第16話 業務範囲外①
「アッシュさんいってらっしゃ~い」
「いってらっしゃいませ」
アッシュはいつも決まった時間に冒険者ギルドへと向かう。朝起き、軽い朝食を食べ、時間があれば朝風呂にもつかり、身なりを整えて出勤だ。
「おーう行ってきます」
トリシアとティアに送り出されたアッシュは少しあくびをしながら手をヒラヒラとさせて玄関から出ていった。
(サラリーマン風冒険者?)
なんてトリシアに思われていることを、もちろんアッシュは知らない。
多くの冒険者を管理するシステムは、前任のギルドマスターが長い年月をかけて整えてくれていたので、ギルド内にいる時のアッシュは、基本的に優秀な部下達からの相談にのったり、最終判断をくだしたり、お偉ら方の相手をするのが主な仕事だった。
今日アッシュは、冒険者ギルド内に用意されている執務室で書類に目を通している。先日おこなわれた『石運びレース』の各部署からの報告書が多い。
(ダンジョン内が穏やかだったのはよかったな。まあその分、素材買取所も随分たいくつだったみたいだが……)
レース会場外の出来事は、おおむね予想通りだったと、ホッと胸をなでおろしていた。
(あーアイツらや~っぱり揉めたか。こりゃ要注意人物として騎士団にも情報まわしとかなきゃな)
冒険者がさらに増えたことで、お行儀の悪いもの同士の喧嘩の頻度が上がっていた。冒険者同士の多少の喧嘩は見逃されるが、一般市民に被害が行くようなことがあれば、冒険者ギルドとしては粛清……取り締まりの対象となる。
双子やハービーとケルベロスが祭りの間中目を光らせていたが、人ごみを中心に回っていたので、喧騒から離れた所ではそういったことがあちこちで起こっていた。
(こういう時はやっぱり警備が手薄になるところがあるからなぁ~領兵も出張ってはいたが足りねぇか)
ウーム。と腕を組んで天井を見上げる。今後もまた似たようなことになるかもしれない以上、よりよい方法がないか考えておいて悪いことはない。
アッシュはギルドマスターになってからまだそれほど時間は経っていないというのに、突然王族が自分も住んでいる貸し部屋にやってきて、王族を抜けて冒険者になると大騒ぎになったり、各ギルドと連携した大きな祭りを開いたりと、ギルドマスターとしてもイレギュラーな業務を多くこなしていた。
『ああ~引退しててよかった~~~! 老骨に鞭打っても私じゃ無理だったな!!!』
酒の席で、前ギルドマスターが思わず本音を漏らしているのをアッシュは大笑いして聞いていた。
『美味しいとこもらって悪いな~! 飽きがこなくて気に入ってるよ。この仕事』
この街で骨をうずめると決めた人間としては、これ以上の仕事はないと彼は思っていた。
とはいえ彼も、長年さすらいの冒険者をやっていた男だ。誠実ではあったが、至極真面目に生きてきたわけではない。
(あのレース、やっぱり賭けにしちまえば儲かったんじゃねぇかな~。賭け金の払い戻し場と時間を限定にすれば、気性の荒いやつらの行動範囲を絞れるかもしれねぇし……あとはズルの対策をどうするか……)
などと考えて一人心の中で笑っている。この案は次期領主に、
『収拾がつかなくなる!』
との一言でアッサリ却下されていた。そしてそれもその通りであることをアッシュは知っていた。
(ま。領主の娘と第二王子が出る競技でやるなんてこたぁそもそも無理か!)
さて、有力な冒険者の発掘や、それを確保するのも各街のギルドマスターの仕事の一つだ。
特にエディンビアのようにダンジョンの側で発展した街には、スタンピードという災害への不安が常に付きまとっている。事態収拾のためには強力な戦闘力を持つ冒険者が一人でも多くいるに越したことはない。魔物の脅威への対応がなにより冒険者ギルドには求められた。
(トリシアに感謝だな)
彼の住まう『龍の巣』はまさにその確保に大きく貢献していた。S級のルークを筆頭に、双子にダンにケルベロス。さらに祭りを沸かせた領主の娘エリザベート。文句なしに戦力過多となっており、周辺の治安にまでいい影響をもたらしていた。
そして何よりトリシア本人だ。彼女がいれば、どれだけの人間が怪我をしたとしてもなんとかなる。アッシュから見ても彼女のヒールは他のヒーラーとは違った。いくら魔力量があるとはいっても、あれほど何もなかったかのように綺麗さっぱり傷を治せるだろうか、と。
だが本人がその力を隠している以上、そのことを彼女に尋ねるようなことはしない。
扉のノック音の後、ギルドの職員が入ってきた。主に冒険者の宿泊所や食事処の対応をしている若い職員だ。
「レースの参加賞、食事券にして本当によかったです!」
開口一番、喜びを隠しきれないとばかりにアッシュに報告した。パンク状態だった冒険者街の食堂問題の緩和策がうまく機能していた。レースに参加した冒険者たちは手に入れた参加賞の夕食券を使うために、臨時で開かれた冒険者街の広場に夕暮れには集まっていた。使用期限は一年あるので、混み具合をみながら周辺の食堂と使い分けている。
「ひとかたまりだと喧嘩する場所も限られてきますからね! 領兵にも好評ですよ!」
「アッハッハ! そりゃそうだな」
満足そうに頷きながら背伸びをし、アッシュは席を立った。
「いつものお出かけですか?」
「ああ。ダンジョンあたりまで散歩にな」
「お付きはどうされます?」
「いらねぇよ。これでもA級冒険者だぞ?」
ニシシといつもの調子で笑っていた。
◇◇◇
「アッシュさん! 今度ダンジョンの奥まで潜りたいんですけど、パーティ加わってくださいよ~」
「ギルドマスター雇うなんて高くつくぞ~」
馴染みの冒険者に声をかけられながら、アッシュは冒険者街を通り、西門を抜けてダンジョンへと歩いていく。ギルドマスターになってからもダンジョンへ行くことは続けていた。冒険者ギルドの職員にとって彼は上司になってしまったが、冒険者達にとっては変わらず『アッシュ』であるという実感は彼を安心させた。
この役職についてダンジョンへ潜ることは減ったが、上がってきた報告内容を自分の目で確認したり、冒険者達の様子を確かめるのには自分で動くのが一番確実だった。
(こればっかりは巣の連中はあてにならないからなぁ)
巣の住人が、大したことはない! と言っていた新種の魔物が、冒険者達の悩みの種になっていたことがあったので、彼はこれに関しては信用するのはやめた。
ダンジョンの入り口付近には領の警備兵もいた。彼らもアッシュがギルドマスターになる前から知っているので、彼が顔を出す度に嬉しそうに挨拶をかわす。
「お仕事お疲れ様です。ギルドのトップがここまで顔を出してくださるとこっちもやる気がでますね!」
「これも業務の範囲内さ。今日はどうだい?」
「朝から一件、魔物の取り合いで小競り合いがありましたけど、ドラゴニア姉弟が姿を見せただけでアッサリ半分コってことで話がつきましたよ」
「やっぱり中に入ってる人数が多すぎるのかねぇ~」
ですねぇ……と返事をする領兵と一緒にダンジョン前の賑わいを見ていた。最近はここに来るたびに新しい顔をみかける。
(ん……?)
視線の先に一人の女冒険者が映る。背は高く、長い赤茶色の髪の毛を括り上げている。何故気になったのかと言うと、なにやらお腹が大きい。太っている、というわけではない。そのシルエットはどう見ても妊婦だったからだ。
「え!?」
「ああ。ちょうど祭りがあった日にこの街にきたみたいです」
アッシュの驚いた先がなんなのかすぐにわかったのか、領兵の彼もまた、少し心配する気持ちが含まれた声色で答えた。
「訳アリでしょうね。いつもこの時間には戻ってきてますよ。ソロで……野営をしているみたいです」
彼女がダンジョンの浅層で魔物を狩って日銭を稼いでおり、他の冒険者との交流も少ないという情報も追加して。
「……お腹の子は孤児院行きかなぁ……」
最後は同情とも悲しみとも違う、諦めも含めたこの世界の現実に沿った感想のような言葉だった。
それから一週間、アッシュは毎日同じ時間にダンジョンへと通った。同じ時間に彼女が無事に出ていることを確認して、安心しながら家へと戻る。アッシュ以外にも彼女を気にかけている領兵や冒険者がいることが彼の救いだった。
(う~ん……今の俺が手を貸すと特別待遇になっちまうしなぁ)
冒険者にはいろんな境遇の人間がいる。手助けを始めたらきりがない。それはわかっているが、それでも何か手がないか考え続ける。
「やりたいようにやるための権力ですよ~」
そういつもの領兵の言葉で、アッシュは覚悟を決めた。