第16輪「花蘇芳」
「エレアノーラが心配か?」
「何故です?」
「嫌いじゃないなら好きなんじゃないのか? 随分、色めいた視線を送っていただろう」
「誤解です」
「そうか」
身体でリズムを取りながら次の旋律へ移行する彼。曲は最近流行りのラブソングで溜息が漏れた。僕の吐息すら、彼にとってはアレンジの一部に過ぎないのだろう。
煽るような瞳が憎たらしい。僕に視線を預けながら楽しそうに演奏するものだから、呆れた、と歎息しつつも自然と手を叩いていた。
そんな僕に彼は笑む。揶揄も譜面の一部とでもいうかのように。
「素晴らしい演奏でした」
「お前にエールを送った」
「エール、ですか?」
「好きな奴には好きと言わないと逃げられてしまうよ」
「まだ、その話ですか」
「恋文も悪くないと思うぞ。この便箋を使え」
「ヴィンス様、此方は奥様に頂いたものでしょう」
「手紙を交換したいそうだ」
「交換日記の真似事でしょうか?」
「日記は失くす、と言ったら、便箋を渡された。だったら手紙を交換しましょう、だとさ」
「して差し上げたらいいじゃありませんか。奥様もお喜びになるでしょう」
「アイツに興味が無いんだ。欲求が湧かない」
「それは男として不能では?」
「ユアンは好きの対義語を知ってるか?」
「有名な話ですね。無関心でしょう」
「ああ。もしも、お前がエレアノーラを嫌いだと言ったら、それは好きというのを認めたくないだけじゃないのか? と揶揄うつもりでいた」
「悪趣味ですね」
「知っている。つまり俺はカタリーナに対して何も知りたいと思えないってことだ。
笑顔も、涙も、過ぎ去っていく景色と同じで味気ない。まるで馬車の窓から外を眺めているような気分だ」
彼には妻がいる。隣国の姫でカタリーナという穏やかな女性だ。薄紫の長い髪に同色の瞳が特徴で、可愛らしい雰囲気を纏っている。
自由奔放なヴィンス様を咎めず、笑みを絶やさないのだから、よく出来た人だ。
僕は嫌いではないが、王子は何が気にいらないのか。彼女との面会は極力避けるように言いつけられていた。
「そうですか」
「その反面、エレアノーラは面白い。表情がコロコロ変わるし、何より無礼だ!」
「王子は女性に何を求めているんですか」
「刺激だよ。ただニコニコしている女なら絵画でも眺めていればいい。一時の恋人ごっこなら娼館にでも行けという話だ。
俺がしたいのは思わずほくそ笑んでしまいそうなこと。国を壊すのも一興としては面白い」
「それならば初めから協力なされば良かったのでは?」
「お前らの話には現実味が無かった」
用済みになったバイオリンをカウチに投げ、寝台に飛び乗る彼。「楽にしろ」と言われたが、直立不動を続けていれば会話が再開した。
「レジスタンスを結成する。仲間を募り、貴族と繋がりを持つ。そこまでは分かる。だが誰一人〝その後〟の話をしなかった。
だからこそユアンも〝賛成〟してなかったんだろう?」
「はい」
「壊すのは簡単だ。数と人脈。それさえ揃っていれば誰でも出来る。だが創るのは難しい。再生なくして崩壊は有り得ない。
ユアンが何を思っていたかは知らないが、だからこそ安易に手を貸すことは出来なかった。俺も待っていたんだ。〝その後〟の話をする人間をね」
ヴィンス様の仰っていることは尤もだ。自らの考えまで読まれていたことを知ると、浅はかさを突き付けらているようで心が震えた。
「エレアノーラは、その後の話をしていない。けれど彼女の行動は考えを顕著に表していた。賭けてみるには十分。これが俺の考えだ。異論はあるか?」
「異論など、はじめからございません」
「そうか。これからが楽しみだな」
「そうですね」
「今日はもうよい。下がれ」
「承知しました。おやすみなさいませ」
就寝の挨拶を告げ、静かに扉を閉める。隣に当てがわれた使用人用の自室に入れば真っ暗だった。
ふと便箋を受け取ったままだったことを思い出す。あの人は仕方ないな、と机に放り出し、僕は部屋の灯りへ手を伸ばした。




