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紅の鳩  作者: りきやん
第一章
23/77

22

一方その頃、フランシーヌは自室でセルジュの指導を受けていた。

うず高く積まれた歴史書に、きちんとした教育を受けている姫君と言えども、毎回げんなりとせざるを得ない。

眩い夕日の光を背に受けながら、フランシーヌは紙の上に羽ペンを走らせていた。

けれども、ただ書き取りをしているだけで、その内容は頭に入っては来ない。

フランシーヌの頭の中は、ロランとの出発のことで溢れていた。


「フランシーヌ様。綴りが間違っております」

「え、あぁ…」


上の空で書いていたせいか、普段はしないようなミスをセルジュに咎められる。

さすがに様子がおかしいと感じたセルジュは、普段の鉄面皮を剥がし、眉根を寄せた。


「具合が悪いのであれば、お休みになられますか?」

「いいえ、ごめんなさい。少し、考え事をしていただけなの」


フランシーヌは凝り固まった肩を解すために、小さく首をまわす。

主人が疲れているのだろう、と判断したセルジュは、立ち上がった。


「紅茶を持って参ります」

「ありがとう、セルジュ」


メイドに言いつければ済む内容であるにも関わらず、セルジュは敢えてそれをせずに、手ずから紅茶を淹れるため、一度部屋を離れた。

フランシーヌはそれを感情をあまり表に現すことをしない教育係の、分かりにくい優しさだと考え、微笑む。

その背を見送ってから、羽ペンを紙の上に投げ出し、腕を上げて伸びをした。


「明日…ね」


フランシーヌは視線をベッドへと向ける。

その上には、いつも通り清潔なシーツに、柔らかな枕と布団が鎮座していた。

けれども、その下には旅に出るために必要な道具が隠してあるのだ。

無論、ロランに借りていたジャケットも、誰にも見つからないよう、丁寧に畳んで一緒に置いてある。

オーギュストに見られる前に、この隠し場所にしまっておけば良かった、と後悔したことは記憶に新しい。


「ロラン」


口の中で呟いた名前は、誰に届くこともなく消えて行く。

たまらなく、愛しい感情がフランシーヌの中を満たし、無性に隠してあるジャケットに触れたい衝動に駆られた。

けれども、いつ帰ってくるか分からないセルジュがいる手前、不用意な行動は起こせない。

フランシーヌは羽ペンを手に取ると、書き取りをしていた紙の端にロランの名前を書く。

そして、そのすぐ横に自身の名前を綴った。

寄り添うように書かれたそれらに、満足気に笑みを浮かべる。

しばらくの間、それを見つめていたが、フランシーヌは羽ペンをインクに浸すと、名前が分からないように黒く塗りつぶした。

セルジュしか見ないような紙切れだが、落書きに自分と想い人の名前が綴ってあるのを見られるのは具合が悪い。


ロランと時計台で別れてから、何度も考えた。

果たして、王族の直系である、仮にも王位継承権を持った自分が、国を捨て逃避行に走ることが、正しいのか。

それは、両親を裏切る行為に他ならないばかりだけでなく、オーギュストを野放しにする原因にもなりかねない。

けれども、脳裏にちらつくダークブルーの髪の青年の姿は、いとも簡単にフランシーヌから王族としての思考を奪い去る。

一人の女性として、なぜ、幸せを望んではいけないのか。

せめて、ロランと正式に結婚することが出来れば、何の問題も無かったのだ。

しかしながら、世間はそれを許さないだろう。

読み書きもやっとな上に、学の無い、出自が不明な男を王女の伴侶として据えるなど、言語道断である。

一緒にいるためには、駆け落ちする以外の方法は見つからなかった。


陶器がぶつかり合う小さな音に、フランシーヌは顔を上げる。

セルジュがちょうど戻って来たところだった。

机の上に置かれたカップには、並々と琥珀色の液体が注がれており、湯気が白く立ち上っている。


「ありがとう」


カップに手をつけ、口元に運べば、甘い香りが立ち上る。

喉を潤す液体に、砂糖が含まれていることを感じ取ったフランシーヌは、セルジュの気遣いに只々感謝を示すしかなかった。

普段は砂糖を入れずに飲むことを知っているはずだが、おそらく、疲れていることを考慮して特別に加えてくれたのだろう。

甘味が際立つ紅茶は、自然と菓子好きのロランを彷彿とさせた。


セルジュは自分が用意した紅茶をゆっくりと飲み下すフランシーヌの様子から、机に広げられた紙へと視線を映す。

出て行く前には無かった、黒く塗りつぶした跡を見つけ、目を細めたが、それについて追求することはしなかった。


「何かお悩みでも?」


フランシーヌは紅茶を飲む手を止め、困ったように首を横に振る。


「大丈夫よ。何も無いから」

「オーギュスト様とのことでは?」


切り込んできたセルジュに、フランシーヌは片眉を上げる。


「珍しいわね。セルジュがオーギュストのことを話すの」

「随分と思い詰めていらっしゃるようだったので」

「そうね…そうかもしれないわね」


見透かすようにエメラルドグリーンの瞳がフランシーヌを射抜く。

ロランのことを考えているのが、バレてしまうのではないかと思う眼差しに、フランシーヌは苦笑を返すことで誤魔化した。


「お父様もお母様も、私の意思はどうでも良いと思っているのかしら」


言外に両親を非難する言葉に、セルジュは顔色ひとつ変えずに耳を傾ける。

フランシーヌが置いたカップが、ソーサーに当たり小さな音を立てた。


「私、結婚が決まる前にオーギュストだけは嫌だって、言っていたのに」


セルジュはフランシーヌをじっと見つめていたかと思うと、おもむろに床に膝をつく。

椅子に座っているフランシーヌよりも、少し低い目線になった彼は、主人の顔を見上げる形になった。

教育係の突然の行動に、フランシーヌは驚いたように目を丸くする。


「フランシーヌ様、ご無礼を承知で申し上げますが、私とてあなた様の結婚に全面的に賛成しているわけではないのです」


結婚をしたくない、とフランシーヌが駄々を捏ねれば、諫めの言葉を与えていたセルジュらしからぬ発言だった。

フランシーヌは驚き固まったまま、セルジュを見つめる。


「けれども、王族という身分にお生まれになった以上、結婚は避けて通れる道ではありません」

「…あなたが、私の結婚に反対だっていうのは分かったけど、結局、そうやって結婚させる方向に持っていくのね」

「教育係ですので。道理として正しい方向に導くのが私の仕事です」


今からでも、結婚を取りやめさせてくれるような素晴らしい提案をしてくれるのかと、少しばかり期待したフランシーヌは肩を落とす。

セルジュはその様子を見て、小さく笑みを浮かべた。


「何かしらをご期待させたのであれば、申し訳ございません」

「セルジュは意地悪ね」


フランシーヌはふてくされながら、カップを持ち上げ、残りの紅茶を口に流し込む。

だいぶ温くなってしまったそれは、香りも薄くなっていた。


「もし、オーギュストと結婚したら、私は独りになるのかしら」


酷薄な笑みを浮かべる狡猾な男と、仲睦まじく暮らす様子など、フランシーヌには想像することができない。

オーギュストの策略に絡め取られ、城で孤立する未来ばかりが頭に浮かぶ。


「そのようなことには、なりませんよ」


妙に確信的な口調で断定したセルジュに、フランシーヌは分かっていないとばかりに肩を竦める。


「あの人、とてもずるい人だもの。どんな手を使ってくるか…」

「いいえ。例え、全ての人間が敵に回ったとしても、独りにはなりません」


エメラルドグリーンの双眸が、細められる。


「何があろうとも、私は永遠に貴方様の味方でございます」


フランシーヌが息を飲む。

これほどまでに、セルジュが自分の意思を表に出したことが過去にあっただろうか?

自分の意見や考えを決して口にしない彼が、ここまで言ってくれることに、フランシーヌは嬉しさと同時に、申し訳無さを覚える。

明日には、城を出て行くのだ。

それは、セルジュにとって、裏切り行為に等しいだろう。

これほどまでに忠誠を誓ってくれているセルジュであろうとも、主人が逃げ出したとなれば愛想を尽かすに違いない。


フランシーヌは答える言葉を必死に探すが、上手く当てはまるものが見つからない。

結局、出てきたのは「ありがとう」といった、ありふれた言葉だった。

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