行方不明
オーギュスト・ラフォルギーによる支配は、最低を極めたらしい。親方とシリルの一件を、アンセルムから伝え聞いたロランは、声を失ったように黙り込むことしかできなかった。聞けば、オーギュストが指導するようになったきっかけは、フランシーヌが消え、国王陛下と王妃が病で臥せたことだったらしい。
「俺のせいだ」
ロランは両手で頭を抱える。今までの、自分のあまりにも安直な行動に嫌気が差した。
「俺が、フランを連れ出したりしたから……」
「じゃぁ、やっぱり、ロランの相手って」
「フランシーヌ姫だよ」
シリルが動転して話してしまったことを知ったロランは、あっさりと白状する。女将とアンセルムはお互いに顔を見合わせると、笑っているような怒っているような、なんとも曖昧な表情を浮かべた。
「よく無事に帰ってこれたね」
「街じゃ、あんたは見つかったら死刑になるって大騒ぎだったんだよ」
「……フランが、取り計らってくれたんだと思う。地下牢に入れられていたんだけど、すぐに出してもらえたんだ」
「地下牢?」
アンセルムは腰を浮かすと、机に乗り出した。
「シー坊は? そこに、シー坊はいなかった?」
「俺しかいなかった」
「本当に? 絶対?」
「シリルの奴がいれば、さすがに気付くよ」
「じゃぁ、本当に釈放されたんだ……」
肩を落とすアンセルムに、ロランは眉を顰める。
「なぁ、さっきシリルが行方不明だって言ってたけど……」
「親方が身代わりになったから、釈放したって衛兵に言われたんだけど、それからシー坊の姿を見た人が誰もいないんだ」
「なんでここに帰って来ないんだ?」
「だから、まだ牢屋に繋がれてるんじゃないかと思ってたんだけど……」
違うみたいだね、とアンセルムは大きなため息で締め括った。
確かに、親方がいなくなったとあれば、シリルが次に頼るのは、アンセルムや女将のいるこの場所のはずだ。姿を見せないということは、まだ囚われている可能性は否定できない。
「中央徒刑場」
「馬鹿な。そんなところに、子供を入れるかい?」
「オーギュストって奴なら、やりかねないんじゃないのか?」
「まぁ……ね」
「行ってみよう」
ロランは立ち上がると、すぐに出ていこうとジャケットを羽織なおす。女将も行く気満々で立ち上がったが、アンセルムは2人に制止をかけた。
「今から? こんな時間じゃぁ、面会すらさせて貰えないよ」
「なら明日まで、待つってのかい?! シー坊がいるかもしれないのに?!」
「冷静になってください、女将さん。こんな時間に手続きを無視して、徒刑場に乗り込もうものなら、シリルの立場が悪くなるだけです」
女将とロランは立ち止まり、しばらく呆然としていたが、大人しく席に戻る。アンセルムの言う通りだということに、気づいたのだった。
「じゃぁ、どうすんだよ」
「明日の朝一で行こう」
「……わかった」
ただ、フランシーヌと一緒に居ることを望んだだけだった。
朝起きたら、すぐに顔を合わせて、挨拶をする。一緒に食事を取り、つまらない話で笑い合う。長い道のりを手を繋いで、くたびれるまで歩き、休憩には木陰に座り、お互いの間の沈黙を楽しむ。
誰もがするような簡単なことを、フランシーヌと一緒にしたいだけだった。けれども、それを望んだ結果、幾人もの命が奪われ、あまつさえ自身の友人まで亡くし、行方不明に陥らせた。
「……どうして」
「何?」
「いや、なんでもない」
中途半端な問いかけの言葉を発したロランを、アンセルムは不思議なものを見るような目で見つめる。
女将は明日に備えるとばかりに、すでに厨房の片付けに出向いていた。
ロランはもう休む、と言い置いて、食堂を後にする。
「どうして、俺とフランは一緒にいられないんだ?」
純粋な疑問だった。お互いが、一緒に居ることを望んでいるにも関わらず、周囲がそれを許さない。ロランとフランシーヌを嘲笑うように引き裂き、大事な物を奪っていく。
出発の日、綺麗に片付けたはずの自室へと向かう。廊下の床板が軋んだ音を立てているのが、どこか懐かしい。安いアルコールを使っているせいで、酷く臭う明かりにすらも、郷愁を覚えた。
けれども、隣にフランシーヌはいない。
その事実は、何よりも重かった。それこそ、親方の死とシリルの行方不明の件を合わせても、及ばないとさえ思えた。
◆
翌朝、ロランはアンセルムと共に中央徒刑場への道を歩いていた。女将も一緒に行くと言って聞かなかったが、さすがにシリルが捕まった時とは状況が違う。宿の仕事を安易に放り出す訳にもいかなかった。
道すがら、通り過ぎる人間の視線が、痛いほどこちらに突き刺さるのをロランは感じていた。
相変わらず、隠れるように暮らしている者がほとんどだったが、フランシーヌが帰ってきた知らせがまわっているせいか、どこか浮足立って見えた。そのせいで、余計にロランは混乱する。
昨日の一件で、ロランがフェルナンの馬に乗せられて連行されている姿を見たものは大勢いるだろう。好奇の目で見られるなら、納得できていたかもしれない。けれども、こちらを見つめる視線は、どれも憎悪に満ちていた。
「ロラン、あんまり一人で出掛けない方が良いかもね」
隣を歩いていたアンセルムが、周囲の視線に気づき、そっと警告する。
「オーギュストのせいで、犠牲になった人が結構な数いるんだ。この短期間にも関わらず」
「それで、なんで俺が睨まれるんだ?」
「そりゃ、オーギュストが主導権を握るようになった原因は、フランシーヌ様がいなくなったからで、彼女がいなくなった原因はロランにあるからさ」
少なからず、オーギュストの圧政に思うところのあったアンセルムは、言葉を選ぶ事をせずに淡々と告げる。アンセルムの視線は、決してロランの方を向かない。
「ロランが姫様と駆け落ちしたって話、きっと知らない人はいないと思うよ」
唯一、ロランとフランシーヌの関係を知っていたシリルが漏らしたことで、噂が広がったのは納得できる。駆け落ちの事実を知った経緯は分からないが、城にまで潜り込むことが可能なのだ。いくらでも方法はあったのだろう。しかしながら、それでも疑問は残る。
「子供の言うことを間に受けたのか?」
年端もいかない少年が嘘をついているとは、誰も思わなかったのだろうか。首を傾げたロランに、アンセルムは短くため息をついた。
「大半の人は面白半分に噂を流すだけで、信じて無かったよ。昨日まではね」
ボクだって、その一人だ。とアンセルムは付け足した。
「けど、姫様と仲良く連行されてるところを見られたんでしょう? 噂が本当だったって判断する、良い証拠になっちゃったんだろうね」
「そう……か」
相変わらず、周囲の視線は厳しい。
肩を落とした友人に、アンセルムは少し言い過ぎたかもしれない、と反省をする。けれども、謝罪の言葉を掛けようとは思わなかった。
「ほら、ロラン。もうすぐ着くよ」
代わりに、アンセルムは前方を指さす。
高い塀に囲まれ、中も様子を窺うことが出来ない、まるで、要塞のような建物がそこにあった。煤けた石造りの塀には、蔦が絡みつき、街の中にあるというにも関わらず、陰鬱で異様な雰囲気を漂わせていた。唯一の入り口であるだろう門は固く閉ざされており、その前には門番が二人、仁王立ちで目の前を通る人間に睨みを利かせている。
「どうも話を聞いてくれそうには見えねぇけど……」
尻込みをしたロランとは対照に、アンセルムは臆すこと無く、門番に近づく。人好きのする笑みを浮かべて、まるで、市場の気さくな商人と話にでも行くような気安さだった。
「おい、アン。待てよ」
あまりにも緊張感の無い友人に、ロランは思わず声を掛ける。しかしながら、アンセルムは呼びかけに答えることもなければ、振り返りもしなかった。
門の前に立っている一人が、堂々と正面切って歩いてくるアンセルムに気づき、相方に目配せをする。
徒刑場には、面白半分に近づく輩もいれば、中にいる人間の脱獄を目論むような悪党も存在する。門番たちはその眼光を、より鋭くし、アンセルムの目的を見破ろうと睨みつけた。
「何の用だ」
「少し、聞きたいことがあって」
後ろでまごついているロランを余所に、アンセルムは門番と対峙する。
「シリル・カルパンティエって子供が、中にいるか教えて欲しいんだけど?」
「おいそれと、徒刑囚どもの情報を渡せるか」
「この前、煙突掃除人のティボーさんが、身代わりとして、見せしめのように処刑された件、知ってるでしょ」
言外に、知らないはずがないよね? とアンセルムは圧力を掛ける。
この事件に関しては、門番たちも同情を寄せていたせいか、その表情が僅かに緩んだ。しかしながら、口を割ろうとはしない。
「残念だが、中にいる徒刑囚の情報は渡せない」
「何度問い合わせても、釈放したの一点張り。それなのに、一向に帰って来ない」
アンセルムは笑みを崩さない。けれども、その声音はだんだんと剣呑さを含み、下がっていく。
可愛がっていた少年の行方が掴めないことに対する苛立ちを、隠しきれていなかった。
「釈放した、なんて嘘をついて、この中に放り込んでたりして?」
門番たちは顔を見合わせると、一人はため息をつき、もう一人は憐れむような視線をアンセルムに向けた。
「心配なのは分かるが、俺達ではどうにも出来ない。それに、姫様が帰ってきたんだ。どこかに拘留されているとしても、子供ならきっと解放されるはず」
「フランシーヌ様が、年端もいかない少年を、いつまでも放っておくはずがないからな。もし、それでも帰って来ないというなら……」
その続きは、無かった。
決まりが悪そうに黙り込んだ門番に、アンセルムはこれ以上を粉をかけても仕方がないと踏む。
「君たち、臨時収入とか欲しくない?」
それでも、最後の悪あがきとばかりに、買収を試みた。門番たちは、意味を把握出来なかったのか、戸惑った表情を見せたが、理解した後に首を横に振った。
「これでも、仕事に誇りを持ってるんでね」
「今の給金で十分さ」
にべもなく断られ、アンセルムは肩を竦めるしかない。打つ手は無くなったと判断し、挨拶もそこそこに踵を返した。呆けたようにやり取りを見ていたロランが、慌ててその背を追う。
「全く、どうなってるんだか」
アンセルムが、珍しく苛立ちを隠さずに悪態をつく。
ロランは黙って、その横に並んだ。
「門番なんて、以前は簡単に買収できたのに」
「……やったことがあるのか?」
「大昔にね。特に、王城の門番は金を掴ませれば、地下牢にまで案内してくれたよ」
「なんでまた、そんなこと」
「友人がヘマをやらかした時に、ちょっとした気まぐれで助けに行ってあげただけ」
「お前がスリをやってたって時の話か?」
「うん。ロランと会う前の話。そもそも、王城の地下牢に拘留するのは、間抜けな泥棒かせこい詐欺師か……そんな者ばかりだから、保釈金さえ手元にあれば、釈放するのは簡単なんだ」
アンセルムはどこへ向かうとも決めずに、足が動く方向に歩き続ける。立ち止まれば、癇癪を起こしそうな程には苛立ちが募っていた。
「それなのに、シー坊は面会すら通らなかったんだ。おかしいよ」
ロランは返事をしなかった。それもこれも、オーギュストに成り代わってから起きたのだ。もし、フランシーヌが城にいたのであれば、例え、シリルが捕まってしまったとしても、上手く取り計らってくれただろう。
親方が処刑されることもなければ、シリルが行方不明になることも無かった。
アンセルムは直接、言葉にすることはないが、心の底でどう思っているかは分からない。彼もまた、ロランがフランシーヌを連れ出したせいで、シリルやティボーが犠牲になったと考えていても何ら可笑しくは無かった。
気付けば、王城前の広場まで歩いて来ていた。階級が高いであろう人間たちが、不躾な視線をロランに向ける。
それなりのものを身につけているアンセルムとは違い、ロランは簡素なシャツに、ズボン、そして擦り切れたブーツという出で立ちだ。
それだけでも悪目立ちをするというのに、昨日の凱旋帰還のせいで、さらに注目を浴びていた。けれども、先程のような悪意や恨みの篭った視線は無いようで、好奇や嘲笑ばかりが溢れている。
おそらく、オーギュストの治める世では、貴族階級に大した生活の変化はなかったからだろう。余裕のある立ち振舞いは、自分たちの立場が絶対であるが故のものに違いない。
「号外! 号外!」
広場をそのまま通り抜けようとした時、背後から声が飛んでくる。号外にあまり良い思い出が無いアンセルムは、苦虫を噛み潰したような表情を作ったが、ロランは足を止めて振り返った。
すでに新聞を受け取った者達が、食い入るように紙面を見つめ、悲鳴を上げている。中には、気絶する婦人もいる始末だ。さすがに、気味が悪いと思ったのか、アンセルムも首を傾げた。
「そんなに酷い記事なの?」
「なんだろうな」
吸い寄せられるように二人は引き返し、奪い合うようにして号外の記事を求める人垣を押しのける。決して大柄ではないロランとアンセルムには、なかなか苦労を要したが、どうにか一枚を掠め取ることが出来た。
急速に膨らんでいく人だかりを、どうにか抜け出し、広げた記事に目を落とした。
「国王……へい、陛下?えーっと、それから……」
「ちょっと待ってよ……本当に?!」
ロランが表題を解読している内に、アンセルムは記事の全体に目を通してしまったようだ。似つかわしくない素っ頓狂な声を上げて、食い入るように紙面を眺めている。
自分で読むのも面倒になったロランは、アンセルムに要約を頼む。
「国王陛下、王妃、オーギュスト様が毒殺されたらしい。犯人はクリストフ・ジスカールという騎士団員で、現在逃亡中。本日付けで、全ての権威はフランシーヌ様に移る、って」
「はぁ?!」
予想を遙かに越えた、理解しがたい内容だった。
アンセルムが今にも、冗談だよ、と笑い出すのではないかと、ロランは穴の空くほど隣にいる友人を見つめたが、いつまで経っても弁解の言葉は無い。
国の要人を3人も殺害し、逃亡していたのが、あの、ぼさぼさの赤髪に、だらしなく無精髭を伸ばした、屈託のない笑顔を浮かべる男だとは信じられなかった。そして、何よりも、両親を一気に亡くし、一人で国を背負うことになってしまったフランシーヌが心配でたまらない。おまけに、犯人が信頼を寄せていたはずのクリストフとなれば、フランシーヌの受けた傷は大きいだろう。
ロランは王城を見上げる。あのどこかで、フランシーヌが泣いてると思えば、いても立ってもいられなかった。
「悪い、用事思い出した」
簡潔にアンセルムに伝えると、ロランは直ぐ様背を向けて走りだす。
「ちょっと! ロラン!」
制止する声を振り切り、真っ直ぐに時計台を目指す。本当なら城に乗り込んで会いに行きたいくらいだったが、昨日の今日でそんな愚かな真似をすることは出来ない。フランシーヌが無事に城を抜けだして、時計台に来てくれることを祈るしかなかった。
何かあれば、示し合わせたように時計台に姿を見せたフランシーヌのことだ。今回も、必ず来るに違いない。ロランは確信めいたものを感じ、時計台の頂上を目指して息もつかずに駆け抜ける。
いつものように、格子を外し、床板をずらす。そして、脇目もふらずに階段を駆け上がった。
その先に、短くなってしまったライラックの髪を風にはためかせながら待つフランシーヌがいると信じて。
けれども、期待に胸を膨らませ、飛び出した先には、誰もいなかった。
ロランを出迎えたのは、眼下に広がるいつもと変わらぬ風景と、身を切るように冷たい風だけだ。そこに、望んだ少女の姿はなかった。
ロランは時計台の端まで行くと、そこに座り込む。きっと、来る時間が早すぎたのだろう。待っていれば、その内、姿を見せるに違いない。
そう結論付けて、ロランはぼんやりと街並みを見つめながら、待つことにした。
けれども、その日、日が落ちてもフランシーヌが時計台に姿を見せることはなかった。




