、と力を入れた私に、眉間にしわを寄せた彼が不満そうに言った。

「離宮」

端的な物言いに、私は人差し指をぴっと立てる。

「そうだよね、誰が見てるか分からないってことだよね?」

「・・・誰が見てるのか分かればいいのか」

「恥ずかしい、っていう意味です」

「そうか」

渋々頷いたらしい彼は、再び私の肩を抱いて歩きだした。

「・・・どうにも、小腹がな」

「ん?」

ちくちくと刺さる視線に気づいて、隣を見上げる。

彼が、じっと私を見ていた。

何かを催促する犬のようだ・・・と漠然と考えた私は、思い至って口を開く。

「ああ、お腹がすいたの?

 きっと美味しいお料理とお酒が待ってるからね、もうちょっと我慢して。

 お腹がすいて鳴るくらいの方が、美味しいものをもっと美味しく食べられるよね」

顔を押し返したのが良くなかったのか、私を見つめる彼の、眉間のしわが一向に取れない。

どうしたものか、と小首を傾げていると、ふいに彼が言った。

「・・・食事の前に、味見がしたかったんだが」

「うん?」

よく分からずに聞き返した私を、彼はまたしても鼻で笑ってくれた。



廊下の先の大きな扉が見えてきて、私はバッグから招待状を取り出した。

高級感のある台紙を開くと、そこには今夜の催しについてが書かれている。

今一度それに目を通している私の隣で、彼が呟いた。

「オーディエが皇太子になった披露目の夜会か・・・」

「皇太子、ってことは・・・次の王様になるってこと、なんだよね?」

「・・・だな」

短い肯定のあとに、彼は言った。

「ま、実際に継ぐのはまだ先の話になるとは思うが・・・」

「そっか」

シュウの言葉に相槌を打った私は、招待状をたたむ。

扉の前には白の騎士が立っていて、彼は私達の顔を見るなり背筋を伸ばした。

きっと私の隣を歩く彼に気づいて、緊張しているのだろう。

私は苦笑しながら招待状を差し出して、声をかけた。



大きな扉をくぐった私達は、次の間で荷物や貴重品を預ける。

招待状を持つ人間だけを通し、その上で身1つで大広間に入るようにするためだ。

もちろんそこには危険な物を持ち込ませないという意味合いもあるので、簡単なボディチェックも成されるのが慣例である。


「お疲れさまです、ヴィエッタさん」

数名いる白の騎士たちに紛れて、そこに副団長がいたことに驚きつつ声をかけると、彼女は微笑んで口を開いた。

「お久しぶりです。

 お元気そうで何より」

差し出された別の手に荷物を預け、両手を広げる。

すると彼女の手が、私の体を上から下へと辿っていった。

一瞬で終わってしまったチェックに息をつくと、横からシュウが尋ねた。

「今回は、ここの担当なのか?」

「ええ、ここの責任者です。

 ・・・今夜は、ラズおばさまがお子さんを?」

「ああ。

 本当はあの人にこちらに出向いてもらって、俺達は家にいるつもりだったんだが。

 ・・・もう表舞台には出たくないそうだ」

男性騎士にチェックをしてもらった彼は、肩を竦めてヴィエッタさんに言う。

すると彼女も、同じように肩を竦めた。

「ということは、これからは裏で画策したいということですか」

「・・・かもな。

 ぜひ、他人に迷惑のかからない企みにしておいてもらいたいものだが」

「そうですね」

言ってくすくす笑った白薔薇に、周囲の白騎士が食い入るように視線を向ける。

驚きなのか、それとも見入っているのか・・・。

そんな彼らを遠巻きに見ている私も、少なからず驚いていた。

・・・ヴィエッタさんの表情が、なんだか柔らかくなったような気がする・・・。

そんなふうに半ば呆然と彼女を見ていると、シュウがすぐそばにやって来て寄り添った。

「ミナ、ペンダントが・・・」

言葉と一緒に、何事にも器用な指先が胸元を掠める。

「お2人も、お兄様達に負けず劣らず、仲がよろしいですね」

低い声に思わず鼓動が跳ねた瞬間を、ヴィエッタさんはしっかり見ていたらしい。

感心したような表情を見せた彼女に、私は照れ隠しのつもりで口を開いた。

シュウは彼女の台詞など意にも介さず、私の首にかかったペンダントのズレを直してくれる。

「あの2人も、相変わらず仲良しですか?」

すると、彼女は微笑んで頷く。

「・・・気持ちが悪いくらいに。

 時折、お兄様がお義姉さまの機嫌を損なうようですが。

 そんなことよりも、双子がとにかく可愛らしくて・・・。

 赤ん坊があんなに可愛らしいなんて、一度は結婚してみてもいいかと思えるくらいです」

「結婚・・・あ、でもその前に恋愛は・・・?」

窺うように尋ねれば、彼女が小首を傾げた。

きょとん、といくらか幼く見える仕草に、周囲の白騎士がぽかんと口を開けているのが見える。

そんな部下の様子を肌で感じ取ったのか、ヴィエッタさんは一度周囲に視線を投げた。

その瞬間に、騎士達が頬を染めて直立不動になる。

ヴィエッタさんは、不思議そうに眉根を寄せて私を見ると、口を開いた。

「恋愛、ですか・・・」

「いないんですか?

 その、好きな人、とか・・・」

小部屋には私達しかいない。

他の招待客がやって来る気配もないし、この場に留まっていても問題なさそうだ。

私は思いきって、もう少し突っ込んだ質問をしてみることにした。

・・・興味もあるけれど、食い入るようにヴィエッタさんを見つめる白騎士達のことを慮って。

「ヴィエッタさんは、どんな男の人が好みなんですか?」

そのひと言を聞くや否や、騎士達は私を凝視した。

若干目が血走ったのがいるけれど、それは騎士として大丈夫なんだろうか・・・。

そんな部下の姿には目もくれずに、考える素振りも見せない彼女は即答する。

「私よりも強くて、お兄様よりも頭の回転が良い男です。

 ・・・そんな男がいるなら、まずは一度手合わせをして・・・」

「それは恋愛とは程遠いような気がするが・・・」

シュウがぽつりと呟いて、遠巻きにヴィエッタさんに視線を送る騎士達が頷く。

私は苦笑しながら、その様子を眺めていた。



ヴィエッタさんに見送られて、私達は大広間へと抜ける。

そこは、心地よい古さを感じる場所だった。

すでに多くの人が歓談していて、扉が開いても誰も気に留めないらしく、やって来た私達の存在に気づく様子もない。

大きなテーブルには、美味しそうな料理がずらりと並んでいる。

白と紅の侍女達が飲み物の入ったグラスを配りながら、招待客の合間を縫うように歩いている。


主催者である陛下や皇子さまの挨拶は、すでに終わったのだろうか。

シエルを寝かしつけるのに苦労して、来るのが遅くなってしまったとは思うけれど・・・。


そんな心配をしていた私の顔を、シュウが覗き込む。

「どうした」

「あ、うん・・・」

私は彼の言葉に、曖昧に頷いて言った。

「ちょっと遅くなっちゃったね・・・もう、皇子さまのご挨拶は終わっちゃったかなぁ」

「そうだな・・・かも知れないが、問題ない。

 もともと、身内のための夜会ではないはずだからな。

 ・・・だが、そうだな・・・祝辞を述べるくらいのことは、必要だな」

彼が辺りを見回しながら呟いて、私もその視線を追いかける。

すると、彼は小さな声で耳打ちした。

「オーディエが国政に前向きな姿勢を取り始めてから、外野が騒がしくなったらしい。

 リオンやレイラに取り入ろうという、古臭いことをする連中もいたようだしな・・・。

 大方、オーディエを引きずり降ろそうという魂胆だろうが」

「そんなことを?」

驚いて見上げると、彼は肩を竦めて言う。

「だから、リオンの子守りをしていたお前と、陛下の従兄弟の俺がここにいるわけだ。

 ・・・あの人も、表舞台には立たないと言いつつ・・・だな」

「ああ、なるほど・・・それで裏で画策・・・」


少し前に、自分宛の招待状を私達に転送してきた院長は、こう手紙に綴っていた。

“私はもう年も年だから、あまり騒がしい場所には行きたくないの。夜は早くに眠くなってしまうし。・・・だから、あなた達夫婦で出席してもらえないかしら。シエルのお守なら、私に任せて頂戴。”

手紙を読んだ時点では、シエルへのラブコールだと思っていたけれど、実際は少し違ったらしい。


「・・・教えてくれればいいのに・・・」

ぼそりと零した呟きに、彼が苦笑交じりに頷く。

「そうだな。

 でも、まあ、親孝行だと思って上手く使われてやろう。

 どのみち今後は、俺達が表で動くことの方が多くなるんだ」

「ん、そうだね」

私が頷いたのを見届けた彼は、改めて周囲を見渡した。









壁際に並べられた椅子に腰かけて、足から力を抜く。

皇子さまと陛下にお祝いの言葉をかけ、シュウの仕事に関わる方々に挨拶を終えた私は、しばらくこの場所でおとなしくしていた。

慣れないヒールで、足の裏が痛い。


やらなくてはならないことは片付けた、とのたまったシュウは、ずらりと並ぶ軽食とアルコールを取ってくると言い残して席を外している。

誰が目をくれるわけでもない壁際は、今の私には心地よい場所だ。

大きく息を吐いて、足首を回す。

見苦しい、と分かっているけれど、じんじん痛む足の裏を床に着けているのは辛いものがある。

「・・・ふぅ・・・」

靴の中が足の指を握ったり開いたりして、痛みを紛らわせていた。

そしてふとした瞬間に思い出すのは、自宅で眠っているであろう我が子のことだ。

・・・寝かしつけるまでは苦労させられたなぁ・・・院長を困らせてなければいいけど。


あの後・・・院長の孫フィーバーの件が落ち着いた後。

私達大人は、家族会議を開いた。

そこで私達夫婦の考えを院長に聞いてもらい、院長には見守ってもらいたいことを伝えた。

シエルに関しては、可愛がってもらえることは大変嬉しいことなので、可愛がり方のルールを決めさせてもらうことにして。

すると私の絡まった気持ちも落ち着いて、今では、こうしてシエルをひと晩みてもらうことにも、特に嫌悪感も心配もなく過ごせるようになった。

・・・最初にぶつかっておいて、良かったのかも知れないな。

・・・今頃院長は、シエルの寝顔を眺めつつ本を読んでいるのか、それとも起きてしまったシエルを抱っこして、子守唄でも歌っているのか・・・。

そんなことを想像して頬を緩めていると、突然横から声をかけられた。


「こんばんは、お嬢さん」

「・・・っ?!」

渋い声が耳元で囁いて、思わず立ち上がってしまう。

突然体重を乗せられた足の裏が悲鳴を上げ、顔をしかめた私に、その人はにっこり微笑んで手を差し出した。

「驚かせて申し訳なかったね。

 ・・・さ、座って。足を痛めているだろう?」

・・・分かっているなら、ぜひ正面からそっと声をかけていただきたい・・・。

やんわりと、けれど有無を言わせぬ力加減で腕を掴まれ、腰を下ろした私は、若干重心を横にずらして、その人をじっと見つめた。

白髪混じりの、壮年の男性だ。

人の良さそうな笑みを浮かべてはいるけれど、私の腕を掴んだ手から伝わるものは、優しくはなかったと思う。

「・・・あなたは?」

私は、自分の声が硬くなるのを感じながら、静かに尋ねた。


シュウからは、誰に声をかけられても自分から名乗ってはいけない、と言い含められている。

子守りをしていた時期とは違って、今の私よりも身分が上だという人間は、そうそう存在しないのだそうだ。

それはシュウが10の瞳を継いだからでもあるし、彼の母親の生まれも関係する。

細かい事情は知らされていないけれど、1人でいる時に声をかけられて身分を明かした途端に、身に危険が及ぶ可能性を示唆されていた。


シュウは近くにこそいないけれど、きっとすぐに戻ってくるはずだ。

そう自分を勇気づけて、私は目の前の彼をまっすぐに見据える。

「私?

 ・・・私は、名乗るほどの者でもないんだけどね」

グレーに染まっている髪を撫でつけて、その人はどこか照れくさそうに笑った。

「そうですか」

一体何が面白いのか知らないけれど、と内心で呟いた私は、あっさり頷いて視線を前へと戻す。

そして、どこかにいるであろうシュウの姿を探した。

背が高い上に、結構な割合で人を怯えさせる風貌をしている彼のことだ。

人ごみに紛れるだなんてことは、きっとない・・・そう思って。

「おや、つれないね」

静かな声に、一瞥をくれる。

そして彼が、ほんのり口角を上げて私を見つめていたことに気がついた。

小首を傾げる壮年の男性・・・しかも白髪混じりでかなりの男前である・・・が自分を見つめている事実は、かなり素敵な場面だとは思う。

「・・・あの、何かご用でしょうか」

「うん、お嬢さんと仲良くなりたいんだよ」

大変反応に困る発言をいただいた。

・・・というか、ナンパだったのか。

壮年の格好良い男性に言い寄られるのは、とても嬉しいけれど、それはもう空想の世界だけにしておきたい年頃なのだ。

ありがたく辞退させていただきたい。

絶句した私に、彼はにこにこ微笑んだ。

どうやら、私の後ろにいるシュウや院長が目当てなわけでも、リオン君や陛下への取次が目当てなわけでもないらしい。

それに気づいて、私はそっと息を吐きだした。


「ええと、夫と息子がおりまして。

 ・・・大変ありがたい申し出ですが、もっと綺麗な壁のお花、たくさんいらっしゃいますよ」

なるべく丁寧に、と言葉を選んだ私に、彼は軽く噴き出した。

「それは残念だなぁ・・・でも、」

穏やかな口調に、何かが潜んでいるのを感じた私は、咄嗟に立ち上がろうと腰を浮かす。

けれど、それよりも早く、彼のしわの刻まれた手が、私の手を捕まえていた。

目を細め、捕食者の顔をした彼に見つめられて、私は息を飲む。

「あの、」

「秘密を持つのも、長い人生には良いスパイスになると思うがね・・・?」

爆弾発言だ。

私が絶句していると、横からがっしりした腕が伸びてきた。


ぱしん、と壮年の彼の腕を叩いた手が、追い払うような仕草を見せる。

苦笑いしながら椅子から立ち上がり、肩を竦めて去っていく壮年の彼を、私はぽかんとしながら眺めていた。


「ありがと、しゅ・・・ぅ・・・」

こういう場面で来てくれるのはシュウだ、と思い込んでいる私は、夫の名を呼び掛けて、再び絶句してしまった。

「悪かったな、蒼鬼でなくて」

「ああああの、違うんですごめんなさい」

慌てて頭をぺこぺこ下げた私に、彼は苦虫を噛み潰したような顔を向ける。

只でさえ物騒な顔をしているというのに、眉間にしわなど寄せられようものなら、もう頭を下げるしかないではないか。

「・・・いやまあ、いいが・・・」

顔つきの割に品のある物腰で隣に腰を下ろした彼に、私はそっと視線を送る。

足を組んで、背もたれに体重を預けている姿は、やはりシュウを連想させた。

不機嫌そうに息を吐いた彼に、私は意を決して口を開いた。

「あの・・・いらしてたんですね、たい・・・」

「大使だ」

恐る恐る声をかけた私を遮って、大使が唸るように言う。

「まだ大使だったんですね・・・」

「ああ、おそらく、これから先もだな」

「・・・そうですか」


シュウと結婚する少し前に、ちょっとした事件で知り合った北の大国の大使。

彼は強国の王子だけれど継承権を放棄して軍人になり、そして、いろいろな働きの末に間に合わせの大使になったはずで・・・。

けれど、どうやらそれを続けるつもりらしい。


「ミナ」

「はい?」

・・・それにしても、いつになったらシュウは戻ってくるんだか・・・。

一向に姿を見せない夫を気にしつつ返事をすると、大使が険しい顔をしてこちらを見ていた。

「さっきの男とは、何を?」

「・・・え?

 ああ、仲良くなりたいんだ~、とか、そういう話をされまして」

「なるほど」

何かが腑に落ちたらしい大使が頷いて、私は小首を傾げる。

そういえば絶妙なタイミングで現れてくれたし、壮年の彼はどこか雰囲気が・・・。

引っかかりを感じるものの、どんな言葉で問えばいいものかと考えていると、大使が口を開いた。

「彼は俺の身内でな・・・。

 次に近寄ってきても、相手にせず、始終無視してやってくれ」

「身内・・・身内・・・み、」

言葉を反芻していた私は、頭に浮かんだ言葉がはっきりした瞬間に、息を飲んだ。

「冗談?」

「驚かせてすまなかった」

「・・・あああああ、どうしようっ。

 私、名乗ってませんよ!てっきりそこらのお金持ちのおじさんかと思って・・・!」

否定してほしかった言葉を謝罪されて取り乱す私に、彼が淡々と告げる。

「陛下方は、ご存じのはずなのだが。

 ・・・祝いの席に招かれた宰相になりすまして、この国で休暇を過ごすつもりだそうだ。

 滞在先に大使館を指定されたから、おそらく街にも出るつもりでおられる」

「分かりました。

 数日間家に引きこもることにします」

「・・・そうだな、それがいいかも知れん。

 さっきので、顔は覚えられただろうし・・・何より知っていて近づいているはずだ。

 良くない楽しみを見出されては、俺の仕事が増える」

「・・・こう言ってしまうのはアレですけど・・・。

 ずいぶんと型破りな方、だったんですね・・・」

眼光は鋭かったけれど、基本的にはアシュベリア陛下と似たような雰囲気を纏っておられたような気がする。

施政者というのは、ある程度我儘で大胆で、おまけに周囲にそれとなく迷惑をかけるという部分が、デフォルトになっているのだろうか。

私の生活を乱すようなことにならなければ、それで構わないのだけれど・・・。

「それはそうと・・・ミナ、」

壮年の彼に関する話は打ち切るつもりなのか、彼が声色を変えて私に向き直った。

小首を傾げて先を促すと、大使は視線を彷徨わせて言葉を紡ぐ。

「その・・・子どもが生まれたと」

「あ、はい。

 シエル、といって・・・男の子です」

「そうか」

「・・・そうですねぇ・・・」

気まずそうな空気を出されると、こちらも何と相槌を打てばよいものか。

私は言葉に困って曖昧なことを言って、曖昧に微笑んだ。

すると夫に雰囲気の似た彼は、静かに私を見る。

「見た目は、以前とそう変わらないんだな」

「・・・そうですか?」

そのひと言に、思わず頬が緩んでしまいそうな自分を叱咤する。

一応、少しずつ体型が戻るようにと、気を遣ってきたのだ。

抱っこスクワットもしたし、食事を数回に分けて食べるようにもした。

そんな努力を褒められたような気がして、気持ちが舞い上がってしまいそうだ。

心の中では、思い切りガッツポーズである。

それでも、何とも思っていない振りをした私に、彼はもう一言告げた。

「いや、以前よりも綺麗になったかも知れない」

真顔で褒められて、思わず頬を押さえる。

シュウに似た人に言われると、物凄い破壊力である。

そんな言葉を真に受けるような年でもないくせに、と自分に言い聞かせながら、私は熱くなる顔を必死に手で扇いだ。

その時だ。

「ミナ」

ようやく、その声が響いた。








「ちょっ・・・まっ・・・っ?!」

ぼすん、と柔らかいベッドに放り込まれ、その反動でバウンドして視界が揺れる。

「うぅぅ・・・急に何なの・・・」

愚痴を零した私に、大きなものが覆い被さってきた。

「や、ちょ・・・っ」

ぶつかる、と咄嗟に目を閉じて顔を背けた私は、いつまで経っても衝撃がやってこないことに、そっと目を開ける。

すると間近に、ようやく焦点が合うほどの距離に、シュウの顔があった。

そして、どうしてこうなったのかを思い出す。


大使と話をしていたところへ、シュウが戻ってきて。

シュウはどういうわけか静かに怒りを撒き散らしていて、私が間に入って事情を説明して。

それから、2人がよく分からない言葉の応酬をして・・・そして・・・。

そして・・・ふとした瞬間に、私は腕を掴まれて大広間を出て・・・あんまりシュウが歩くのが速くて、足が痛いと言って・・・。


そうだ、と私は彼の瞳を見つめながら状況を把握した。

私の体調が思わしくないから、と白の侍女に言って部屋を1つ使わせてもらうことになったのだ。

もちろんそれが嘘も方便の類なのは、目に見えているわけで・・・。


「シュウ・・・?」

私を見つめて動かない彼に、そっと声をかける。

返事はなく、彼はただ静かに私を見下ろしていたけれど、やがて我に返ったように声を漏らした。

「・・・ああ」

どこかバツが悪そうに、視線を逸らす。

そんな彼を、私は見逃さなかった。

「どうしたの・・・?」

上等な生地で出来たワンピースがしわになる。

そんな心配をしつつも、私は彼の視線がこちらを向くのを待つ。

試しに、つんつん、と覆い被さったままの彼の胸をつつく。

「シュウ」

つんつん。

すると、彼が呻いた。

「・・・一体何を言われて、あんなに照れていたんだ」

ぐるるる、と唸り声を上げる獣のようだ。

ようやく私を見たかと思えば、その瞳がずいぶんと攻撃的な光を放っている。

後ろめたさからではなく、ただ、その言葉のほの暗さに息を詰めてしまった。

けれど、それが彼には良くなかったらしい。

「言えないのか・・・?」

低い声で囁いたシュウが、私の首に唇を寄せる。

その声に私は弱い。

ベッドに押し倒された状況でそれをされたら、もう、降参してしまいたくなる。

ぞくぞくと肩の辺りを行ったり来たりする波に、頭が痺れてしまいそうだった。

触れて欲しい、と思わずにはいられなくなる。

そして彼は、くん、と匂いを嗅ぐ仕草をした。

最近ぱたりとしなくなった仕草をされて、私は漠然と思い当たってしまう。

「・・・綺麗になったね、って」

ぴくり、と彼の頬が引き攣る。

「そりゃ、照れますよね。

 世の中の女性の大半は、綺麗って言われたら照れたり喜んだり、しますよね。

 子ども産んでたら尚更、体型のために努力して良かったー、って思いますよね!」

気づけば、言葉の最後でやけくそ気味になった私の顔を、シュウが凝視していた。

「でも・・・」

「・・・ぅぷっ」

ダメ押しで、彼の頭を抱えながら耳打ちする。

「旦那さまに言ってもらうために、頑張ってたんですけどね。

 旦那さまのことしか、頭にないんですけどね!」

恥ずかしいことを言っている自覚があるから、顔は見ないでいただきたい。

がっしり彼の頭を捕まえたまま、私は早口で捲し立てた。

思い知ったか、とばかりに鼻息を荒くした私の腕の中で、シュウがもがく。

「・・・ミナ、苦しい」

くぐもった声がして腕を緩めるのと同時に、彼の大きな手が私のわき腹を掠めた。

「ひぁんっ・・・あ」

くすぐったさに身を捩ると、顔を上げた彼と目が合う。

そして彼は、色違いの瞳を細めて、舌舐めずりをした。

見るからに、檻から出してはいけない部類の猛獣そっくりだ。


・・・どうやら今ので、スイッチが入ってしまったらしい。



「そういえば、」

半分体を起しかけた私の手首を取り、逃がすまいと頭上で固定する。

・・・今日は紐なんて持ってないよね、と確認したくなるあたり、私も大概である。

瞬きをするごとに近くなる彼の顔を見ていられなくなった私は、言葉の続きがやって来ることなど構わずに、目を閉じた。

すると暗闇の中で、彼の舌が首筋を這う感触が鮮明になる。

必死に声を上げたくなるのを我慢していると、彼が囁いた。

「味見してない分、本気食いになりそうだな・・・」

「何の話・・・?」

唐突に空腹の話をされて、私は思わず尋ねていた。

彼が低く笑って、耳元で囁く。

「腹が鳴るくらい空腹の方が、美味いものをより美味く食べられる・・・だったか。

 お前が言ったんだ。覚えてるか」

「お、覚え・・・え?」

わけが分からず目を開ける。

そこには、楽しそうに目を細めた彼がいた。

空いた手の指先が、つつつ、と首筋を辿って胸元まで下りてくる。

それに気を取られていると、ふいに彼が言った。

「ああいう時は、味見させた方がいいんじゃないか。

 おかげで空腹を通り越して、飢えに近いものがあるぞ」

「え、飢え・・・?!」

とても物騒な響きだ。

物騒な上に、この状況で言われるとなんだか生々しい。

遊んでいた指が、服も下着も一緒くたに絡め取ろうと蠢く。

「あ・・・っ?!」

肌が空気に晒される感覚に戸惑っていると、彼はさらに囁いた。

「綺麗だなどと・・・この服の下に隠した部分も見ずに、簡単に言ってくれる・・・」

苦々しく呟いた彼に、噛みつくように口付けられた私は、すぐに息があがってしまう。

「だ、から・・・っ」

何度も何度も角度を変えて貪られながらも、私は必死に言葉を紡ぐ。

「シュウ、にっ・・・見てっ・・・も、らい、たく・・・んむぅっ」

煩い、とばかりに口付けられた後はもう、久しぶりに我を忘れてしまった。






・・・と、いうか。

本気食い、と表現した彼はその夜・・・なんだか凄かった。


・・・たまには妬かせるのも、良いかも知れない。












お読みいただき、ありがとうございました!

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また、ムーンライトさんでオトナ小話を掲載しています。「マリーの甘味処」で検索して閲覧して下さい。お手数おかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

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