4章26話:アイキャッチ〈リーゼ〉
木々の隙間を潜ってたどり着く森の開けた空間で、リーゼとアイリスは相対していた。なくなったはずのアイリスの両腕には、精巧に作られた義手がある。
「フミーに会っていかねぇの? アイリスさん」
静かなその空間に、リーゼの問いかけが響く。
「会っても気まずいだけどすえ」
朝焼けの空を宿した瞳を瞬かせながらアイリスは答える。
その瞳に前みたいな虚ろさはなくなっており、光が宿っていた。
「フミーは気にしねぇと思うけどな」
リーゼの言葉にアイリスは何か言いたげな顔をしてから目を閉じ、数秒してから再び開けた。
「リーゼさんは自分のことクズだと思ったことあるん?」
「ないな。誰かをそう思ったこともない」
唐突なその質問に、リーゼは茶化すことなく正直に答える。自分含め、誰かに対してそういった評価を下したところで無意味だろう。
「あの環境にいてそれは、倫理観がなくて立派やね。そういうところぼくは嫌いやけど、ぼくよりクズで安心するわぁ」
「倫理観とか、そういう当たり前の常識みたいなの、普通どこで学ぶもんなんだろな」
はんなりと安らぐように微笑みながら刺してくるアイリスの言葉を受け流し、リーゼは疑問を口にする。
「それは親とか家族だろうね。ぼくの両親はぼくがうんと小さい頃に亡くなったけど。リーゼさんは?」
「最初からいなかった」
「へぇ。可哀想に。苦労したやんな」
どこか納得したようにアイリスは頷くが、そこに同情の色はなかった。
「……だからかもしれねぇけど、幸せがわからなかった」
「不幸ぶるん? 本当に、そういうところ吐き気がするんやけど」
「そりゃ悪い」
眉を顰めて冷ややかな言葉をかけるアイリスにリーゼは謝る。アイリスはそれにも不満げな顔をした。
しかし、アイリスは地面を踏み締め、一歩一歩リーゼとの距離を縮め始める。残り数歩というところまでやって来て、歩みを止めた。
「…………でもな」
「何だよ」
じっと見つめてくるアイリスにリーゼは首を傾げて半歩後退る。
「死のうとしたぼくを引き止めてくれたことは忘れへん」
「……!」
「ありがとうな。それだけどす」
そう言い残して、アイリスは背を向けた。ボロボロになった着物の代わりに、シュージに買ってもらったという装飾の凝った白いワンピースをはためかせ、麦わら帽子を深く被りながら。
——リーゼはその姿から目を逸らし、唇を噛む。
感謝されるようなことじゃなかった。後悔の埋め合わせのようなものだった。
リーゼが止めなくても、アヤートも止めたことだろう。
「大したことじゃねぇって」
溢したリーゼの本音に、アイリスはチラリとこちらを向き、額に手を当ててため息を吐く。やれやれといった風に。
「お礼は素直に受け取らなあかんやん。そないな感じじゃ幸せになれんで」
「はぁ? 素直かどうかが幸せに関係あるのかよ」
「そら大アリ。長生きで美人のエルフが言うんやさかい間違いあらへんどすえ」
「ほーん」
「そやさかい正直言うと、どうせログライフ死んで魅了解けるなら、寿命媒介にしてまでリクさんに治してもろうた意味あったのか思たりするなぁ」
「そんなんは結果論ってやつだろ」
「うん。せやな」
目を細めてできたアイリスの笑みは力の抜けた姿だった。
——
アイリスとの会話を後にし、やって来たのは自分の家兼喫茶店だ。
フミーも目覚めたわけで、ほったらかしにしていた喫茶店の経営を再開しようと、店のある高台に来ていた。
しかし、その高台で膝を抱えて縮こまっている人影を発見する。
「何やってんだ?」
リーゼが声をかけると、少女は顔を上げる。
「ネオンと喧嘩した」
白い髪を風にはためかせながら、フミーは一言そう言った。
とりあえず喫茶店の中に入れ、子供にお似合いのパフェとオレンジジュースを出す。
フミーはぱくぱくと勢いよくパフェを口に入れながら、チラリと壁に寄りかかっているリーゼを見た。
「喧嘩の理由とか、聞かないの?」
「聞いてどうすんだよ。ウチに人間関係のアドバイスとかできるわけねぇだろ」
「アドバイスが欲しいんじゃ……いや全く欲しくないわけでもないけれど、ただ話を聞いて欲しいだけなの」
眉を下げ、遠慮がちにフミーは目的を吐露する。
「……リーゼは、アタシが何言っても怒らない?」
続けて、フミーはそんな問いかけをした。顔を逸らされたので表情はわからない。
「かっ。そんなんわかんねぇけど、ネオよりは優しくしてやるよ」
リーゼは自分が怒りを覚えた経験など、あまり思い出せなかった。暑い中、買ったばかりの氷菓を床に落とした時は何に対するでもない怒りがあった気がするくらいか。
しかし少なくとも、フミーに対してそんな感情を持ったことはなかったから、笑い飛ばした。
その返答にホッとした様子でフミーは口を開く。
「あのね……恵まれてて、怖くなるのって変かな?」
「…………あん?」
「父様とかネオンとかリクとかリーゼとか、いっぱい頼れる人がいて、フミーに良くしてくれる。それから目標も叶いそう……それでいいのかわからないの」
「……」
〝いい〟とはどういうことだろう。そもそも全員、自分の意思でやっていることのはずだ。目標が叶うのもめでたいことではないか。
「だって、アタシは全然ダメダメなのに、今だってすぐこうやって悩んじゃうくらい弱いのに……」
首を傾げるリーゼを見て、フミーは付け加える。
「あー……なるほど」
そのフミーの言葉を聞いて、少し飲み込めた。
「ウチも最近ちょうど考えてたからわかるぜ。やってきたことに対して恵まれすぎることだな」
「う、うん。そうなの。落ち着かなくなってくるよね、なんだか」
「それは知らないが、まぁ、考えたところで無駄だった。結局たまたまだろうからな」
「たまたま……偶然っていうこと?」
「運とも言う」
「……その結論ってズルくない? 失敗も成功も全部運次第になるよ」
「んじゃ、勘がよかったって言うか。その場その場の何かしらの判断が良かった」
「それもつまりは運な気がする」
「でもよ、運のせいにすればいいじゃねぇか。後悔しちまうような失敗までは無理かもしれねぇけど、なんか上手くいったことくらい細かいとこ気にせず運が良かった万歳でいいだろ」
「———」
フミーは大きな目を丸くしてから瞬きをし、目を伏せる。
「理屈ではわかっても、気持ちってそう簡単に変えられないな。——ねぇ、リーゼ、もうちょっと、アタシを励ましてみて」
「アドバイスはいらないんじゃねーのかよ」
「とっくにアドバイスしてくれたじゃない。というか、アドバイスじゃなくて励ましよ! アタシが喜びそうなこと言って! そしたらネオンと仲直りしてくる!」
「オネと仲直りするしないはどうでもいいが……そうだな……」
フミーのように、自分の思うことを明け透けに話すのもいいかもしれない。普段は言わない——言ってもいいことなのか、言う価値があるのか、何か変わるのかわならないことでも。
「本当は……旅にでも出ようかと思っててよ」
「え!!」
「お前の男の死者蘇生の協力が終わったら、その方がいい気がしたんだ。ウチはここにいちゃいけねぇのかもなって。居心地が悪くねぇから、甘えてたのかもしれない」
「そんな悲しいこと言わないで。……そんなこと言ってもアタシは喜ばないよ?」
「でも、やめた」
「!」
「フミー、言ってくれたよな、ウチを家族みたいに思うって」
「うん!」
「それ、ウチも思っていいか? ウチはお前の近くにいたい。お前の影響を受けたい」
「〜! もちろん!」
笑顔を咲かせて、フミーはリーゼの手を両手で握る。慣れない感覚で反射的にリーゼは手を抜き取りそうになるが、力を抜いて身を任せた。色白で小さな手だ。
その手がリーゼの手を温かく包み込む。
「ねぇ、リーゼ。今、幸せ?」
鮮やかな紅色の瞳で真っ直ぐ見つめられる。
それは、かつて森林地帯で見た幻覚の少女も問うてきた質問だ。その時は何も答えられなかったが、今なら何か言葉を紡げそうだった。
「……お前が眠ってた時、死ぬんじゃないかって思って、不安だったんだ」
一週間あまり寝付けなかったし、今みたいにに手を握ってずっと体温を感じていたかった。
その落ち着かない感情を打ち明ける声は、自分でも驚くほど小さなものだった。けれど、すぐ近くにいるフミーには聞こえているだろう。
「だから、お前がそうやっていてくれるだけで、ウチは……幸せなんていらないくらい満足なんだ」
幸せなんていらなかった。ないものねだりというやつだ。
ただ、後悔がなく、苦しむことなくいられるだけでよかった。およそ30年生きてきて、遅すぎる気づきだ。
「アタシが言っていいのか悩んじゃうけど——それ、幸せじゃない!?」
「——」
リーゼの思考へ踏み込み、扉を開けるようにフミーが声を上げる。
「少なくとも、幸せより価値があるものを体感してるってことだよね! それがアタシと一緒いるってことなんだよね! 嬉し〜!!」
「——っ」
「……あれ? リーゼ?」
手を繋いだまま蹲る。
ずっと求めていたものに手が届いてしまうと、それを手放すのが惜しくなるのだ。
だから、握った手の指先に力が籠る。
「ウチとずっと一緒いろとは思わねぇし、お前の王子様と結婚すればいいし、好きに生きればいいし、ウチを嫌いになってもいいし、ウチを殺してもいいし、誰かを殺してもいいし——」
「最後物騒だよ!」
「でも——絶対ウチより、早く死ぬなよお前」
リーゼの言葉を慈しむように、フミーは目を細めた。
「多分死なないよ。長寿の家系だし」
「絶対だからな!」
きっと、その時が来て仕舞えば、耐えられないだろうから。
フミーが死んでしまうのではないかと思った時、心が耐えられなかった——粉々に壊れそうだった。
求めていたものだったが、これを、知ってまうべきだったのかはわからない。




