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一本の木にも

蒼は、本当に驚いた。

維心が勝手に来て、十六夜が勝手に結界を通していて、何が起こっているかも知っていた事実もそうだったが、今、慎吾と嘉韻と明人が連れて来たのが、ポプラの人型だという事実にももっと驚いた。

蒼は言った。

「…では、その結朋は、慎吾に会うために人型になってここへ来たと言うのか。」

嘉韻は頷いた。

「はい。王よ、どうしたしましょう。」

蒼は途方に暮れた。だいたい何が起こっているかも知らなかったというのに、そもそも木を教育するなんて経験は、誰にもないだろう。女の人型になっているということは、神や人の女はこんな感じだと教えねばならない。きっと、そこからなのだ。

「…そうであるの、女の人型であるし、主らの所へ泊めて学校へという訳にも行くまい。」

結朋は、悲しげに眉をひそめた。

「蒼様、では、男の人型になれたなら、良いのでございまするか?」

蒼は驚いた。そんな簡単に。

「…出来るのか?」

結朋は下を向いた。

「分かりませぬ。我らには性別はないのだと思いまするが、何も考えずに人型人型と念じてなりましたらこれでございました。」結朋は心許なげに言った。「そうすると、人や神から見て女と言われる形に。我はどうすれば良いのでしょう。」

蒼は考え込みながら言った。

「無理に変える必要はあるまい。十六夜も、最初自分の性別は知らないままだったが、人型になったらあれだった。結局は陰陽の陽であったし、あれで正解だったのだがな。主も、そのままで良い。なった形が主であり、無理に変えると後々ややこしいことになるかもしれぬ。」と、傍の侍女を見た。「生徒用の宿舎が空いておったか聞いて参れ。」

侍女は頭を下げて出て行った。蒼はため息を付いた。

「学校の宿舎があるゆえ、そこの女子寮に空きがあれば入れば良かろう。それにしても、木を教育することになるとは…。」

十六夜が、スッと入って来た。

「蒼、ポプラが来たって?」と、結朋を見て、笑った。「なんでぇ、あのおしゃべりなポプラじゃねぇか。お前、名があったのか。」

結朋も、親しげに十六夜を見た。

「十六夜様!いいえ、人型になった時に、紫銀様が付けてくださいました。十六夜様には、維月様はお元気でいらっしゃいまするか。」

十六夜は頷いた。

「あんまり元気がなかったが、今日元気になった。明日には龍の宮へ帰るだろうよ。そうだ、維月に会って行くか?また当分あいつにも会えねぇだろうしよ。」

結朋は立ち上がった。

「まあ、お会いしたい!十六夜様、連れて参ってくださいませ。」

十六夜は、蒼を見た。

「すぐに連れて戻るよ。」と、十六夜は手を差し出した。「来な、こっちだ。お前、歩くの難しいだろう。すぐに慣れるからよ。それまでは掴まってな。」

結朋は微笑んで十六夜の手を握った。

「はい。」

二人は並んで出て行く。明人は、隣の嘉韻にぼそぼそと言った。

「…なんだかよ、十六夜って優しいだよな、さりげなく。あんな感じで口は悪いんだけどさ。」

嘉韻は頷いた。

「あれでなぜに慎吾なのか分からぬわ。あの様子だと十六夜に乗り換えるのではないのか。ま、慎吾もそのほうが肩の荷が下りるというもの。」

慎吾はそれを聞いて、ホッとするはずであるのに、なぜか複雑な気持ちだった。確かになつかれ過ぎるのも困りものだが、元々我に会いに来る為に人型になったと言っておったのに。

蒼は苦笑した。

「十六夜は誰にでもあのような感じよ。だがな、長くは続かないのだ。ずっと纏わり付かれるのは嫌がる。それが母にはあのように長年執着しておるのが、オレは不思議でならないのだ。」

明人はびっくりして蒼を見た。王の面前で軽口をたたいてしまった…。

「十六夜は、オレにも親切でした。なので、よく相談したりしていた。」

蒼は頷いた。

「そうだな。誰にでも、特に意識はしていないとは思うが、親切は親切だ。だが…気分屋なのでな。それに飽き性よ。オレがどれだけ困っておるか。」

蒼はフッと息を付いて横を向いて手を額に当てた。王は、父親とはいえ月相手に、きっといつも大変なのだろう。元は人であったのだから…。


結局、女子寮に入れようかと言っていたのだが、それでは自分の身の回りのことが出来ないというので、蒼の娘である瑞姫の隣に部屋を与え、瑞姫が面倒を見ることになった。

瑞姫は絶世の美女と言われた龍王の妹、瑤姫と蒼の娘で、とても美しく、しかし蒼の血のせいで気取りのない皇女だった。

退屈だと言っていた瑞姫は、それをとても喜んだらしい。結朋も瑞姫とすぐに親しくなり、蒼もホッとして二人を見守った。


そんなある日、慎吾が訓練を終えて自室へ引き上げて来ると、部屋の前で女の気配がした。

結界を張ってあるので、誰も中へ入ることは不可能だが、戸の前で待たれたのは初めてだ。慎吾は顔をしかめて立ち止まった。どこまで我に娶らせようと思うのか。

一度、長賀のように激しく怒ってみようかと慎吾が自室の前に足を進めると、振り返ったのは、結朋だった。

「慎吾様!お帰りなさいませ。」

結朋は美しく頭を下げた。間違いなく、瑞姫に教わったことだ。僅かの間に、びっくりするほど動きが垢抜けていて、慎吾はためらった。

「…主、学校は?」

結朋は微笑んだ。

「ただ今終わりました。瑞姫様は只今蒼様の所にいらっしゃるので、我は慎吾様にお会いしに、ここへ。」

慎吾はため息を付いた。

「我の部屋へ来てはならぬ。結朋、結界が張ってあるであろう?危ないのだ。」

結朋は首を傾けた。

「…ですから、帰られるのを待っていたのですね。それでも、危ないのですか?」

慎吾は首を振った。

「まだ、そこまで習っては居らぬだろうが、女がむやみに男の部屋を訪ねてはならぬのだ。」

結朋は困った顔をした。

「それでは、我が慎吾様とお話ししたい時は、どうしたら良いのでしょうか。」

とても真っ直ぐな目で、じっと慎吾を見上げている結朋に、慎吾は戸惑った。他の女なら、一喝すれば済むが、これは何も知らない。ただ純粋に話をしたいと言っているのに、追い返す訳にも行かぬ。

慎吾は言った。

「…わかった。では、どこか…そうであるの、湖で待っておれ。我はまだ甲冑を着ておるし、着替えたら参る。とにかく、人前で堂々と二人で会うのは、神の世では避けねばならぬのよ。分かるか?」

結朋は理屈は分からないようだったが、頷いた。

「はい。とにかく、人前で会ってはならぬのですね。そしてお部屋へ来てもいけない。では、我は湖へ参りまする。待っておりまするね。」

結朋は、また美しく歩いて行った。歩き方まで習ったらしい。瑞姫が相当に世話好きであるのは、結朋の姿を見ていてわかった。

慎吾は、部屋へ入るとさっさと着替え、そして気が進まないながらも、湖に向けて飛び立った。


結朋が、水面を見つめて立っていた。

その様は、知らずに見ていると本当に美しかった。性別はないと本人は言っていたのに、そこには色香も漂い、慎吾は思わず知らず見とれていた。

そしてそんな自分にビックリして首を振ると、結朋に声を掛けた。

「…結朋。」

結朋は振り返ると、微笑んだ。その様がまた美しく、木の人型とはこれほどに美しいものなのかと慎吾は思った。

「慎吾様…我は、ただこうしてお話がしたいと思うて参りましたものを。神の世というのは、この体を扱うことから、それに礼儀とか申すものまで、全て身に付けなければ、慎吾様とお話することも叶わぬのでありまするね。」結朋は小さくため息を付いた。「…簡単に考えておったと、今は己の愚かさに恥ずかしく思うておりまする。」

慎吾は、ふと気付いた。そう言えば、あのポプラであるなら、もう100年近くは生きているはずだ。この姿と、最初に見た動きが、神の基準で見て子供っぽかったので、すっかり子供扱いしていたが、そうではない。結朋は、木としては立派に成人しているのだろう。それが、神の世に出て来たばかりに分からないことだらけで、それに他に木の人型など居らず、心細い思いをしているのかもしれない。常識も何もかも違うと聞いた。では、全てを一から学んで行こうとしているのか。

「結朋…そこまでして、神の世で生きようと思うておるのか?それとも、ただ話に出て参っただけであるのか。」

結朋は慎吾を見た。

「我は…何も考えておりませなんだ。ただ、慎吾様とお会いしたいと、人型になる訓練をして。なってすぐに、名が必要だと紫銀様に付けて頂き、そのままこちらへ出て参った。そして、初めて言葉を発したのが、お名を呼んだ時でございました。思えばお会いするまでこの体に慣れぬので、何度も転んでしもうて…恥ずかしい限りでございまする。」

慎吾は、結朋が必死にこちらへ出て来た様を容易に想像出来た。人型になったばかりで、足取りもおぼつか無いのに、歩いて森を抜け、それで着物が足に絡むことを学んで、最初に会った時、あれほど慎重に歩いて来たのだろう。そう思うと、慎吾は結朋がかわいそうになった。

「のう結朋、話したいのなら、我が時に向こうへ行こうぞ。さすれば主はこれほど難儀な思いをせずに済むであろう。話したいと人型になってくれたのは嬉しいが、それでは主にとってつらいばかりであろうが。我だって、仕事もあるし、こちらに居るからとずっと話せる訳でもない。ならば、あちらで待っておったほうが、主にとっては楽なのではないのか?」

結朋はじっと慎吾を見た。何か考えているようだ。そして、首を振った。

「慎吾様…我は、慎吾様の居られる世界を知りたいと思うておりまする。なので、これで良いのです。初めての世で何も分からずつらいのは、誰でも同じこと。慎吾様とて、人の世からこちらへ帰られた時、それはお辛かったのではありませぬか?我は…神の世というものを、もっと学んで参りまする。」

それでも、我は人の世は知っていたから。

慎吾は思ったが、黙っていた。結朋は体の使い方から、神や人の感じ方までこれから知らねばならない。きっと大変だろう。だが、結朋がこのままで居てくれたほうが、慎吾はなぜか良かった。ポプラに戻ってしまったらと思うと、なぜか残念な気がしていたのだ。

慎吾は言った。

「では、我と話したい時は、ここに。我は主の気をここに感じたら、来るようにするゆえ。だがの、結朋。我は軍神と言って、神の世の戦うための部隊に所属している者なのよ。なので、急に任務が入ったり、いろいろと忙しくしておることが多い。来れない時もあるゆえ、30分以上待つようであったなら、帰るのだ。我は仕事であるのだからな。わかったか?」

結朋は頷いた。

「はい、慎吾様。そうやってお会いする術があるということは、とても気持ちの楽になることでありまするね。また次にお会いしたい時はどうしたら良いのかと、我はとても案じておりましたの。良かったこと。」

結朋は、慎吾を見てまた美しく微笑んだ。慎吾はそれを面倒だとも思わない自分に、少し驚いていた。

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