ポプラ
慎吾は、何も考えられずに、ただ真っ直ぐに結界の端、森の奥の、あの大銀杏の場所へ飛んだ。結朋が死ぬ。このままでは立ち枯れて…あれほどまでに元気にさわさわと揺れていた、あのポプラが。全ては我のせいで…。
物凄い勢いで飛んで行くその姿は、明人と嘉韻にも見て取れた。
「嘉韻!」明人は窓枠へ飛び乗った。「オレは行く!」
「我も参る!」
嘉韻もすぐに後を追った。慎吾が向かっているのは、結界端だ。…きっと、結朋に会いに行く。
二人は、邪魔をしないようにそっと気配を消して向かった。
十六夜達の気配も付いて来ているのがわかった。
慎吾は、息を切らせて大銀杏の場所へ降り立った。ポプラの木が何本かある中で、さわさわと良く揺れて話し掛けていたようだった、あの時我が触れたのはこのポプラ…。
慎吾は、言葉を失った。
あれほどにたくさんの葉を付けて、綺麗な色彩で目を楽しませたあの結朋のポプラは、葉は落ち、残っている葉も枯れて今にも落ちそうな状態で、そして何より、幹の色がとても悪かった。
あの時は、少し緑の色も混ざるような明るい茶色であったのに、今は白っぽいような朽ちた茶色で、そしてあの瑞々しさは全くなかった。表面はゴツゴツとして、触れたら崩れてしまいそうなほどだった。まるで、もう枯れてしまっているかのようだった。
「結朋…」慎吾は呼びかけた。「結朋!」
回りのポプラは気遣わしげに少し揺れた。しかし、結朋は全く反応がなかった。あれほどに話し好きで、聞こえないと分かっていても我らに話し掛けていた、あの結朋が…。
紫銀は、気を失っていると言っていた。では、我の気ではどうなのだ。
慎吾は、意識を集中して自分の気をそのポプラの木に流し込んだ。自分の気が減って行くのが分かったが、慎吾はずっと気を送り続けた。足が震えて来る。気を失うとは、こういうことなのだ。
微かに、声がした。
《慎吾様…もう、おやめくださいませ。》
慎吾は声の出所を探した。
「結朋…主が枯れてしまう!」慎吾は言った。「あれほどに元気に揺れておったのに…」
すうっと、不確かな形で人型になった結朋は、慎吾の前に現れた。しかし幻のように薄く、こちらを見るのも辛そうだった。
「無理をしてはならぬ。我の気で回復させるゆえ、そのままでおれ。」
結朋は首を振った。
《良いのです。》結朋は言った。《もう、我は回復出来ませぬ。葉もこのように…太陽の気も受けられませぬゆえ…。》
紫銀が、隣に浮いた。
《遅かったか。》紫銀は、残念そうに言った。《備えもなく、葉が全て落ちてしもうたの。これでは、主の気では回復など無理であろう…龍よ。もう、やめよ。無駄ぞ。》
慎吾は、気を消耗して立っていられなくなり、膝を付いた。それでも、気の補充を止めなかった。
「やめることなど出来ぬ!」慎吾は涙を流した。「我の…我の妻ぞ!我は、結朋を愛しておる。死んではならぬ!」
びっくりしたように、結朋は微笑んだ。そして、言った。
《慎吾様…嬉しゅうございまする…。ですが我は、もう、お暇しなければなりませぬ…。》
結朋の姿が揺らめいた。紫銀が顔をしかめる。
《逝くか、結朋。》
結朋は頷いた。
《紫銀様、お世話になりました…》と、慎吾を見た。《慎吾様…愛しておりまする…。》
結朋の姿は、スーッと消えて行った。回りのポプラが、ざわざわと揺れる。慎吾は、紫銀を見た。
《…終わりぞ。送ってやってくれて、感謝する。》
紫銀は慎吾に背を向けると、スッと消えた。
慎吾はまだ信じられず、結朋の木を見上げて、抱きしめた。
「結朋。」なんの反応もない。慎吾は叫んだ。「結朋ー!!」
明人と嘉韻は、それを声を掛けることも出来ずに見ていた。
蒼も絶句する中、十六夜だけが月を睨み、月へと帰って行った。
「早く!」維月が龍の宮の奥の間で叫んだ。「維心様、急いでくださいませ!」
維心は維月に起こされて必死に着物を着せられた。維心は訳が分からず、維月を見た。
「何を急いでおる、維月。我をどこへ連れて参るつもりよ。」
そう言って維月の顔を見て、維心はびっくりした…維月が、涙を流していたのだ。維心は顔色を変えた。
「…なんだ。どうしたのだ?」
「ああ維心様、あの子が」維月は泣いた。「あの結朋が、枯れてしまったのでございます!十六夜が今、月から知らせて参ったのです。もしも助けられるとしたら、維心様しかおられませぬ。命を司っていらっしゃるから。」
維心は刀を腰にさし、維月を抱き上げて飛び上がりながら、言った。
「だが、木を黄泉から呼び戻したことなどないゆえ。出来るがどうか分からぬぞ。」
維月は必死に維心に懇願した。
「どうか、どうかお願い致しまする!戻してやってくださいませ。あまりにも哀れで…私は…。」
維月は維心に抱かれて飛びながら、手で顔を覆って泣いている。維心は飛ぶスピードを上げた。
「…主の頼みは断れぬの、夜中であっても。最善は尽そうぞ。門をくぐって居なければ良いがな。」
大銀杏の所に着くと、十六夜が輝重と共に立っていた。十六夜が慌てて維心に駆け寄った。
「維心!王の輝重が何とか出来るかと先に行って連れて来たんだが、ダメなんだ。」
輝重は言った。
「結朋は神格化してはっきりとした意識を持っておったので…恐らく1つの命として、黄泉へ行ったのだと思いまする。我が復活出来たのは、体のみ。こうして新芽も出て来ておりますが、中身は空の状態で…。」
維心はポプラを見上げた。慎吾がじっとその幹に触れている。
「…どれくらい前に、逝ったのだ。」
「…もう、五時間になるか。」十六夜が言った。「まさか黄泉へ行ったとは思わなくてな。思えばオレ達月と変わらねぇ。こいつは人型になってたんだもんな。」
維心は顔をしかめた。
「…厳しいの。」維心は言った。「既に門を通っておってもおかしくはない。普通なら、あちらへ逝っておる頃ぞ。」
維月が言った。
「維心様、どうか試してやってくださいませ!逝ってしまっておったら仕方がありませぬ。どうか、維心様…。」
維心は、仕方なく頷いた。
「…仕方がないの。主の頼みは断れぬわ。だが、期待はせぬようにな。」
維心が手を上げると、空間が捻れ、亀裂が開いた。中には暗く、何やら不安を誘うような空間が広がっている。維月は身震いした…黄泉の道…。
「では、行って参る。主ら、ここへ近寄るでないぞ。帰れなくなるゆえな。我でも危うい時があるほどぞ。」
それを聞いた維月は、維心の腕を掴んだ。
「では、私も参りまする。」
維心は驚いたように眉を上げた。
「…心配は要らぬ。帰れなんだら今頃はここに居らぬだろうが。」
維月は首を振った。
「お一人では、行かせませぬ。」
維心は苦笑しながらも、愛おしそうに維月を抱き寄せた。
「ほんに、仕方のないことよ。どこにでも共と申しおってからに…。」と、亀裂に向かった。「参る。」
二人は、亀裂に飛び込んだ。十六夜はフンと鼻を鳴らした。
「…なんでぇ、嬉しそうに。」
蒼はそれを聞いて、苦笑した。




