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紅の鳩  作者: りきやん
裏切り者

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積み重なった憎しみ

 レティシアは、外から聞こえる喧騒に思わず身を縮めた。窓から様子を伺えば、すでに日が落ちたにも関わらず、随分と明るい。


 その原因が街に蔓延する炎であることなど、レティシアはとっくに理解していた。この調子では、今夜の客は望めないだろう。最も、謂れのない暴力を受けるレティシアにとって、それは、願っても無いことだった。


 不安そうに囁き合う同じ場で働く女たちを尻目に、ただぼんやりと外を眺め続ける。妬みと蔑みばかりが渦巻くこの場所では、全てがレティシアの敵だった。


 拾われた先が娼館で、運が良かったのか悪かったのかは、分からない。いつの日か、この狭い籠から飛び出すことを夢見ていたが、身体を売る以外の生き方など知らなかった。


「ねぇ、逃げた方がいいんじゃない?」


 背後で、そんな声が聞こえる。窓から見える炎は着実にこちらに迫っていた。ゆっくりと手を伸ばし、その範囲を広げている。建物が密集している路地裏では、火が回るのが早いのも当然だった。


 レティシアは物言わずに立ち上がると、出口へと足を向ける。誰も注意を向ける者はいない。レティシアにとって、一緒に働いている女たちが居ても、居なくても構わないのと同様に、彼女たちもまた、レティシアが出ていこうが、野垂れ死のうが気にもしなかった。


 呑気に炎を見つめ、お喋りに興じるほど、愚かにはなれない。他人事程度の関心で成り行きを見守る気など、全くなかった。


 つまらない事を口にしている暇があれば、命を守るために逃げれば良い。身体を売り、心を凍てつかせてまで、守ってきた命なのだ。見ず知らずの他人の喧騒に巻き込まれて失うなど、愚の骨頂としか言いようがない。


 扉を押し開けて、外へと踏み出す。熱風に煽られ、腰元まで届くライラックの髪が背中で揺れる。


 アンセルムはロランを連れて来てくれると言っていたが、それはいつになるのだろうか。何とも場違いな約束事を思い出し、レティシアは口元を歪めて自嘲した。


 ◆


 その表情に、少しでも嫌悪や憎しみが浮かんでいたのなら、ロランにも多少状況が飲み込みやすかったかもしれない。けれども、アンセルムはまるで世間話でもする時のような、至って穏やかな表情をしていた。


 その手に、凶器を携えながら。


「ずっと考えてたんだ」


 アンセルムの指の上で、刃物が弧を描いて回る。まるで、コマのように回転するそれは、玩具のようにも見えた。


「ロランは、良い友達だったと思う。ボクが昔付き合ってた連中なんかとは、比べ物にならないくらい。根は真面目だし、面倒見も良いし、愛想も悪くない。そんなところに好感が持てたし、ボクなりに好意を持って接してた」


 回転していた刃物が動きを止める。アンセルムは手の中に柄を握り込み、刀身を炎にかざす。


 映り込んだ紅い色が、小さく揺らめいた。


「でもさ、女王と駆け落ちした時から、腑に落ちないことばかり出てきた。ロランには、ロランをきちんと見てくれる人が沢山いる。それなのに、全てを捨てて、出て行くなんて、薄情だと思ったんだ。ボクが持っていないものを沢山持っているのに。欲しいと思っても、手に入らないものなのに。どうしてそれを簡単に捨てられるの?」


 アンセルムの双眸が、細まる。炎の明かりに照らされた横顔に、濃い陰が落ちた。


「親方は、女将さんは、シー坊は、レティシアは、みんなロランを気にしていた。それなのに、ロランはシー坊を殺した女の後を追ってばかり」


 アンセルムが持った刃物が、空を切る。真っ直ぐに切っ先を向けられたロランは、息を呑んだ。


 意識しない内に、自然と足が後ずさる。


「君が羨ましい。妬ましいし、怒りも感じる。憎悪も、嫌悪も。母親に対してすら、こんなにも、憎いとは思わなかったよ」


 遠くで起こっている喧騒が、耳に届く。まるで、夢の中にいるような、宙に足が浮いてしまったような、そんな錯覚にロランは陥っていた。


 目が覚めれば、シリルが部屋まで叩き起こしに来て、準備を手伝えと女将にどやされる。それを、カウンターに頬杖をつきながら、アンセルムが笑いながら見ているのだ。やがて、親方がやってきて、挨拶をしてシリルと一緒に仕事に出掛ける。


 そんな、当たり前の風景が、目が覚めれば、広がっているような気がした。


 胸が締め付けられる。慟哭にも似たアンセルムの感情の吐露に、ロランは動くことができない。


 何度瞬きを繰り返しても、目の前に広がるのは刃物をこちらに向けているアンセルムと、大地を舐めるように広がる炎だけ。


「大っ嫌いだよ、ロラン」


 振り上げた刃物が空を裂く。その動きに躊躇いは見えなかった。刃が迫る。


 頭の中では逃げろと命令が下されているにも関わらず、神経が切れてしまったかのようにロランの身体は動かない。


「ロー!」


 鮮血が舞う。


 まるで花びらのように散ったそれが、ロランの頬を濡らし、染めた。


 目を見開き、唖然とした表情を浮かべるアンセルムが良く見える。


 突き立てたナイフはロランに届くことなく、突如として割って入った影に刺さっていた。


「レティ……?」


 炎の爆ぜる音が、まるで、ロランを責めるように耳の奥でこだました。

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