第14輪「庭薺」
「今は酒場の店長だよ」
「二重スパイがよく言う」
「三重だよー」
「何重でもいいって。大切なのはベルナールが創設者だってことだけだから」
「それはトップシークレットだよ? フィン。俺が〝烏〟だってこともね」
「トップシークレットが二つじゃトップじゃないけどな」
「細かいなぁ。真面目組は」
「僕、何も言ってませんけど」
「顔が語ってた」
「無表情ですが」
「自分で言う!?」
〝烏〟とはスパイの暗喩である。元々、彼は軍人で間諜をしていた。あらゆる国を飛び回り情報を集め、そして国の惨状を知ったのだ。
そこでまず声を掛けられたのが俺とユアンである。俺は貴族との繋がりを持つように命を受けヴェーン家に送り込まれた。
しかし、ここで誤算が発生する。あろうことか我儘令嬢の護衛に回されたのだ。ゆっくり溶かそうと思っていた主の心を解せるわけもなく燻っていた時。レイニー様は変わった。
元々、片鱗はあった。国の窮地を幾度も救った悪の貴族の娘だ。血の繋がりは馬鹿に出来ない。
彼女が我儘だったのは頭の出来が良すぎるが故の弊害だったのだろう。読んだ本の内容は忘れないし、自らで考えることにも長けていた。家庭教師が大手を上げて誉めそやすほどだ。けれど彼女は周りを知る度に、自らを落とす行為をするようになった。
令嬢に頭の良さなど必要ないと気付いたからだろう。女性が家を継ぐことは原則出来ないし、聡明であればあるほど男性には毛嫌いされる。狩猟が上手かろうが、剣術に長けていようが使いどころがないのだ。
女の価値は連れて歩いて自慢できるか否か。彼女は、その条件を十分に満たしている。だからこそ、レイニー様は自分を磨くことをやめた。
先を見通し、国の未来がないと知っていたからというのもあるのだろう。けれど、そんな彼女は、ある日を境に変わった。
別人になったかのように活き活きし始めたのだ。要因は何だったのだろう。幾度、過去に思いを馳せても全く分からない。思い出すのはいつも、空色の瞳に射抜かれた事実のみ。
本当は、ただのお嬢様で在って欲しい。けれど、それは絶対に無理なのだ。彼女が手を貸そうが貸すまいが、この国は壊れる。俺に出来ることは、彼女の貢献度を証明し命を救うことだけ。
「前の俺なら見捨てていたのに」
呟きは喧騒に消える。ふとレイニー様を追えば不機嫌そうにヴィンセント様と言葉を交わしていた。
ジリジリという幻聴が鼓膜を犯す。僅かに、けれど確実に胸が灼けていくのが分かった。
あっさりベルナールを落とした彼女。彼が〝面白い〟と感じるほどに彼女が魅力的であったことに胸がざわついた。
美しさは人を惑わす。もしかしたら彼も男として魅了されただけなのかもしれない。
何より落ち着かなかったのは、彼女の双眸が真っ直ぐ王子を見据えていたこと。熱の籠った視線は、まさに焦がれる乙女だった。
あの瞳に見つめられたい。視線を絡めたい。そう思った。
けれど叶わない願いだとも分かっていた。
俺は彼女の護衛係で、彼女の前に立って敵を薙ぎ払うか、戦場に赴く背を守っていくしかないのだ。
「フィン。頼んだよ」
ベルナールがグラスを揺らす。カラン、コロンと音を立てる氷塊は大分小さくなっていた。
「これからが大変だな」
「お前達の連携が大切だ。頼んだよ。雛烏達」
俺達が首肯すると同時に、ベルナールは残りを飲み干す。グラスを置いた際、コトンッと奏でた音色は始まりの鐘のようだった。
「皆、紹介するよ。彼女は新しい協力者だ。可愛いお嬢さんだと馬鹿にするんじゃないよ?」




