予期せぬ再会
クロード・カスタニエとエリク・シャルダンは、従兄弟同士だった。どちらの家も爵位を持った、歴とした貴族である。
エリクは一人息子であったが、クロードにはフェルナンという弟がいた。けれども、随分と年が離れていたせいで、クロードの遊び相手にはなり得なかった。その代わりに、クロードは、年の近い従兄弟のエリクと一緒にいることが多かった。
エリクは、線が細く、華奢な少年だった。上背があり、体格の良かったクロードに比べると、随分と小柄だ。しかしながら、不思議なことに、学問はもちろん、剣術や馬術でさえもクロードはエリクに勝ったことが無かった。
時には、妬みや嫉みの感情を抱くこともあったが、元来おおらかな気質のクロードは直ぐ様、素直に現実を受け止めた。エリクが自分の力をひけらかすことも無く、無口で人見知りの激しい子供だったことも、クロードの負の感情を鎮めるのに役立っただろう。
使用人とさえ、まともに口をきこうとしなかったエリクだが、不思議とクロードの前では良くしゃべった。ぞんざいな口調で、表情が動かず、いつも怒っているように見えていたが、自分にだけ心を開いているという事実は大いにクロードの自尊心をくすぐった。
そんな訳で、クロードにとって、エリクとは越えられない壁であると同時に守るべき城壁でもあったのだ。
この2人が全うに育っていたのならば、騎士団の団長はフェルナンではなく、エリクであっただろうし、その補佐にはクロードがついていただろう。けれども皮肉なもので、クロードはその思想の異常性からカスタニエ家と勘当されており、存在を抹消されている。加えて、エリクもまた、シャルダン家の歴史からその姿を消した。
クロードが貴族としての道を踏み外したきっかけは、両親や使用人たちの目を盗んで屋敷を抜け出した時だった。いつも馬車の中から見ていた風景の中を、自分の足で歩いてみたい。
子供らしい、考えのない、好奇心ゆえの行動の結果だった。迷いこんだ裏路地で見た光景を、クロードは何十年も経った今でも忘れることはできない。
饐えた匂い。ボロ布を纏い、必死に赤子をあやす女。酒瓶を片手に壁に背を預け、座り込む男。同じくらいの年の子供が、身の丈に合わないブラシとバケツを持ち、必死に仕事が無いか呼びかける姿。
今まで信じていたものが、一気に崩れ去ったような気分だった。屋敷の外も、人々は清潔な衣服に身を包み、朗らかに笑い合って暮らしているものだとばかり思っていた。
この小さな冒険は、少年だったクロードの心に石を投げ入れ、波紋を作った。やがて、その波紋は大きな波へと変化し、出奔の原因となる。
正義感と義務感の強かったクロードは、動かずにはいられなかった。そうして、己の胸のうちに異端の思想を蓄えていったのだ。
成長するにつれ、手の届く範囲も広がり、両親やエリクに黙って裏で動くことも多くなった。意識改革としてまず、新聞の発刊に手を付けた。そして、その新聞が広まるように、識字率を高めるための運動も始めた。
順調とは言えないが、1人、また1人、と支持する人間が現れ、水面下で動きが活発になっていく。
「出て行け! 二度と戻ってくるな!」
もちろん、発覚しないはずがなかった。それは覚悟の上だったので、当然の結果としてクロードは勘当を受け止める。
幼い弟が恐怖に目を見開き、いつまでもこちらを見つめていることに、胸は痛めど、出て行くことを辞めはしなかった。
せめて、姿を消す前にエリクに挨拶だけはしようと、邸宅を訪れる。エリクに関する重大な事実が明らかになったのは、そんな折だった。
「クロード、私も連れて行ってくれ」
今までになく、切羽詰まった様子で声を掛けられたことだけは、はっきりと覚えている。常に無感動だった瞳が揺れ、迷子のように途方に暮れていた。初めて見る親友の様子に、クロードは動揺する。
「俺には弟がいるが、お前は1人息子だ」
「私には関係ない」
「よく考えろ、エリク。俺について来たら、今の身分も財産も全て失うんだぞ?」
「構わない。こんな身分は必要ない」
「なぜ……」
エリクの双眸が細まる。そして、大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「全てが、偽りなんだ」
いつも物静かなエリクが、激情を抑えるように声音を震わせる。
「私は、女だ」
その告白は、クロードにとって、酷く衝撃的な内容だった。思わず、その華奢な肩から胸、そして、腰、足元まで視線を走らせてしまう。
「騎士団が女人禁制なのは知っているだろう? 父上は現騎士団長だ。そして、その地位を継がせ、任せられる男児を望んでいた。しかし、母は私が生まれると同時にその息を引き取った。父は母を深く愛していたし、再婚するつもりもない。けれど、男児も諦めたくない」
エリクは言葉を切った。聞かされる、従兄弟の持つ深い闇に、クロードは息をすることも忘れて食い入るように見つめる。
「その結果が、私だ」
自嘲するように浮かべられた笑みに、語られた内容が紛れも無い真実だと悟った。
◆
高く昇った月が、傾こうかという頃だった。
街中から火の手が上がり、石畳を赤く照らし出す。まるで、夕焼けが取り残されてしまったかのように地上は明るいが、その上に広がる空は暗く陰鬱で星さえも見えないほどの闇が広がっていた。
クロードは大混乱に陥っている中心街から離れ、郊外へとロランたちを誘導する。クロードは自力で歩けないクラリスに肩を貸し、ロランは蒼白な顔をしたレティシアを気遣いながら進んだ。
たどり着いたのは、どこにでもあるような小汚いカフェだった。木でできた扉は煤けて汚れており、ペンキの塗装がほぼ剥がれている。
身体で押しのけるようにして扉を開けると、その先の店内には薄汚いクロスのかかったテーブルがぽつぽつと置いてあるだけだった。椅子に座ろうものなら、その瞬間に壊れて崩れそうだ。
幸いにして、この場所は暴動には巻き込まれておらず、遠くから喧騒が聞こえる程度だ。レティシアは痛む左腕を抑えながら、座って良いものかと椅子に視線を向ける。
その様子に気づいたクロードは、更に店内の奥を顎でしゃくった。
「こっちだ」
いまにも崩折れそうなレティシアに手を貸し、ロランはクロードについていく。
「クラリス、悪いが少し壁にもたれていてくれ」
「あぁ。こちらこそ、こんな状態ですまない」
戸惑っているロランとレティシアをよそに、クロードはクラリスをそっと壁にもたれさせると、床にしゃがみこむ。
板張りの床を何度か叩いてから、音が変わった部分の板を剥ぎ取る。通常であれば、土が見えるはずだが、驚いたことに、そこには階段があり地下へと続いていた。
クロードは、クラリスに再度肩を貸すと階段をためらうことなく降りていく。レティシアは戸惑った表情で、ロランを見つめた。
「本当について行くのかい?」
「今更、引き返せないだろう」
「相手は紅の鳩ってやつなんだろ?」
「そう、だな。まさか、クロードさんが……」
ぶつぶつとロランは口ごもった後、軽く首を横に振った。そして、あからさまに話題を変える。
「腕、大丈夫か?」
「あたいの腕一本でローの命が助かるなら、安いもんだろ」
「でも、俺のせいで……」
「いいから」
レティシアはロランの言葉を遮ると、覚悟を決めて、階段を降りて床下へと潜っていく。
このままだと、今にも床に倒れ込みそうだった。相手が何者であろうとも、とりあえず、手当だけは受けようと決断したのであった。
階段を降りた先には、ずいぶんと広い空間があった。テーブルに明かりが置かれており、柔らかな光が周囲を照らしている。
地上のカフェだった空間に誰もいなかったのが嘘のように、人で溢れていた。湯気の出ているスープをすする者、やせ細って動けないのか仲間に介抱してもらっている者、怪我の手当をしてもらっている者など、様々な人がひしめき合っている。
そんな中で、クロードはクラリスを椅子に座らせ、仲間らしき男と話をしていた。
「こいつが、お前のお目当てのお仲間か?」
「あぁ。君のおかげで、ずいぶんと楽だった。銃というものはすごいな」
「オレの国じゃぁ、割と一般的な武器だけどな。ここ数年、この国は後退する一方だったし、こういったもんが生まれないのも仕方ないんだろうが……」
「それよりも、手の空いている者はいるか? あの子が左腕を怪我している」
クロードと話していた人物がレティシアとロランに視線を向ける。伸びた無精髭に、驚いたように瞠られた目はモスグリーンの色。そして、以前よりも、更にとっ散らかった赤髪。
「お前……ロラン! それに姫さんも! どうなってんだ?!」
「クリス?」
「心配してたんだぞ!」
慌ただしく近寄ってきたクリストフは、抱擁しようと両手を広げてから、固まった。
「姫さんかと思ったが……違うな?」
「ん、あぁ……。こっちはレティシア。フランに似てるけど、別人」
「ひでぇ怪我だな。こっちに来い。順番待ちだが医者がいる」
すでに息も絶え絶えなレティシアは、歩くのもやっとだ。見かねたクリストフは、そっと手を貸すと部屋の奥まで誘導した。
「クリストフと知り合いだったのか?」
クロードに訊かれて、ロランは静かに頷く。
「以前、助けてもらったんだ。けど、その後は行方が分からなくて……」
「俺が出会ったときは、川岸で死にかけてたよ。手配書が出されていたが、冤罪だと思っている。だから匿った」
ロランはクリストフが生きていたこと、そして、レティシアの怪我の手当ができそうなことに安堵を覚える。それと同時に、耳の奥でアンセルムの声が木霊する。
『お前のせいだ』
内側からせり上がってきた嘔吐感を我慢できず、ロランは思わず口を抑える。
「うっ……」
醜い音を立てて、吐瀉物が床を汚す。それに気づいたクロードが慌てて、ロランの背中をさすった。
「大丈夫か?」
「悪い……。汚した……」
「気にするな」
手渡された布で、ロランは口を拭い、手を拭く。目を瞑れば、自死を選んだアンセルムの最期が、まざまざと思い出されそうで、瞬きをすることすら憚られる。
「君たちはここで、暴動が収まるまで休んでいるといい」
クロードは、顔面が蒼白になったロランを見兼ね、そう声をかける。ロランは身じろぎしたものの、顔は上げない。
「外に出てくる。少しでも早くなんとかしないと、多くの死者が出るだろう」
「なんとかって……」
「フランシーヌ様を捕まえる」
そう短く告げ、クロードは踵を返して階段を登っていく。ロランは足音が遠ざかるのを聞きながら、手に持った布を強く握り込んだ。
シリルが落ちていく。
女将の胸に剣が突き刺さる。
アンセルムが喉を掻き切る。
頭の中で幾度となく反芻される場面。すべては、フランシーヌを連れて逃げたせいで引き起こされたのだろうか?
あの心優しいフランシーヌが、なぜ、ここまで暴虐を極めてしまったのだろうか?
このまま暴動が続けば、人々から恨まれているフランシーヌは必ずや殺されてしまうだろう。そうなる前に、説得して、改心させられないだろうか。
きっと、フランシーヌがおかしくなってしまったのには、何か事情があるはずなのだ。少しでもいいから、話ができれば、きっと、今にも泣き出しそうな笑顔で、胸元で指をくるくると回して躊躇ってから、打ち明けてくれるはずだ。
そこまで考えて、ロランは自嘲する。アンセルムに、あそこまで言わせたにも関わらず、やはり、フランシーヌを嫌いになりきれないのだ。ほんの少しの希望にでも、すがりついてしまう。
『お前のせいだ』
アンセルムの声が、ロランを責め立てる。
もし、フランシーヌが本当に気が狂ってしまったのだとしたら?
ロランのせいで狂ってしまったのだとしたら?
ロランは下唇を噛みしめる。
その時は、自らの手で終わらせなければならない。




