物語の隙間話8(後日談)8 はじめてのおつかい①
イーグルが異世界でたどたどしいながらも日本語を話し始めたのは、転移してから約三ヶ月後。文字はまだまだだったが、生活に必要な分はなんとか覚えていた。ひらがなにカタカナ、漢字はちょっとだけ。
「私らの言葉に翻訳機は使えないからねぇ」
「今ならAIに覚えさせたらいけんじゃない?」
最初は異世界出身の先輩達の会話にまったくついていけなかったが、最近はずいぶんと理解が進んだ。
転移してすぐは、魔法がないなんてどうやって生活するのかイーグルには想像もつかなかったというのに。
(病気や怪我の治療は!?)
(上空から魔物が襲ってきたらどうするんだ? 弓兵が多いんだろうか? ……見当たらないけど……)
悶々と考え続けていたが、そもそも魔物に対抗するために剣すら必要がなかった。『そもそも』というべきことがたくさんあった。武器を持たない生活にもようやく馴染み始めた。
(店なんかはロゴや色で覚えちゃったな)
近くのコンビニへ週に二回は出かけている。自動ドアも、初めは店員が風の魔法で開けてくれていると思っていた。ずいぶん親切だと異世界の文化に感動したものだ。……それが違うとわかった時、科学技術というものを目の当たりにするたびに素直に彼は驚き続けた。
「科学技術って魔法よりかゆいところに手が届くんですね。平民の生活に寄り添ってるというか」
「ああそうだね。……だけどこういう技術も軍事由来だったりするんだよ」
いつもカラッと明るいニーナの顔が少し影って見える。
「光と影は表裏一体ってやつですか……」
ふと、昔トリシアが言っていたことを思い出したのだ。だがイーグルは自分がわかったようなことを言ってしまったと急に不安になる。ニーナはきちんとこの世界のことについて教えてくれようとしているのに、自分は曖昧に濁してしまったのではないかと。
「す、すみません! 電子レンジはお腹空いてる時にすぐに食べられるようになるし、店のドアが自動で開いたと思ったら、すぐに涼しい空間に入ることができるし……快適さからは闇の部分が全然想像できなくって……その……」
「いや、そうだね。私が悪かったんだ。つい前の世界と比べて……」
傭兵生活が長かったとニーナが話していたことを思い出し、こちらの世界の発展を見て複雑な思いもあるのかもしれない、と少し切なくなる。そんなこと、イーグルは少しも考えなかった。ただ便利で平和で……トリシアはあちらの世界へ生まれ変わって、どういう風に感じていたのかが気になっていた。
「しかしあんた……冒険者やってたってのに珍しいくらい気がいいやつだねぇ。一緒にいると落ち着くよ」
褒めてくれているとはわかっているが、それ故に痛い目を見た自覚はいい加減イーグルにもある。
「平和な国だけど、悪い奴ももちろんいるからね。気をつけるだよ」
「……はい」
思わず苦笑いだ。
(変わるべきなんだろうけど……なかなか変われないなぁ)
こういうところもあるので、イーグルはまだ一人で出歩いたことはない。しょっちゅうニーナや他の転移者とあちこち出かけてはいたが、いつも彼の故郷との違いに目を回していたので、なかなか単独で歩き回る自信もつかなかった。
「ま。一人で外出したのはいいが結局パニクって警察の世話になったやつもいるし……慎重なくらいがいい」
「ケイサツって憲兵や衛兵みたいな……?」
「まあそうだねぇ〜あっちの世界の仕事で当てはめるのは難しいんだが……市民を守ることに重きを置いてると思うよ」
異世界仲間が何より安心したのは、イーグルがこの世界に馴染む努力をしたことだった。彼は元の世界に戻れないことを嘆いてはいたが、ニーナ同様、自暴自棄になることはなく、ただ黙々と生活をしていた。
新しい生活に必死だったというのももちろんある。
そんな穏やかながらも刺激的な毎日を過ごす彼に初めてのビッグイベントが訪れた。
「ニーナさんの忘れ物!?」
「そう! スマホ!」
異世界人達のシェアハウスで、その忘れ物届け人として白羽の矢が立ったのは、まだ外に働きに出ていないイーグル。彼は今、シェアハウス内の家事全般を担っていた。孤児院時代に大体のことは自分達でやっていたので特に問題もなく……どころか便利な魔道具改め家電製品に感動しながら、周囲を驚かせるほど早くその機械を使いこなし、彼の仕事っぷりに全員が満足していた。
『出身関係なしに、若いと飲み込みも早いんだね〜』
満足気に頷いていたニーナの顔が思い浮かぶ。
「クライアントと連絡取れないと困るみたいでさ! 頼むよ! あの駅なら一緒に行っただろ?」
そう言いながらイーグルにニーナのスマートフォンを手渡したのは、イーグルがやってくる二年前に異世界日本へやってきた同じく元冒険者。名前はロイス。年齢もイーグルと一番近い。
「あの一度だけだよ……」
自信なさげに言うのは、ただこのロイスの後ろについて行っただけだったからだ。人の波を掻き分け、確か二回電車を乗り換えた。
家電製品の使い方はあっという間に覚えたイーグルだったが、電車の乗り換えだけはイマイチまだピンと来ていない。どうやら長距離移動に便利なようだ、ということは理解していたが彼にしてみれば複雑な路線図は完全に、
『迷宮型のダンジョン!?』
という感想が出る代物だった。
(駅の外へ出るルートもよくわからなかったし……)
だがニーナには散々世話になっている。他の転移者達にも。この異世界人のシェアハウスは相互扶助で成り立っている。今こそイーグルが役に立つ時だ。
「わかった……!!」
覚悟を決めた冒険者の顔になっていた。気持ちはまるで二度目の初陣だ。
「気をつけてな〜」
ロイスのゆるい声かけとは裏腹に、イーグルは高難易度のダンジョンを攻略する心持ちで外の世界へと踏み出した。