紅の鳩へ
フランシーヌは我が目を疑った。息が詰まり、心臓が嫌な音を立てて暴れまわっている。
「いや……いやよ」
どれだけ否定しても、目の前に広がる光景は変わらず、残酷な真実がフランシーヌを苛む。
愛しいダークブルーの髪の青年が、自分と同じ色の髪に、そっくりな顔をした女に抱きしめられているなど、信じたくなかった。
一歩、二歩、とフランシーヌは後ずさり、踵を返す。これ以上、視界に入れたくなど無かった。溢れだす涙を拭いながら、フランシーヌは必死に走る。
本当なら、彼の隣にいるのは自分だったはず。辛い時に慰めるのも、幸せな時に一緒に笑い合うのも、分かち合うのはロランとフランシーヌ、その人であったはずなのだ。
それが、どことも知れない女に奪われている。おまけに、自分と容姿がそっくりなことも許せなかった。
ロランが血迷ったのだろうか。そう考えて、フランシーヌは首を横に振る。
女の手は、背中に回されていたが、当のロランはただ呆然と力無く座り込んでいるだけだった。それならば、ロランの心はあの女には無いはず。いや、無いのだと信じたかった。
ロランを救うと心に決め、数々の凶行を繰り返してきた。少しでも、彼が幸せになるならば、愚か者を演じようと自分を封じてきた。例え、ロランの心が離れてしまおうと、幸せそうに笑っている表情が見れれば、それで満足できると思っていたのだ。
それがどうだ。視界にその姿が入れば、すぐにでも手を伸ばして触れたくなる。いつかのように、大きな手の平で頭を撫でて欲しいと請い求める。
知らない女の存在が、道化を演じるフランシーヌを嘲笑っている。どこまで行っても、孤独に打ちひしがれながら、進まねばならない。
胃から迫り上がる熱を、フランシーヌは涙と一緒に飲み下した。
◆
一方、中央徒刑場を襲撃していたクロード・カスタニエの首尾は上々だった。無事に、クラリスを牢獄から救い出すことができたのだ。
三年ぶりに見た姿は、かつてとは変わり果てていた。凛々しく、しなやかな肢体はやせ細り、枯れ枝と見まごうほど。鎖に繋がれ、ろくに食べ物も与えられなかったせいで、歩くことすらままならなかった。
ただ、その目に宿る光だけは、変わらない。牢獄の扉を開けたクロードの姿を見たクラリスは、軽く目を瞠った後、その双眸を細めた。
「なぜ、来た」
「随分とご挨拶だな、クラリス。せっかく助けに来たのに」
「徒刑場を襲撃など、馬鹿なことを」
「いや、そうでもない。閉じ込められてたお前は知らないのも当然だが、今、外では革命が起きようとしている」
黙り込んだクラリスの鎖を、蹴倒した牢番の鍵で解放する。すぐに弱っていることを見ぬいたクロードは、クラリスに肩を貸した。
恐ろしいことに、全くと言って良いほど重みが感じられない。クロードはここまで彼女を衰弱させた悔しさに、下唇を噛んだ。
そうして、二人で徒刑場を後にする。
そのまま、暴動に紛れて隠れ家へと帰る手筈だった。戻れば、きっと、助けられた同胞たちが手当を受け、ご馳走とも呼べる味の薄いスープでも飲んでいるだろう。
クロードはもちろん、クラリスもすぐにでも身を隠すために、寄り道などしている暇は無かった。人気の少ない、裏道を進んでいく。
そこで、足を止めたのはクロードの方だった。
「どうした?」
「いや……」
その視線の先には、呆けたまま座り込んでいる青年と、縋りつくように抱きしめているライラックの髪の少女の姿。
嫌に見覚えのある姿に、クロードは眉を顰めた。
「少し待っててくれ」
クラリスの背を壁に預け、クロードは二人の近づく。どうにも、少女は左の上腕を切り裂かれているようだった。
「ロラン、か?」
反応したのは、少女の方だった。顔を上げ、クロードを見て不思議そうにしている。
「君は……確か、フラ……、いや、えっと……シシィだよな」
かつての偽名を何とか思い出し、声を掛けるが少女は身じろぎし、痛みに呻くだけで答えなかった。よく見ると、着ているものも随分と粗末なもので、身体は痣や傷だらけだ。
シシィと名乗った少女とは、別人だとすぐにクロードは察する。容姿が似ているだけだ。
どうにも尋常ではない様子に、周囲を見回す。近くには、派手に喉笛を切り裂かれた男の死体が転がっていた。
不可解な状況に、クロードは眉を顰める。
「どうしたんだ。何があった?」
そっと膝をついて、少女の腕をロランから引き離す。そこまでしてやっと、ロランがクロードに視線を向けた。けれども、呆然としている様子で、焦点が定まっていない。
「フランシーヌ……」
ぼそりと呟かれた言葉に、クロードは続きをじっと待つ。
「止めないと」
ロランの瞳に、意思が戻る。そこで、初めてクロードの姿に気がついたように目を瞬いた。
「あんた……」
「久しぶりだな。クロードだ。けど、悠長に再会を喜んでいる場合でもないな」
レティシアの切り裂かれた左腕に目を向ける。大量の血を失ったせいか、額には脂汗が浮かび、頬の色は真っ青だ。早く手当をしなければ、取り返しがつかないことになるのは一目瞭然だった。
「ついて来い」
レティシアの怪我に触らないように、立ち上がらせる。ロランの腕を掴み、怪我が無いことを確認すると、自力で歩くように促す。
呆然と見上げる青年に、クロードは値踏みするような視線を送った。
そして、静かに告げる。
「君たちを案内しよう、紅の鳩へ」




