近況
信明は、明人の部屋へ急ぎながら、何も気遣って来なかった事を後悔した。明人が紗羅を愛せなくてもおかしくはない。そもそも龍は、そんなに簡単に女を想うということが出来ない気質だった。
なのに、ここ最近になって、この月の宮の安定した平和な所に目を付けた近隣の宮々から、娘に縁談をという話が多く寄せられるようになっていた。さすがの王も、そんなにたくさんの相手を見付ける事は困難であると、最近では断っているようだが、それでもという皇女達の事は、学校へ留学の間ということで、この宮に滞在することを許していた。
桜は、そんな縁談を受けた最後の皇女であったのだ。
信明は感謝した…桜を娶れて、良かった。今ではかけがえのない存在なのだ…。
二つ下の階が、明人の部屋がある階だった。信明は声を掛けた。
「明人、入るぞ。」
戸を開けて中へ入ると、驚くように立つ明人が居た。
「親父…珍しいな。何しに来た。」
信明は笑った。
「なんだ明人、最近は神らしくなっちまったと聞いてたんだがな。変わってねぇじゃねぇか。」
明人は苦笑した。
「仲間うちでは変わらねぇよ。ただ、神相手にこれじゃあ、さすがに退いちまう。だから、神らしく話すことにも慣れて来ただけだ。最近はやたら神の世しか知らない神が増えて来たからよ。」
信明はフッと笑った。
「そうだな。オレも最近は神の頃に戻ったみてぇな気がしてる。昔は皆と変わらなかったからよ…ただ、最初に職場で知り合った人の男がこんな話し方だったから、それを真似て人らしくしようとしたのさ。本来のオレは、こうじゃねぇ。だがお前がこのオレしか知らずに育ったから、このままで居ただけだ。」
明人は、頷いた。
「なんだか最近になって、やっと分かって来た気がするよ。親父は神として生まれ育った。なのに人の世で何も教えられずに、生きて行こうとしたんだなって…その意味を、おふくろは分かってたのか?オレ…最近おふくろがわからねぇんだよ。この前の休みに親父と話そうかと思って屋敷へ行ってみたら、屋敷はデカくなってるし、親父はいねぇしおふくろは変だし、まあ、うるさいから話は聞いて来たけどよ…どうしちまったんだ?親父が桜を娶るって言った時は、案外あっさり承知してたのによ。」
信明は眉を寄せた。
「あいつと話したのか。なんて言ってた?オレには口も利かないから、桜を娶ってからは屋敷にも帰ってねぇんだ。」
明人はじっと父を見たが、ため息を付いて首を振った。
「聞かねぇほうがいい。オレだってさすがに咎めたほどだ。おふくろはオレの剣幕に驚いて涙ぐむしよ…逃げるように帰って来て、それから行ってねぇ。二か月ほど前のことだ。」
信明はため息を付いた。息子に何を言ったのか。これは夫婦間のこと、明人が怒るぐらいだから、おそらく込み入ったことをまくし立てたのだろう。やはり、このままでは良くないな。
「…オレのことは、近いうちに決着を付けてくらぁ。考えてたところだしな。桜は自分が人の世を知らないから、陽花に何か人の世では失礼なことをしてしまったのだと思い込んでいて、それで学校へ行ってそれを学びたいと通ってるんだ。そうではないと言ってるんだが、あれは神の世育ちで複数の妻がどうのという話はわからないんだよ。このままじゃ桜が不憫だ。陽花と一緒に屋敷で住みたいと言ってるのによ…。」
明人は、あの美しい桜を思い浮かべた。神の王室で育って、神の常識しか知らない桜…。なぜ自分がこれほど拒絶されるのか、分からないのだろう。
「親父…桜に惚れてるんだな?軍でも評判になるほどだ。毎日送り迎えしてるって聞いた。確かに桜は綺麗だし、物腰も品がいいしな。」
信明は居心地悪げに横を向いた。
「まあ…桜は素直で神の女として完璧だとオレは思ってるだけだ。別に姿が云々だけじゃねぇよ。」と、表情を引き締めた。「それで、オレが話に来たのはその桜に聞いたからなんだがな。お前…今日、森に行ったか?」
明人は急に話題が変わったので驚いた。森?どうしてそれを…。そういえば、湖の所に誰か居たような気がする。だが、自分は極力気を抑えていたはずなのに…。
「なんでそんなこと聞く?」
信明は明人を見た。
「咎めてるんじゃねぇよ。桜はオレの気を常に読もうとしてくれてるから、お前の気が似てて、ふと気が付いたんだろう。」と、視線を落とした。「…すまねぇ。オレ達のためにあんな婚姻を受けたばっかりに、あんな所で会うしかなかったんだな。そこまでしてくれたのに、オレ達は今、こんな感じでよ…。だが、お前には言っておく。母さんとは別れるかも知れねぇぞ。話次第だが…オレは、母さん一人のために、皆を不幸には出来ねぇんだよ。」
明人は少なからずショックを受けたが、今はそれも理解出来た。ここは神の世…おふくろは、また人の世に戻りたいと、最近ではよく買い物に出掛けると聞く。しかし、一人では生活出来ないと、親父かオレに共に来いと言う…断ると、責任云々とヒステリックにまくし立てて来て、さすがの明人も切れたのだ。逃げられないから、ここで頑張るしかないと言ったのは、他ならぬ母ではなかったか。その矛盾に、明人は辛抱たまらなかったのだ。
「…親父達の事は、親父達が決める事だ。オレは口出しするつもりはねぇよ。」と、父を見上げた。「…で、その口振りじゃあ相手も知ってるみてぇだな。」
信明は頷いた。
「紅雪殿だろう。桜もここへ来る前に、何度か会ったことがあると言っていた。同じ皇女だからな。小さな宮同士はよく交流もあるようだから。」
明人は深くため息を付いた。
「わかってるんでぇ。王族を二人もめとるなんてオレには無理だ。だが、紗羅はどうなる?紅雪はどこかでひっそりと暮らしてもいいと言うが、オレはそんな扱いも出来ねぇ。だから、まだ悩んでるんだよ。」
信明はじっと考え込んでから、顔を上げた。
「なあ明人…これから先、まだまだ寿命はあるオレ達なんだ。何百年も諦めて責務だけに生きるなんて、無理だと思わねぇか?オレには無理だ…だから、決着を付けようと思ってるよ。母さんは、宮の仕事があるから、神の世に居れば一人でも、生きて行ける。もちろん、神の世の理に従ってくれるなら、オレだって世話をしないつもりはねぇが、きっと無理だろうしな。明日にでも、無理に話をしてくるよ。だからお前も、きちんと話して決着付けな。」
明人は、じっと考えていたが、頷いた。確かにそうだ。話して来なければ、自分だけでなく紅雪も、紗羅も不幸になる…。
「うやむやにしてないで、オレもはっきりさせるよ。親父、お互いに落ち着けるように努力しようや。」
信明は頷いて、フッと笑った。
「お前とこんな話をするようになるとはな。ああ、桜が驚くから、二人きりの時以外はこの話し方はなしだ。神なんだからな。お互いに。」
明人も笑った。
「それはオレも言おうと思ってたんだ。親父も本来の自分に戻っていいんじゃねぇか?もう充分だ。」
信明は驚いたような顔をしたが、頷いた。
「そうだな。我もそのように思う。龍として育ったのだからの…何も恥ずかしい事などない家系のな。主にも教えねばなるまいて。子が生まれたら、桜を連れて龍の宮へ行く。主も来い。」
明人は驚いた。龍の宮へ?
「それは…もしかして…?」
信明はまた頷いた。
「我の父と母が居る。父にはあの鳥との戦の折に会うた。陽花が人の世に戻りたいと言い始めた時から、結婚に反対しておってな。結局我が折れて父に逆らって人の世に行き、結婚したのだ。」
明人は知らなかった…確かに、信明にも両親は居るはずなのだ。ならば、父の払った犠牲は計り知れない…。
「…知らなかった…そうか、そこまでして人の世に…。」
父は思い出すように遠い目になった。
「我も若かった。陽花は毎日死にたいと言うし、気が気でなくての。余程神の世が合わぬのだと思うと憐れで。その気持ちは人の世に行ってみてわかった…我も人の世は合わず、辛かったのでな。何度戻りたいと思ったか。なので主の事で、あれが戻ろうと言った時は本心は嬉しかったのだ。ただ、父に顔向けは出来ぬと思うておったがの。」
明人は、もう自分には居ないと思っていた祖父母が居ることに、驚きながらも嬉しかった。
「オレも会いたい。絶対連れてってくれよ。」
信明は嬉しそうに頷いた。
「あちらも会いたがっておるゆえな。ただ、陽花は結婚に反対された記憶があるゆえ、我らが会う事に反対しておったのよ。なので、主にもいわなんだ。」と、立ち上がった。「だが、もう言える。」
信明は戸に向かう。明人は言った。
「無理はするな…おふくろは、ほんとにおかしくなってる気がするんだ。」
信明は笑った。
「大丈夫よ。主もの。」
信明は出て行った。父の結婚の現実を知った明人は、なぜかより近くなった気がした。




