表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/44

別離

そこに立っていたのは、黒髪に茶色の瞳の、神だった。見覚えのないその顔に、結朋は驚いて訊ねた。

「…どなた?」

相手は結朋の手を取った。

「覚えておられぬか。学校の図書室で、何度かお目見えしたのであるが…。」

結朋は記憶を探った。そういえば、何人かいつも話し掛けて来たので、そのうちの一人であったような…。結朋は片方の袖で口を押さえた。

「…申し訳ありませぬ。我はこのような事には慣れないのでございまする。お手をお離しくださいませ。」

結朋は困った。今まで十六夜が月に居て見ていたので、こんな所に一人で居ても誰も寄っては来なかった。でも、維月が戻る時に共についていったきり、まだ月にも気配はない。だから、この神は来たのかもしれない…。

相手は言った。

「この機を逃せば主とこのようには会えぬでしょう。結朋…我の妻にと、あの折にもお話したはず。」

結朋は、日に何度もそんなことを言われて断っていたので、あの折がいつのことか分からなかったが、とにかく離して欲しかった。気でなんとかしようにも、力が全く出なかった。

「…お断りしたはずでございまする。我は…想うかたがおりまするゆえ。」

結朋は横を向いたが、その神は離す様子はない。ますますしっかりと手を握り締めると、引き寄せて抱き締めた。

「神の世は、こうして我が物にしてしまうものなのですよ。結朋…我の妻に…。」

結朋はなぜか身の毛がよだった。長く人型でいたせいで、その感覚が身に付いていたのだ。結朋はもがいた。

「おやめくださいませ!我は…あなた様など知りませぬ!」

その神は唇を寄せて来たが、結朋は必死に俯いて避けた。嫌…!何だか分からないけど、とても嫌…!

その神はグイと結朋を小脇に抱えると、飛んだ。結朋はじたばたと暴れた。

「嫌…!離して…!」

その神は小さく舌打ちをすると、傍の林にそのまま飛び込んだ。結朋は地面に押さえ付けられて、ぶるぶると震えた。何をされるの…?!

「本当は宿舎まで連れて参ろうと思ったものを。」その神は言った。「そのように暴れてはそれも叶わぬ。結朋よ…こちらで我が妻になるのだ。」

結朋は逃れられずに、涙を流した。これは誰…?!どうして私をこんな目に合わせるの…?!

降りて来る唇に、結朋がギュッと目を閉じた時、変な音がして、身が軽くなった。慌てて結朋が起き上がって見ると、そこにはあの神が倒れて、身を丸めてうずくまっていた。

「…略奪の世と申しても、想いびとが居ると申しておるのに、感心せぬな、南笛(なんてき)よ。」

そこに立つ新たな大きな影に、結朋は身を縮めた。南笛と呼ばれた神は、身を起こした。

「何を申す、慎吾殿。邪魔をしないで頂きたい。部外者であられるのに。」

慎吾はフッと笑った。

「そうか、主はそう思うか?」と、慎吾は刀を抜いた。「良い、相手になろうぞ。王も妻を守るためなら斬るのも許される。来るが良い。」

南笛は目に見えて狼狽えた。

「我に…慎吾殿とは立ち合えませぬ!」と、結朋を見た。「想いびとなど!夫と申せば良いものを。」

結朋は驚いて身を退いた。慎吾は刀をおさめた。

「すまぬな。まだこの型になって日も浅いゆえ、言葉を知らぬ。では、主は知らなんだのだな?」

南笛は頷いた。

「何も。皆知らぬのではないでしょうか。」

慎吾は大袈裟にため息を付いた。

「…確かに王にご報告もしておらなんだ。ついこの間のことであって、学生であるので我も伏せておったの。ま、おいおい皆知るであろうて。」と、表情を険しくした。「ではの。妻に怪我がないか確かめねばならぬ。」

南笛は震え上がって頭を下げた。

「では、失礼を。」

慌てて飛び立って行くのを見送って、慎吾は結朋を睨んだ。

「主な!このような時間に、たった一人であのような場所におりよって!さらわれても文句は言えぬのだぞ?!学校では、そのような事も教わらぬのか!」

結朋はぽろぽろと涙を流した。

「申し訳ありませぬ…慎吾様…。」

慎吾は結朋を立たせると、背を向けた。

「宮まで送る。ついて参れ。」

結朋は、そこを動かない。慎吾はイライラして振り返った。

「あのな、いつまでも…、」

結朋は、光に戻りつつあった。慎吾は驚いて、それを見つめた。

「結朋…?」

《木に、戻りまする。》結朋は形を無くして行きながら言った。《我は慎吾様を愛しておりました。ここへ来て己の気持ちが何であるか知り、それがどれ程にご迷惑をお掛けするのかも、今知りましてございます。》

慎吾は絶句した。結朋が、我を?

「結朋…、我は、」

結朋は、光に戻る寸前に、慎吾に唇を寄せた。それが触れたのを感じた途端、結朋は光になり、森の奥へと飛んで行った。

慎吾は呆然と、それを見送った。


「ちょっと留守にすると、これだ。」十六夜は言った。「なんでみんなオレの居ない時に起こるんだよ。一晩向こうに居ただけだろう。なんだって結朋は戻っちまって、慎吾がむっつり黙ってるんでぇ。しかも、ちまたでは結朋は慎吾の嫁だと言ってるじゃねぇか。なんで願いが叶って結朋は戻るんだ。あいつはかぐや姫かなんかか。」

蒼は十六夜の愚痴を聞いて疲れ切っていた。自分だって訳が分からないのに。

「とにかく、慎吾を呼んでるんだが訓練云々で来ないんだよ。オレにも訳が分からないんだから、ちょっと黙ってろよ。」

十六夜は膨れて横を向いた。確かにイライラするのは分かるけど。いったい昨日は何があったんだ!


慎吾は訓練を、いつも以上の迫力でさくさくとこなし、特に南笛は徹底的に追い詰め、こなした。

明人も嘉韻も声を掛けづらく、今朝から何も話していない。いつもは一緒に向かう訓練場にも、今日は先に出て刀を振っていた。なので、今朝早くに大騒ぎになっていた慎吾の婚姻のことについても、聞けずじまいだったのだ。

訓練が終わって、王に呼ばれているという慎吾に、明人は追い縋って話を聞こうとしたが、嘉韻が黙ってそれを止めた。

「…話す気になれば、話してくれるだろうて。」

明人は、しかし慎吾を放っておけなかった。

「だけど嘉韻、絶対に何かあったのに!」

嘉韻はため息を付いた。

「…話せぬほどのことなのであろう。もしかして、まだ慎吾の中でも整理が付いておらぬのかもしれぬ。ならば話したくても、話せぬであろうが。」

明人は、自分の時のことを考えた。確かに、自分の中でどうなっているのか分からないうちは、話も出来なかった。だが、結朋は去り、婚姻の話は駆け巡り、明人は慎吾が心配でならなかった。


慎吾は、甲冑のまま王の元へと歩いた。

王が何を聞きたいかは分かる…結朋のことだろう。だが、慎吾もまだ訳が分からなかった。

昨夜は、結朋の気を湖に感じ、放っておこうと思った。

なのに、気が付くとその気を探っていて、振り切ろうと思った時、結朋に誰かが近付いて行くのを感じた。慎吾は月を見上げた…十六夜は居ない。誰にも見咎められることはない。こんな時間に、あんな所に一人で居たら…。あの結朋を妻にと躍起になっている神は、回りに履いて捨てるほど居た。

慎吾はしばらくは無視していたが、とうとう無視出来なくなり、窓から一気にそこへ飛んだ。

思った通り、その神は結朋を力付くで妻にしようとしていた。慎吾は思わず気でその男を吹き飛ばし、思った…王は、男同士の女の取り合いでの決闘は禁止している。だが、妻を守るためなら許しておられる…。

見ると、その神は南笛だった。分隊の隊長でしかない神。今は連隊長である自分とは、序列が全く違った。気の大きさが、違うのだ。刀を抜けば、こやつは絶対に退く…。慎吾はなので、結朋を自分の妻だと言って、刀を抜いたのだ。

後でどうなるとは考えなかった。ただ、結朋を救わねばと思った。だが、その気持ちがどこから来るのかもまた、分からなかった。

そんな自分を、結朋は愛していると言った。そんな言葉は、今までの自分には縁のないものだった。なのに結朋は、自分に迷惑を掛けると言って、木に戻って行った…。最後に触れた唇の感触を思い出すたび、慎吾は胸が痛くなった。結朋は泣いていた。我の為に人型になり、我の為に学び、そして我の為にああして神の女のようになった。そして、そんな結朋に、自分は何もしてやらなかった。あまつさえ、それを疎ましいと思うことすら…。

慎吾は、後悔していた。どうしてもっと、話してやらなかったのか。時間はあったはず。それなのに、自分は何も考えていなかった…。

王の居間の戸の前に着いた。気取った王が、すぐに中から言う声が聞こえる。

「入れ。」

慎吾は、覚悟を決めて、戸を押し開いた。


そこには、王と十六夜が座っていた。イライラとした様子だったが、こちらを見ると、気遣わしげな表情に変わった。膝を付く慎吾に、蒼は言った。

「…なぜに呼ばれたのか、主にはわかっておろう。」蒼は、穏やかに言った。「結朋のことだ。」

慎吾は顔を上げない。なんと答えたらいいのか、わからなかったのだ。十六夜が言った。

「別に責めてる訳じゃねぇ。オレが留守をしてる間に、結朋が居なくなったから心配なだけだ。慎吾、一体何があったんだ。」

慎吾は、顔を上げた。

「…昨夜、湖で一人で立っていた結朋を、望む神が無理に妻に迎えようと致しました。それを我が気取って、追い払おうと我の妻だと言ったのです。王は、妻を守ることでしか、立ち合いを許されておらぬので。」

蒼は顔をしかめた。確かにそうだ。だが、こういった場合のことを考えると、やはり許すべきなのか。だが、女を取り合って殺し合いがあってから、それを禁じるしかなかったのだが…。蒼は、ここが神の世であることを、今更ながらに実感していた。

「では、結朋を真実妻にしておるわけではないのだな。」

蒼の問いかけに、慎吾は頷いた。

「はい。我らの間には、何もございませぬ。」

十六夜が顔をしかめた。

「だったら、なんだって結朋は木に戻った。お前、何か結朋から聞かなかったか?」

慎吾はためらった。あれを言うべきなのだろうか…しかし…。

「結朋は、我に迷惑を掛けると言って」慎吾は、慎重に言葉を選びながら答えた。「木に戻ると…そう言って戻りました。」

《それだけではあるまい。》

突然聞こえた声に、蒼はびっくりして顔を上げた。そこには、薄い茶色の髪に、緑の瞳の男が立っていた。頭の中に直接聞こえる念の声だ。

「銀杏じゃねぇか…なんだって無口なお前がここまで出て来たんでぇ。」

十六夜が明らかに驚いた顔で言った。銀杏って…あの結界近くの大銀杏か!

「紫銀殿…?」

慎吾が言った。それには十六夜も驚いた。

「なんだよ、お前、名があったのか。」

紫銀はフンと鼻を鳴らした。

《主は聞かぬしの。》と、慎吾を見た。《主な、いい加減にせよ。主などどうでも良いが、あやつはこのままでは枯れてしまうわ。この100年無事に見守って来たというのに、どうしてくれる。確かにうるさいやつであったが、娘のように思うておったのだ。昨日帰ってから口を利かぬしどうしたのかと思うたら、人型であった間に消耗した気を補充出来ずにどんどんと弱っておるのだ。微かに聞こえた念は、もう良いのですと言っておるし、何が良いのか我には訳が分からずここまで来た。本体から離れるなど初めてぞ。》

慎吾は驚いた。結朋が、枯れる?

「枯れるとは…どうなるのだ。」

紫銀は苛々して言った。

《主らで言う所の死ぬということぞ!抜け殻は残っても、命はない。そのまま朽ちて行く。あれほどに嬉しそうに出て行ったあやつを、主はいったい…》

慎吾は、いきなり飛び立った。そのせいで居間の窓は粉々に砕け散って、蒼達に降り注いだ。

「なんであいつは今頃になって気付きやがった。」

十六夜は自分も飛び立とうとしながら、言った。紫銀はフフンと笑った。

「気付かぬよりは、良いであろうて。」

十六夜と紫銀に続いて、蒼も飛び立って行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ