第13輪「碇草」
「フィン、ちょっと」
一息吐いたあたりで名を呼ばれた。喧騒に掻き消えてしまいそうなほどのユアンの声は静かで、抑揚など孕んではいない。
「ああ。いいのか? 王子を一人にして」
「僕は君に訊いた方がいいのかな? エレアノーラ様を一人にしない方がいいのか? って」
「すぐに駆け付けることくらいできる」
「僕も一緒さ。とは言ってもカウンターに移動するくらいだ。二人の姿は確認できる」
「ああ」
言葉少なに告げた彼がカウンターからウィスキーを取り出す。透けたグラスに琥珀が揺れ、氷が涼し気な音を立てた。
「俺、酒は……」
「飲む真似で構わない。飲んでもいいけどね。どうせザルだし」
「今は守りたい人がいるから」
「好きにして。それにしても驚いたよ。あれがエレアノーラ様だなんて。別人じゃないか」
「お前もそう思うか?」
「うん。前に……と言っても最後に見かけたのは五年前かな。ヴィンス様は舞踏会が、お好きじゃないから」
「バカ王子で在るには華麗なステップも決められないしな」
「華麗なステップを決めるヴィンセント様なんて見たくもないけどね」
「ご尤も。それで?」
「彼女は誰だ?」
「あの人はあの人だよ。誰でもない」
「そう。まるで……」
「まるで?」
「なんでもない。僕の知ってる人みたいだと思っただけ。それでもエレアノーラ様は我儘過ぎるくらいだけどね」
「お前は初期を知らないから、そんなこと言えるんだよ」
「そうかもしれないね。……驚いたよ。ヴィンス様のことを調べたのか」
「多少は、かな。使った言葉は全てレイニー様が考えた言葉だ。どこまで本気か知らないけど、本気みたい」
「あの新聞を読んでレジスタンスの存在に気付き、お前から話を聞いて興味を持った。いくら考える時間があったとして、ただの女の子が、こんなことに協力するものかな?」
「不満なのか?」
「疑問なんだよ。何故、彼女は危険を犯す。黙っていれば平和に過ごせていたというのに」
「真っ先に首が飛ぶのは王族とヴェーン家だろ」
「ああ」
「それに気付いたからじゃないのか」
「つまり自分の為だと?」
「さぁ。俺はレイニー様じゃないから」
「その話、俺も混ざっていいかな?」
ユアンがグラスを傾ける。喉仏が上下する様を眺めていれば、ベルナールが俺の隣に腰掛けてきた。
「ユアン、俺にも一杯」
「コレをやる。口を付けてないから」
「ラッキー!」
カウンターの内側で結露した雫を指で撫ぜるユアン。ベルナールはそんな彼に酒を頼む。
飲まないのも勿体無いな、とグラスを差しだせば、ベルナールが嬉しそうに両手で囲っていた。
「店はどうしたんだ?」
「美少年に任せてきた!」
「押し付けてきた、の間違いだろ」
「可哀想に」
「ひどいなぁ、フィンもユアンも」
そう言ってウィスキーを舐めるベルナールは唇を尖らせ不服そうな顔をしている。それに呆れ顔を返していると、彼の瞳が真剣みを帯びた。
「おかしいことだらけだと思わない?」
「王子を此方側に落として、貴族側との繋がりも持ちたい。そう言ったのはベルナールだろ?」
「確かに言ったね。けれど令嬢と繋がりを持ちたいと言った覚えはないよ」
「あの人は頭がいい。下手な貴族と癒着するより、女を使ってあらゆるところから金を落として貰える。ばれにくいし、額も得られる。不都合は無い筈だ。
女の身ともあれば密会をしていても名を落とすだけで済む。レイニー様は、わざと名を落とし、あちこちに伝手を残してから此処に来た。
協力的じゃないユアンより、よっぽど役に立つと思うけど」
「僕は国を壊すことに反対なだけで、王子が選んだ方に従うよ。それが役目だからね」
「だから王子が協力しないなら手を貸さない。酒場にも訪れない。なのにレジスタンスのメンバーには身を置く。おかしくないか?」
「もー二人共、喧嘩はダメだよー。ユアンとヴィンスのお陰で助かってたのは事実なんだから。宝物庫の場所、とかね」
「商売人はえげつないね」
「あっさり酒場の店長じゃないって見破られてたくせに」
目を眇めるベルナールにユアンは肩を竦める。追い討ちを掛けるように続ければ揺らがないベルナールがいた。




