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【中編】間違いありません。

 同居生活が長引いて、調子は狂わされっぱなしだ。

 心なしか疲労感が拭えない。まあ、あの調子のずれた歌のせいかもしれない。


 大学で講義を受けながら、頭を占めるのはエリのこと。彼女の気配が薄れるにつれて、現実に立ち戻っている気さえする。


 エリは出会ったときと変わらず、清らかに見えるんだ。歌はあれだが。

 それでいて(すき)がないから、理性で何とかおさえている。

 けれども、ふとしたはずみで色香とか見せてきたら……考えたくない。


 午前の講義を終え、学食でひとりカツカレーをむさぼっている。この時期はスパイスの香りもイマイチだ。だからひたすら食うのみ。


「よう、和樹。どうしたのかい? 百面相、楽しい?」

「ふぁ……んぐっ、真司(しんじ)か」


 同じ専攻のやつが声をかけてきた。教養も重複が多くて、互いに欠席の折にはノートを見せ合いする程度の仲ではある。


「いやな、ちょっと面倒なことに巻き込まれていて、どうしようかと考えているところなんだよ」

「そっか。引き返せるならとっとと引き返そうね。無理するものではないよ」

「サンキュ。まぁ、大したことじゃないんだ。知人の人探しに付き合っていて、見つからないけど当人が諦めないってだけだ」


 真司はラーメンを乗せたトレイを、隣の席に置いた。華やかさには欠けるが、清潔感のある、誠実そうな印象を受ける男だ。

 歓迎の意を示すべく、俺はイスをひく。


「あー、難儀だね。それは」


 真司が少し頭を垂れると、顔が黒髪に隠れた。感謝の意なのだろう。

 そして席につく。いつも思うが、律義(りちぎ)なやつだ。


「ま、ちょっとめんどくさいけど、そいつの気が済むまで付き合ってやるかって。たださ、昔この辺で会った、俺らの年代だと思われる男だってくらいしか情報がなくてな」

「本当にそれだけなのかい?」

「笑顔がかわいかったとか言ってたな。そいつが顔を覚えているはずだが、取り立てて特徴がなくて説明できないと言われてなぁ」


 エリが淫魔だと主張する件を省いて、かいつまんで説明した。


 そして、あらためて思う。エリの表現はひどいものだ。

 この手がかりだけで万が一見つけられたら、表彰状ものだろう。


「聞いた限り、かなり面倒な案件のようだね。でも、そもそも、和樹が付き合う義理もないだろう?」

()れた弱みってやつかな」

「それなら、ポイント稼ぎにはなるかもね。まあ、無理しないでね」


 ふと顔を向けると、真剣な面持ちの真司と目があった。

 無理するなってついさっきも口にしたぞこいつ。過保護にも相当程がある。


「なあ、なんか俺、真司に相当心配されてない?」

「顔色が良くないからね。以前と比べて疲れたって言葉も増えてるし」

「花粉症でマスクしているせいじゃないか? まあ、ほどほどにするよ」


 花粉症で絶え間ない鼻や目への刺激は面倒だが、それを除けばたまに疲れる程度で、何ともないつもりだった。顔色なんて、エリも特に何も言わないし。


 そこからは、沈黙が訪れる。話に興じる学生たちの声を聞きながら、互いに冷めた料理をむさぼったからだ。

 俺のカレーはともかく、真司のはラーメンだからな。麺が伸びて最悪だ。そこを突っ込んでも、猫舌だからと返してくるんだろうな、こいつは。現に以前もそうだったからな。


「急な休講で暇だしね。今回だけ手伝うよ。和樹の監視もかねて」


 トレーを返却しながら、真司が提案してきた。ただ、後半は不穏だ。


「監視とか大仰だな。おまえはいつ俺のオカンになったんだよ!」

「オカンを所望。……なんなら、言葉遣いを改めたっていいのよぅ」

「ブフォっ! ……オカンというより、オネエだな。しかも口調が本格的で強烈すぎるわ!」


 真面目の塊だと思っていたやつによる、まさかのオネエ口調。吹き出さないほうがおかしい。

 いまが食事中でなくてよかったと、胸をなでおろす。マスクに鼻水ついちまったけど。


「……でもまあ、手伝ってもらえるのはいいな。助かる」

「お礼は次の学食代を持ってくれてもいいけどね」

「ちょっ! おまえから言うのか? まあ、それくらいなら構わないけどな」


 ワンコインで事足りるが売りの学食だから、五百円玉を手渡した。

 冗談だったのにと言う真司に、強引に押し付ける。これくらい、安いものだ。




 赤く染まる空の下、道に沿って影が二つ伸びている。

 一つは俺、もう一つは、風景に溶けず黒服がくっきりと浮かぶ真司のもの。


 家の方向は違うが、俺の足元がおぼつかないから送ると主張してきたんだ。

 乙女じゃないから、野郎から送られてもなって気持ちが半分。もう半分は、自分のふがいなさかな。ここまでくると、とにかく微妙だ。


「得られた有力情報はゼロ、か」

「そんなもんだ。こればかりはな」


 いくら人手がひとり増えたからって、調査に大きな進展があるわけではない。”三人寄れば文殊の知恵”なんていうけれど、機能するのはもう少し判断材料があっての話だろう。


「和樹は、その子のどこがいいと思うのかい?」

「ん? どうしてそんなこと?」

「君が惚れる子ってのが気になっただけだよ。まぁ、興味本位かな?」


 わずかに高い位置にある真司の目が輝いたのは、夕日のせいだけではないだろう。


「どこがと言われてもな。言うなら、顔から入って何もかも、か?」


 ど直球に本音を告げた。

 エリの浮世離れした言動から、ときおり見せる気配り、料理の味付けまで、挙げだしたらきりがない。あの変な歌さえ、聴きなれたら馴染んでくるからおそろしい。疲れるけど。

 本当に何もかもに惹かれて仕方がないんだ。


「相当ベタボレなんだね。あ、これはイヤだってところはないのかな?」

「うーん、決定的なものはない。真司が言うように、盲目になっているせいかもしれないけどな」


 エリとの同居で困っているのは、俺の気持ちが膨らみすぎて行き場をうしなっている点だけ。

 彼女自身は同居人の節度をまもっている。むしろときどき存在しているのか心配になるほど、存在感が希薄なんだ。歌声がとまると、物音がほとんど立たなくて。


 小さな路地裏にさしかかる。家から直線に伸びている、毎日通る道だ。家まで間もない。


「何なら、ここまで来たついでに会ってみるか?」

「会ってみたいけど、今からは無理なんだ。これからバイトが入ってて」

「結構遠い居酒屋だっただろう、確か。俺を送るような暇なんてなかったんじゃないのか? まあ、急ぎすぎてしくじるなよ」


 家の前についたところで、じゃあねの声とともに、真司は離れていった。

 駆け足で去ったから、本当にバイトなのだろう。悪いことをした。

 どこか少しズレているけど、かなりいいやつだよな。




「おかえりなさい。本日もありがとうございます」

「ただいま」


 エリが玄関まで出迎えに来た。珍しい。

 そもそもこの時間帯のエリは、人探しに行ってるか、買い物かで不在が多かったからな。

 家にいるときも、あの歌とセットだからな。歌わずに出迎えなんて初めてかもしれない。


「和樹に、単刀直入に伺います」

「ん? どうした?」


 神妙な顔のエリ。思わずつばを飲みこんでしまう。


「先程、玄関先で和樹とお話していた、黒いタートルネックの殿方はお知り合いなのですか?」

「黒……ああ、真司のことか? 同じ大学だけど、って、ひょっとしてあいつなのか? 例の探し人」

「間違いありません、彼ですわ」


 なんてこった!


 真司はかなりイイヤツだからな。見知らぬエリのことをさり気なく助けていたとしても不思議ではない。

 むしろ、その可能性に思い至らなかったのがうかつだ。


「ふふっ、やっとみつけました」


 口の端を上げたエリを目にして、全身の血が沸騰しそうになった。エリの流し目なんて初めて見たから、なおさら。

 こんなオーラで対面を果たしていたら、淫魔だと名乗られたときにすんなりと飲み込めただろう。


 真司がさせているんだよな。三カ月過ごしても見せなかった顔を。

 エリにとって、俺は堕とす価値すらなかった。転がして遊んでいただけの話なのだろう。まんまとハマってしまってバカだった。


「ほら、真司に渡りをつけてやるからさ、明日にでも会いなよ。やっとこれで荷が降りたわ。せいせいすらぁ」


 精一杯の強がりだ。内面は黒こげのぐちゃぐちゃで、虚勢を張っている。わかっている。みっともないのは俺自身が、いちばん!

 そんな状態でさ、一応真司のスマホにアプリで連絡してんだ。われながら、何というか。


「そういうものの言い方をしますの。……よくわかりましたわ」

「端から言っていただろう? とっとと片付けたいって。ほれ、明日会ってくれるそうだ。あいつは律義だから」


 真司からの返事は早かった。明日の午後は空いているからと、時間や場所の候補をあげてお伺いする内容だった。時間を選んで適当に返信する。

 まぁ、エリは食事の用意が主なんだから、早い時間で問題ないだろう。明日くらい、いや、この先ずっとなしだろう。


「わかりました。今まで、ごめんなさいね」


 スマホの画面を確かめたエリが、まさかの謝罪。目や眉を下げて、今更そんなしおらしい表情をすんなよ。らしくない。

 憂いを帯びていて、色気がにじみ出ていて。それで瞳に俺を映してくれないんだから、残酷だ。


 チクショウ。涙が止まらん。あ、花粉症のせいだからな!




 翌日、爽やかな目覚めとうらはらに、違和感をおぼえた。

 鼻をずるずるいわせながら居間にいくと、無音だった。


 そこに、エリの姿はない。朝食ができている気配もない。


 慌てて彼女に宛てがった部屋に行く。これまで、一度も入ったことはない。

 以前、エリが出入りする瞬間に中が見えたけれど、カラフルな水玉模様のカーテンが印象的だった。その程度だった。


「エリ? どうしたんだ? 具合でもわる……」


 声をかけながら引き戸をあけると、もぬけの殻だった。


 エリの姿が見えないだけでない。最初から誰も存在しなかったかのようだった。カーテンも、他の荷物も、なにもかもがなくなっていた。


「エリ? うそだろ?」


 当然ながら、返事はない。

 ひょっとしたら、長い夢を見ていたのかもしれない。

 そう考えてしまうほど、痕跡がないんだ。手並みが鮮やかすぎる。


 歌声も、さよならの一言もなく終わっちまったんだな。


 こんな状況で大学に足を運ぶ気にもなれず、そのまま家でぼんやりとサボった。三年近く通ったけれど、病気を除いて初めてのことだった。


 エリと同居する前の暮らしに戻っただけなのに、とても順応できそうにない。あの変な調子が恋しいあたり、相当重症だ。

ありがとうございます。

後編は本日の21時に更新予定です。

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