解放
李関は冷や汗を流しながら、浅い息を繰り返していた。本当なら宮の治癒の対へ行く所を、結界に阻まれて治癒の龍に会う事すら出来ない。宿舎の部屋に連れ帰られた李関の手を、涼はしっかりと握り締め、必死に気を送っていた。回りの軍神達も気を送り続けている。そこへ、蒼に呼ばれた玲が駆け込んで来た。
李関の様子を見てためらう。
「…我は知識として知っているだけで、実際に治療出来るか分かりません。」玲は言った。「これは特殊技能の域なのです。」
蒼はそれでも言った。
「維心様も気を補充していて目が覚めない今、主しか居らぬ!とにかく、診てくれ。」
玲は恐る恐る李関の着物を開いた。深く切れている…涼は言った。
「人の治療なら私にも出来るの。でも、縫うのよ!神は縫わないでしょう?消毒はしたわ。お願い、何とかして!」
玲は、腹を無意識に押さえている涼を見て、腹の子を思った。何とかしなければ…父親になるのに!
玲は口を引き結んだ。
「気の補充を続けてください。暴れるかもしれない。痛みが伴います。」玲は言った。「行きます!」
玲は手を翳した。確かこうのはず。気はこの力、そしてこの色…。
玲から光が漏れた。李関が意識がない中、激しく眉を寄せて大きく体を反らして抵抗する。傍の軍神達がそれを押さえ、涼は叫んだ。
「李関!李関頑張って!子供の顔を見るんでしょう!」
涼は気丈だった。人の世で、外科医だったと聞いている。しかも、あの龍王妃の娘。少しも退かずにひたすらしっかりと傷口を見つめ、見守った。傷口は塞ぎつつあったが、中の損傷をどうしたらいいのか分からない。玲が額に汗を浮かべていると、誰かの手がスッと横から伸びた。
「…小さな宮なので、私は治癒の看護士と言われる事をしていましたの。」
おっとりとした口調。紗羅だった。
「…中の損傷をどうしたらいいのか分からない。」
玲が言うと、紗羅は微笑んだ。
「玲様はそのまま外傷を。我は内部を。」
紗羅の目付きが変わった。そして、どこにそんな力がというほど大きな力で、一気に内部に取り掛かった。
「ぐ…!」
李関が唸る。紗羅は言った。
「…中の出血した血液も取り除きまする。意識を戻したら、錯乱するかも…。」
回りの軍神達は頷いて、押さえる手に力を入れた。外は塞がった。紗羅は必死の形相で手を翳し続けた。
「…うあ!」
李関はいきなり目を開いた。そして起き上がろうともがく。涼は叫んだ。
「李関!治療してるのよ!落ち着いて!」
李関は息を乱して涼を見た。
「…涼…。」
気の喪失が止まった。紗羅は手を下ろして、息を付いた。
「…大丈夫です。痛みを押さえる処置無しで、さすが軍神ですわね。」
にっこり微笑んだ紗羅に、涼は抱き付いた。
「ああ、ありがとう!よかった…私の命より大切なの…。」
李関はそれを見て、力なく微笑んだ。
「…涼…主を置いて逝かずに済んでよかった。」
「この子も。」涼は腹を触った。「あれだけ暴れる子が、あなたが意識のない間ずっとじっとしていたの…。」
李関は、腹に触れた。
「おお、すまぬな。もう、父は大丈夫ぞ。」
涼の腹が、傍目にも分かるほど動いた。李関は笑った。
「なんと、蹴りおったわ。怒らせたの。」
蒼はその様を、ホッとして見つめた。それを見届けて、信明がソッと部屋を出たのに気付いた蒼は、それを追って出た。
信明は、窓の外の宮を見ていた。あそこには、まだ桜と椿がいる…。
「明人が、きっと封じを解いてくれる。」蒼は信明に言った。「待っておれ。」
信明は頷いた。早く皆を取り返さなければ。
「我には無理よ。」嘉韻は言った。「もしそうだとしても、絶対に無理よ!」
慎吾は、出血している腕を押さえた。
「我だって無理だ。紅雪を担いでおるし、負傷しているからの!」
明人はそんな二人を後目に、立ち上がった。
「…オレはなんだってやるぞ!」
と、利晋を見た。利晋はぎょっとしたような顔で、身を起こした。まさか…。
明人がそちらへ足を踏み出した時、明人の甲冑の間から、何枚かの銀杏の葉がひらひらと落ちた。銀杏…さっき敵の軍神とやり合った時、銀杏の枝に突っ込んだからか…。
明人は、慎吾と嘉韻を振り返った。
「銀杏を燃やすぞ!嘉韻!」
明人は銀杏の葉を拾い上げると、嘉韻に向けて気で投げ上げた。嘉韻はホッとしたように呪を唱えた。
嘉韻から出た火の玉は、銀杏の葉を一瞬にして塵に返す。
その消し炭が舞い散り、先ほどのペンダントの消し炭の上にふんわりと落ちた時、いきなりそこが光輝いたかと思うと、何かが月に向かって打ち上がった。
まるで、霧が晴れて行くかのようだった。
月は今までになく光り輝き、一気に半球を作って領地全体を覆って行く。それは、今までずっと見ていた、月の結界だった。
そして月から降って来た光は宮を包み、宮の結界は跡形もなく消失した。明人は飛び上がった。
「やったぞ!」と、嘉韻と慎吾を見上げた。「十六夜が戻った!月が復活する!」
結界の中が浄化されて行くのが目に見えてわかった。それに伴って龍王の結界は消え、月の結界がしっかりと根付くのが見て取れた。
「…植物だったのか。」
慎吾が呟く。嘉韻は言った。
「この際細かいことはいいであろうて。とにかく、解けたのだからの。」
それを見た月の宮の軍神達が、宿舎の方からドッと雪崩れるように出て来た。宮のほうへ向かっている。利晋を拘束して気で浮かせ、他の軍神達と鈴藍と並べたあと、明人と嘉韻も足を向けた。
「慎吾、お前はその腕を治療してもらって来い。紅雪も、宿舎のほうへ連れて行ってやってくれ。」
慎吾は頷いた。
「あとは頼んだぞ。」
慎吾は、紅雪を担いだまま飛んで行った。
「…終わったようぞ。」至極落ち着いて、輝重は言った。「これで何を考えておっても、我らは皆殺しよな。」
維月は首を振った。
「そうはなりませんわ。」と、輝重を見た。「蒼は私の息子。話してわからない子ではありませぬ。」
翔馬が頷いた。
「そうです。我が王はそれは寛大で慈悲深い、さすが月の子であると我は常思っておりまして…」
維月は苦笑した。
「とにかく、王は蒼なのだから。あの子が決めることよ。」
維月は立ち上がって、軍神達が入って来るのを見守った。その後ろから、蒼が飛んで来た。
「皆、無事か。」と、輝重を見た。「母と何か話しておったようだが。」
輝重は頷いた。
「全ては主の判断次第よな。我らは何も言える立場にはない。」
蒼は維月を見た。
「母さん、とにかく皆を一度牢へ繋ぎます。話しはそれからだ。いろいろ言いたいことがあるとは思うが…一番知ってるのは、きっと十六夜だろうしね。ここまで黙ってて何もしなかったって事は、何か知ってるはずなんだ。」
そう、十六夜は宮への侵攻も見えていたはずなのに、蒼達に知らせなかった。何か知っていて、きっと黙って見ていたのだろう。
「…ふーん、やっぱり付き合いが長いと分かるもんだな。」
十六夜の声が後ろから飛んだ。蒼は振り返った。「十六夜!」
軍神達が、敵の軍神達、それに輝重を連れて出て行く。それを見送りながら、十六夜は言った。
「オレが見て聞いたことを話す。維月が何を話してたかはオレにも見えてたから知ってるしな。オレも賛成だ、維月。」維月は頷く。蒼は何のことかわからなかった。十六夜は続けた。「維心を起こして来い。あいつはもう元気なはずだ。今頃目を覚まして、維月が傍に居ないから暴れてるかもしれねぇぞ。あいつには困ったもんだ。」
蒼は苦笑した。あながち間違ってもいない気がしたからだ。普段はあんなに強大で非情の龍王で通っている維心様なのに…。
維心は暴れてはいなかった。ただ、拗ねていた。
「…結界が解けたのに、なぜにすぐ我の傍に来なんだのよ。」
寝台で起き上がって座り、横を向いている。維月は困ったように言った。
「それは…いろいろございまして…」
「我より大事であるのだな。」維心はヘソを曲げていた。「我は主の事しか考えておらぬのに…」
維月は小さくため息を付くと、維心に歩み寄って、寝台の上の維心の膝にソッと座った。
「まあ、いつも考えておりまするわ。維心様…ご機嫌を直してくださいませ。」
維心は騙されない構えで維月を見ない。
「…よい。蒼と二人、宮へ戻れば良いではないか。」
蒼は顔をしかめた。これはさすがに母さんでも、すぐにご機嫌を直すのは無理なんじゃないか…。何しろ本来いつも不機嫌でにこりともしない王の維心様なのだから。
維月はそれでも諦めずに、維心に身を擦り寄せた。
「そのような…共に居とうございます。」と、維心の顔を両手で挟んで自分の方へ向けた。「維心様…。」
維月が唇を寄せると、維心は条件反射でそれを受けた。蒼がびっくりして赤くなっていると、唇を離した維心は、維月を見て抱き寄せた。
「…仕方がないの…そのように傍に居りたいと申すなら…。」
維心はまた愛情深くゆっくりと維月に口付け始めた。こうなると、とにかく長い。蒼は咳払いをして、言った。
「えー維心様…」維心は答えない。蒼はもう一度言った。「維心様、お話が…。」
維心は眉を寄せて言った。
「なんぞ?気の利かぬ。我は回復したばかりぞ。この上何をさせようと言うのよ。ここで維月と居るゆえ。何かあれば呼べばよいわ。」
蒼は困った。
「ですがこのあとの事を話したいと思っておりまして…。」
維月も言った。
「維心様…聞いて参りましょう。維心様の知識が必要なのですわ。」
維心はため息を付いた。
「仕方がない。主がそう申すなら、行こうぞ。」
維心はやっと立ち上がった。蒼はやっとホッとして宮へと向かったのだった。




