第62輪「西洋薄雪草」
「やるねぇ。王子のクセに」
「剣の研ぎ忘れがないようで安心したよ」
風を切る音が静寂に響く。ぶつかり合った切っ先が離れ、再び磁石のように吸い寄せられる。
怪しい笑みを浮かべるお父様と打って変わって、ヴィンスの表情は苦し気だった。
「やめて……」
「レイニー様?」
「ユアン! やめさせて! ヴィンスは怪我してるんでしょう!? そんな腕でお父様に勝てるわけがないわ!」
「怪我してんの? 王子様ぁ?」
「気の所為じゃないかな?」
「あらあら、ほんと。血が滲んじゃって」
「お願いよ、ユアン! 貴方しかいないわ!」
私と視線を絡めた彼が苦渋に顔を顰める。届かない願いに涙を浮かべた私は嗚咽を零した。
二の腕の紅が肘を伝って葡萄酒のように床に落ちる。少しずつ水溜りが出来る様に引き攣った声が漏れた。
「死んでしまうわ……貴方が死んでどうするのよ……やめて! もういいわ! 私達の負けでいいからヴィンスを殺さないで! お父様!」
「うるさいなぁ」
苛立つ声が金属音に混じる。次の瞬間。ヴィンスの攻撃をいなした父が私の方へ向かってきた。
「キーキーうっさいんだよ。せっかく楽しんでんのにさぁ!?」
鬼のような形相で躊躇ない刃が振り下ろされる。
やっぱり死ぬ運命だったのだ、と目を瞑って身体を固くしていると、逞しい腕が私を床へと投げやった。
冷たい床に突っ伏し、反動で擦りむいた身体がひりひりとした痛みを告げる。思い出したように背後を振り仰ぎ、私は絶望した。
肩で父の攻撃を受けたフィンは脂汗を流しながら、虚空を薙ぐかのように刃を振るう。
それを避けた父が妖しく笑ったのが分かった。すっかり狂った表情に背筋が粟立つ。
「なんで庇ってんのぉ? お前こっち側じゃなかった? レイニー置いて逃げないから反応遅れてモロに食らってんじゃん」
「突然のことだったので……」
「はいはい。もう嘘はいいよ。はじめっからお前はレイニーを逃がすつもりだったんでしょ? でもざーんねん。レジスタンスは殺しちゃうよ。全員ね」
「エレアノーラ様お怪我は?」
「大したことないわ……それよりフィンが……」
駆けつけたユアンに支えられながら上体を起こす。改めてフィンに視線を向けると、血の海が出来上がっていた。
抉れた肩口から漏れだす濃厚な血液。真っ赤に染まった服は元の色が分からないほどだ。
「侯爵様、お相手は此方では?」
「元気が戻って嬉しいねぇ」
間延びした声でヴィンスの切っ先をいなし、ひらりと身を翻す父。
そんな父から私達を庇うように立ったヴィンスは、悔し気に柳眉を寄せていた。




