第7話 火傷
自分よりも強い敵と向かいあったとき、人はどうすべきなのだろう。
俺が真っ先に思いつくのは、逃亡。
逃げることはなによりも安全な策だと個人的には思っている。
その行為が情けないと思う人が居るかもしれない。けれど、死んでしまったらそこまでだ。
逃げることは諦めではない。
むしろ、諦めていないから逃げるのだ。
生きている限り、人間には可能性がある。
しかし、いつだって俺達は逃げられるわけじゃない。
今も、その時だと思う。
目の前には、謎の黒いオーラを発しているウルフ。俺が知っているフェンウェイウルフとはあきらかに違うかった。
そいつは赤い目でにらんできて、こちらの様子を伺っている。
俺も手で剣の柄を握っている。ウルフが襲い掛かってきたら、斬り返す所存だった。
仲間がいるのに、逃げるわけにはいかない。特に、ラーニャは見たところ、足が速そうではない。逃げることを提案することは、愚かとさえ思える。
それに、また守れないなんてことを繰り返すのは、死ぬことより嫌だ。
けれど、俺が戦闘に参加しようとしていることを、斜め右前にいる茜は許さなかった。
「わたしがやるから。手を出さなくて良いよ」
「武器ないじゃないか」
「それでも、常葉くんよりは強いよ」
それは認める。俺ははっきり言って強くない。
「でも――」
俺が反論しようとした刹那――茜は尻尾をバネのようにして、ウルフの方へとダッシュした。速い。
俺が彼女から逃げられなかったのも当然だろう。
茜は体を反転させて、バネのように使った尻尾をムチのようにウルフへと放つ。
だが、そんな茜の攻撃も、ウルフは難なくジャンプしてかわした。
それどころか茜の体を台にしてこちらへと飛んでくる。
俺は剣を抜き、左にいたラーニャの前へと立ちふさがった。
――明らかに、普通のウルフより動きが良い。いや、良すぎる。
剣を構えているのも関係なく、ウルフは突っ込んでくる。
俺はそいつに剣を真っ直ぐ突き出す。斬るよりも、速いと思ったのだ。
しかし、ウルフは空中で体を反転させて、するりと剣を避ける。俺はあっさりと懐に潜り込まれてしまった。
ウルフは俺の隙を利用し、自らの鉤爪を振りかぶり――俺はすんでのところで、剣の柄頭で受け止めた。ギリギリだ。
反応が遅れていれば、たちまち俺は足を傷つけられ、動けなくなっていただろう。
俺が鉤爪を弾いて体勢を立て直そうとしたその直前。
突如として強烈な火炎が俺の手を焼いた。いや、俺の手だけじゃない。ウルフの体もだ。
俺の手に火による苦痛が駆け抜けた。いや、痛いなんてもんじゃない。皮膚が焼けてるんだ。
幸い引火こそしていないが、火がもたらした俺への被害は甚大だった。俺は自分の手に触れるのも怖い。膝から力が抜けて、草原に跪く。
「ご、めん」
どこかからそんな声がする。
「なに……してるのよ。あんた」
怒りを孕んだ声が俺の鼓膜を揺らす。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
「謝れば良いってもんじゃないでしょ!」
やっと分かった。これは、そう。ラーニャと茜の声だ。
「だいじょうぶ……だから」
俺は呟いた。本当のことだ。この手は痛い。それは嘘じゃない。でも、そんなことは大して心配する必要がないことだ。
「でも、その傷。簡単に治るなんてものじゃ……」
茜は悲痛な声を漏らす。
「治るよ」
治る。間違いなく断言できた。俺が何もしなくても、この傷は治るのだ。
こんなときにしか役に立たない体質が、俺はどうしようもなく嫌いだった。
こんなものより、もっと人を守ることができる能力が欲しい。
俺はそう、この世界の神様を呪ったのだった。




