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第8話:斉藤春夫

 第一班の覆面男。佐藤春夫が意外にも(失礼)妻帯者であることを観月が知ったのは、ある木曜日の事だった。


 その日は外回りの作業はなく、全員が所内で訓練を行っていた。オペレータである斉藤も同様。人員の状況によっては処置に回ることもあるから当然だ。

「はぁー、やっとメシだ。まったく、これだけが楽しみだよ。」

 昼休憩になるなり、そう言って事務所に入ってきたのはオヤッサンこと、西野だ。顔の汗を拭きながら、受付そばのテーブルから出前の親子丼をとっていく。続いて、沢村と吉村の二人がそれぞれ注文した品物をとると、テーブルの上には何もなくなった。

「あれ、班長。今日はお弁当ですか。」

 そう尋ねたのは沢村。尋ねられた真田は小さく肩をすくめた。

「別に珍しくないだろう。外回りがない日は結構持ってきてるじゃないか。」

「そう言えば、たまに見ますね。じゃあ、アレだ。いわゆる愛妻弁当ですね。ご飯にハートとか描いてあるんですか?」

 半ばからかうようにそう言って、シシシ、と笑ったのは吉村。真田は照れる様子もない。

 観月は、(へー、奥さんいるんだ。亭主関白で苦労してそうだな。でも、意外と尻に敷かれてたりして。)などと考えていた。

「愛妻弁当ってなら、俺よりも斉藤だろう。いつもきれいな弁当持ってきてるじゃないか。」

 真田に話を振られた覆面男はニコリと笑って応じた。ちなみに彼の覆面は後頭部から鼻の頭までを覆っているが、口から下あごにかけては大きく隙間が作られていて食事などは問題なくできるようになっている。

「そうですね。妻の弁当は活力の源と言っても過言ではありませんよ。」

 照れることもなくそう言い放ち、斉藤は弁当を取り出すべく鞄に手を伸ばした。が、様子がおかしい。表情は少し曇っているし、鞄の中身をひっくり返すようにしている。

「どうした?」

 おそらく、薄々は分かっているだろうが真田が尋ねる。斉藤は両の掌を上に向ける。処置なしのポーズだ。

「どうも弁当を忘れてしまったみたいです。ちょっとコンビニまで行ってきます。」


 そう言って斉藤が出ていこうとしたその時、入り口のドアが開くと一人の女性が受付に入ってきた。肩までの髪を軽くウェーブさせた、快活そうな美人である。

「お邪魔しまーす。」

 美人が、出ていこうとしていた斉藤と鉢合わせる形になった。

ドアを開けたらいきなり覆面。普通なら悲鳴を上げるところだろうが、女性はニッコリと笑った。

「ナイスタイミング。ほら、お弁当忘れたでしょ。持ってきてあげたわよ。」

 そう言って差し出された包みを斉藤も笑顔で受け取った。

咲良(さくら)。持ってきてくれたのか。助かったよ。やっぱり、お前の弁当じゃなきゃ力が出ないからな。」

 臆面もなく言い切る斉藤。それを聞いた美人は呵呵大笑。

「あっはっは、職場でなに恥ずかしいこと言ってるのよ。まあ、その心がけは評価してあげるけど。」

「いや、本当に助かったよ。ありがとう。」

 のろける二人。観月はその様子を(うわー、奥さん?びじーん。)などと驚きをもって見ていた。


 美人は斉藤と一通りのろけ終わると、所長や真田にあいさつをして帰って行った。

 観月は吉村にそれとなく水を向けてみる。

「あの人が斉藤さんの奥さんですか。美人ですね。」

「そうですね。咲良さんって言って、斉藤さんとメチャクチャ仲良いんですよ。俺や沢村さんみたいな一人もんには目の毒です。」

 その会話に横から西野(おやっさん)が加わった。

「目の毒って。吉村はともかく、沢村なんかは結構モテるだろ。見た目も悪くないし。」

「ちょっと、オヤッサン。なんで俺はともかくなんですか。いや、確かにモテませんけどね!」

 吉村がツッコみ、沢村も加わる。

「残念ながら、僕もモテませんよ。」

「へえ、以外だな。話も上手いし、顔も悪くなし。てっきり彼女の一人や二人はいるもんだと思ってたが。」

 そう言ったのは真田だ。雑談はいつの間にか全員参加の様相を呈してきていた。

「それが。我ながら第一印象は悪くないと思うんですけどね。ヒかれちゃうんですよ。その、職業を伝えると。」

 沢村の言葉に大きく肯いて賛意を示したのは吉村だ。他の者も「あ~」という顔をしている。

「それ、アリます。でも、公務員とか誤魔化すのもなんか嫌じゃないですか?」

「あぁ、嘘じゃないんだけどな~。すごい後ろめたいだよな。嘘じゃないんだけど。」


 どちらも似たような思い出があるのだろう。深いため息をつきながら頷き合う若手二人。微妙な空気に陥りそうなところ、斉藤からフォローが入った。

「まあまあ、そんな表面的なことに囚われない女性はたくさんいますよ。拗ねたりせずに胸を張ってればいずれ出会えます。」

「それは、もしかして経験者は語るって奴ですか。」

 観月が合いの手を入れると、斉藤は我が意を得たりと笑みを浮かべた。

「その通り。もっとも、咲良さんほどの女性となるとなかなか難しいでしょうがね。」

 この盛大なのろけに対する反応は、全員一致だった。

「どうも、ご馳走様です!」

 そんな風に昼休みは過ぎていった。



 気が付くと、複数の小売店がひしめくアウトレットモールにいた。明るい店内を行きかう人の群れ、様々な音がまじりあい、ざわめきとなってこちらへと流れてくる。

(これは、夢だな。)

 妙に現実感のない店内の様子を見ながらそう思う。今朝、勤務を終えて今日は非番。家のベッドで就寝したはずなのだから。

 そんなことを考えているうちに、自然と足が人の流れに沿って動き出していた。滑るように、ゆっくりと視点が前に移動していく。車窓から風景を眺めるように、何も考えずにぼんやりとすれ違う人と商品棚を眺めていた。

 不意にどこかで子供の声がした。泣き声や笑い声とは違う、助けを求めるうめき声。

 雑踏の中では聞こえるはずのないか細い声。それがひどく不穏に響く。背筋を悪寒が走り抜け、体が震えた。

 そうしている間も、足は自然と、むしろ不自然なほど滑らかに体を先へと運んでいく。

 一歩進むごとにうめき声は大きくなり、胸の動悸は激しさを増す。汗でべたつく背中と脇が不快な感触を発している。

(とまれ、止まってくれ。)

 縋るような気持ちで自分の歩みを止めようとする。しかし、足はまっすぐに店内を進み、視線は前方を注視している。まるで車載のカメラをモニタで見ているようだった。


 足は店の奥から表の通りに向けて進んでいく。人の群れが次第にまばらになり、代わりに切れ切れだったうめき声がいつしかはっきりと聞き取れるようになっていた。

 大声をあげ逃げ出すか、できるならば目を覚ましてしまいたかった。だが、喉がしびれたように声は出ず、目を覚ますこともできなかった。

(駄目だ。そっちに行っては。頼む、やめてくれ。)

 視線の先、店と店を隔てる街路の真ん中に一人の子供がうつぶせに倒れて苦痛の声を上げている。ワンピースを着た女の子だ。今までに何度も見たことのある子供だった。

(やめろ。行くな。行くんじゃない。その子は、や、やめろぉおおお!!)

 半狂乱の内心とは裏腹に、体はその子供に近づき、その子の肩へ右手を……



「ジュン、おきなさい!!」

 咲良に揺さぶられ、斉藤は目を覚ました。目の前には心配そうな妻の顔。

全身に冷や汗をかいて、寝巻はぐしょぐしょになっていた。乱れた息が少しずつ整っていく。

「ひどくうなされていたわ。また、あの夢?」

「ああ。起こしてくれて、助かったよ。まったく、俺は、いつまで」

 思わず弱音がこぼれる。油断すると涙まで出そうだった。しかし、傍らで見守る妻の視線に気が付いて、咄嗟に強がる。3度ほど深呼吸をしてから、改めて妻の方へと目を向けた。

「大丈夫。もう落ち着いたよ。汗をかいたから、ちょっとシャワー浴びてくる。」

 そう言って起き上がろうとした彼の左手を咲良が掴んでいた。その眼は軽い三白眼、つまりはジト目だ。夫の顔を見て小さくため息をつく。

「な、どうした。」

 少々うろたえて、そんな風に聞いてしまう斉藤に咲良はしかめっ面で言う。

「あのね、大丈夫な人はそんな顔しないわよ。この暗がりでも分かっちゃうんだから。」

 いわれてつい、右手で自分の頬を触る斉藤。自分はそんなに情けない顔をしているだろうか、と思う。咲良は悪戯っぽい微笑みを顔に浮かべた

「おいで、ママが慰めてあげる。」

 左手をごく軽く引かれただけだったが、斉藤は再度ベッドの中に戻ることになった。シャワーは、その後だ。


 翌朝、打って変わって穏やかな目覚めを得た斉藤は、咲良と向かい合って朝食を摂っていた。今日の朝食はご飯に味噌汁などの和風メニューだった。新婚時代はたびたび失敗もあったが、いまではどんな料理も安心して食べられる。というよりも、斉藤にとってはどんな高級店よりも舌に慣れた安心する味と言えた。

「ちょっと、なに笑ってるの。」

 思い出し笑いが外に出てしまっていた。不思議そうな顔の咲良に斉藤は微笑いながら口を開く。

「いや、前にお粥みたいなご飯にネギが全部つながった味噌汁が朝食に出たことがあったな、と思い出してね。」

 この言葉に、咲良も思い出したのだろう。頬がわずかに赤くなる。

「それは、あの時はまだ仕事もしてて忙しかったし、料理も勉強中だったからしょうがなかったのよ。」

 そうだった。あのころはまだ彼女も仕事を持っていた。愚痴をこぼすこともあったが、情熱をもって仕事に取組み、やりがいを感じているようだった。斉藤はかつての妻をそう思い出した。

「なあ、今日はどこか出かけないか。買い物でも、映画でも、何でもいいんだけど。」

 そう誘うと、咲良はニコリと笑顔になった。斉藤のことをからかう顔だ。

「珍しいわね。デートのお誘い?怪しいなー。なにかやましいことでもあるんじゃない。」

「実は妻に浮気がばれそうなんだ。一緒に言い訳を考えてくれないか。」

 斉藤の冗談にはとりあわず、咲良は少し考える素振りをした。

「んー、冗談はイマイチね。でも、嬉しいわ。どこに行こうかしら。」

 冗談はイマイチと言われたが、斉藤は気にしない。

「まあ、ゆっくり考えればいいさ。咲良の方が準備はかかるだろうし、朝食の片づけは俺がやるよ。」

「今日はなんだかサービス良いわね。本当に浮気でもしてるんじゃないの。」

 大げさに顔をしかめて見せる咲良に、斉藤は味噌汁を飲み干しながら肩をすくめる。

「女房妬くほど亭主もてもせず、ってね。」

「それもそうね。」


 アッサリ肯く咲良に、せめて「そんなことないわよ。」くらい言ってくれないものか。少しだけそう思った斉藤だった。

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