2-30 とんでもなく危険な代物でした
衣服を洗濯するためには脱がねばならない。
誰だってそんなことはわかっているし、説明する余地もないだろう。
「クレス様、ほら、ちゃちゃっと脱いで」
「うん、わかってるよ……。ぬ、脱ぐよ?」
「はい、どうぞ」
どうぞ……?
ミルは服をよこせとばかりに手を出し、クレスを見つめていた。
クレスが自分の服をつまみ、少しだけめくり上げてもそれは変わらず。
「え……。ミル、ずっとそのままでいるつもりなの?」
「はい?」
ミルはその質問の意味がわかっていないようだった。
小首を傾げて困惑している。
「もしかして、私に脱がせてもらいたいのですか……? 命令なら従いますけど、おまけで罵倒もつきますよ」
「違うよ! 僕、これから裸になるんだって! なんでそんな堂々と見てるの!」
上も下も着替えるのだから、もちろん全裸になる必要がある。
それなのに小さなメイドはガン見しているではないか。
「そんなに意識します……? あぁ、でも、言われてみれば下半身はアウトですね」
「でしょ! 一回出てってば」
「いいえ、どうせなので上半身は拝んでおきます」
少女は動じなかった。
仁王立ちから動く気配はない。
クレスが服をめくり上げた時、ミルはあるものを目撃してしまったのだ。
思わず目を奪われてしまったもの、それは――。
「腹筋、もっと見せてくださいな」
そこまでバックリと割れているわけではない。
けれどそこにあることはしっかりとわかる。
そもそもミルは男性の半裸そのものを目撃した経験が乏しいため、最初から興味があったのだ。
「そんなに見たい?」
「見たいです! というか、どちらにせよお洗濯ができないので観念して脱いでください」
「ま、いいけどさ……」
見せて減るものでもない。
クレスはするりと上の服を脱ぎ、その肌を露わにする。
別段鍛えているわけでもないが、剣術の稽古などで筋肉は自然についた。
だからといって、それをわざわざメイドに見せつけるのは照れてしまうが。
「あの、触っていいですか?」
「ミル、筋肉が好きなの?」
「好き嫌いとか特にないですよ。普段見ないから珍しいだけです」
ミルがそっとクレスの腹を撫でる。
「く、くすぐったいんだけど……」
「アリーゼにも! クレス様、どうかアリーゼにも触らせてください!」
アリーゼは返答を聞くことなく手を這わせた。
彼女はミルと違って何度もクレスの上半身を見てきたはずだ。
それでも必死に触ってくるのはミルに妬いているからだろう。
「ちょっと……。もうおしまい! 僕じゃなくてルディに頼んでよ」
「ルディさんもムキムキなんですか……!?」
ミルが目を剥いた。
ルディは細く、紳士の一言が似合う男だ。
脱いだらすごいなんて、誰も想像したことはなかった。
しかし、クレスは男同士のつきあいでその裸を見たことがあるのだ。
その腹筋はクレスよりも派手である。
「でも恐れ多くて触れませんよ。やっぱりクレス様が一番手ごろ――」
「……僕、そんなに慕われてなかったの?」
「冗談ですよ、もう。ヘタレロリコンさんはツッコんでくれるのに……」
クレスの肌から手を退けたミルは、まだ温もりの残る服を手に扉へ向かった。
クレスは退室してくれるのだとばかり思っていたが、ミルの足は扉の手前で止まった。
「今のうちに着替えてください。早くしないと振り向きますよ」
そう言うと、すぐにミルは10からカウントダウンを始めた。
ゼロになった瞬間に彼女は振り向くそうだ。
もし振り向くタイミングが悪かったら――。
「アリーゼ! 服、出して!」
「本日はどのような服装で――」
「なんでもいいから!」
アリーゼが大きなクローゼットから服を取り出し、クレスの手元へ渡す。
ミルのカウントはゆっくりであったが、もう5に差しかかるところだ。
「アリーゼ、ありがと!」
「どういたしまして」
クレスはズボンとその下にあるパンツにまで指を入れ、同時に脱ごうと――。
「……アリーゼも後ろ向いててよ!」
「バレましたか。残念です」
アリーゼはクレスに背を向けた。
これで着替えを邪魔する者はいない。
布の擦れる音がいつもよりも鬼気迫る雰囲気を帯びていた。
それでもミルのカウントは容赦なく進む。
「さーん、にぃーい……」
「待って待って! ズボンが引っかかって――」
「いーち……」
「ストップ! ストーップ!」
ゼロ――。
ミルが振り向くと、脱ぎ捨てられたズボンとパンツが置かれてあった。
着ていた主はというと、息を荒げて布団に入っている。
「……今、全裸ですか?」
「うん……」
「じゃあお洗濯物、もらっていきますね。明日はもっと早起きしてください。次は3からのカウントにしますから」
ミルはヘラヘラしながら部屋を出ていった。
嵐が去ったような静けさが空気を包む。
クレスはホッとして布団から身を出した。
「クレス様、丸見えですよ」
「アリーゼ!? ちょ、出て! もう部屋から出てって!」
「ふふふ。恥ずかしがり屋さんですね」
アリーゼもクスクスと笑って部屋を後にする。
なんだかメイドと距離が近くなったような、むしろ舐められているような……。
でも、それはコミュニケーションがしっかりと取れている証かもしれない。
クレスは一人、今日が良い一日であるように祈りながら着替えを済ませたのだった。
―――――――――
クレスの部屋を出た後、アリーゼはキッチンへと進んだ。
主人の側を離れると、すぐに体の調子が悪くなる。
いや、それは体ではなく心の問題であるはずだった。
自分の犯した罪を、包丁と一緒に捨ててしまおう――。
アリーゼはそう考え、あの刃物を自分で処分することにしたのだ。
キッチンの奥に、例の包丁はあった。
ほぼ新品で、まだ使われたような形跡はなかった。
なのになぜだろう。
アリーゼにはよどんで見えるのだ。
黒いオーラを放っているような、そんな不気味さに襲われてしまう。
「気のせいですよね……。アリーゼがまいた種ですから、アリーゼで摘みましょう」
アリーゼは包丁に恐る恐る手を伸ばした。
自分は以前とは違う。
だから、こんなものはいらない。
アリーゼの中に殺意はなかった。
きっと包丁を握っても、何事もなく捨てることができただろう。
もしもそれが、ただの包丁だったら――。




