風呂を作るクズ
翌朝、誠二は寒さで目を覚ました。
毛布は三枚重ねている。寝袋も使っていた。薪ストーブには昨夜、眠る直前まで太い薪を入れていたはずだ。それでも、毛布から出した鼻先が冷たい。息を吐くと、薄暗い事務室の中に白い煙のようなものが浮かんだ。
「寒すぎるだろ」
誰に聞かせるでもなく呟き、上体を起こす。
腰が痛い。昨日、能力を使いすぎて半日近く気絶した影響も残っている。頭痛はほぼ消えていたが、体の芯に重さがあった。そこへこの冷え込みである。四十を過ぎた体には優しくない。
薪ストーブを見ると、火は完全に落ちていた。灰の奥に赤い色すら残っていない。
駅舎は木造で、しかも能力で無理に出したせいか、窓や扉の隙間が多い。壁にも歪みがある。火が燃えている間は暖かいが、消えれば一気に熱が逃げる。薪を大量に用意しておけば済む話ではあるが、夜中に何度も起きて火を足す生活は面倒だった。
誠二は毛布を肩へ掛けたまま、ストーブの前にしゃがみ込んだ。
暖房といえば、これまではエアコンばかり考えていた。だが、発電量には限界がある。小型ソーラーパネルと蓄電池では、LED照明やスマートフォンの充電程度が精一杯だ。暖房器具を長時間動かせるほどの余裕はない。
電気がないなら、燃料を燃やせばいい。薪以外にも選択肢はある。
「石油ストーブか」
実家で使っていた小型の石油ストーブを思い出す。上にやかんを置ける昔ながらの円筒型だった。冬になると母親が灯油を入れ、居間の隅で使っていた。
小学校の教室にも、大型の石油ストーブが置かれていた。鉄製の柵で囲まれた、大人の腰ほどの高さがある大型の物だ。給食の牛乳を温めたり、濡れた手袋を近くで乾かしたりした記憶があるし、どちらも触ったことがある。
灯油も問題ない。実家ではポリタンクを物置から運ばされた。赤い容器に入った液体の匂いまで覚えている。
誠二は事務室の中央を少し片付け、まず小型の石油ストーブを生成した。
視界の前がわずかに歪み、床の上に見慣れた形が現れる。昨日のプレハブ小屋とは違い、大した負担はない。続いて赤い灯油用ポリタンクを一つ出した。中身も入った状態を意識する。
生成直後、腕に軽い倦怠感が走った。
水よりは重い。ガソリンを生成した時と同じだ。液体燃料は、ただの水よりも明らかに消耗が大きい。しかし、ポリタンク一つで倒れるほどではなかった。
蓋を開けると、鼻に刺さる独特の臭いがした。本物らしい。
「燃料まで出せるなら、冬を越すだけなら何とかなりそうだな」
森で薪を集めるには手間が掛かる。乾燥させる必要もある。雨や雪が続けば、十分な量を確保できない可能性もあった。だが、灯油なら能力で出せる。
負担は掛かるが、毎日少しずつ生成して備蓄しておけばいい。薪と灯油を使い分ければ、暖房に関する不安はかなり減る。
誠二はストーブの燃料タンクへ灯油を移し、芯へ染み込むのを待ってから火をつけた。しばらくすると、円筒の内部が赤くなり、じわりと熱が広がり始める。
薪ストーブとは違い、薪を割る必要もなければ、頻繁に火を確認する必要もない。換気と火災には気を付けなければならないが、便利さは比較にならなかった。
上へ水を入れたやかんを置く。金属が温まり、やがて小さな音を立て始めた。
「ガソリン用の携行缶もあったな」
会社員時代、取引先の倉庫や工事現場で見たことがある。風俗店でも、送迎車用の予備燃料として保管していた時期があった。
ガソリンを出せるなら、自動車も動かせる。
森の中に道はない。以前出したバイクも、ぬかるみと倒木のせいでほとんど役に立たなかった。車ならさらに動けないだろう。だが、走れなくても使い道はある。
車体は雨風を防げる。扉には鍵がある。座席を倒せる車種なら、緊急時の寝床にもなる。大型獣に対してどこまで通用するかは分からないが、薄いテントよりはましだ。 特に、昔乗っていたミニバンなら内部は広い。送迎にも使っていたため、構造もよく覚えている。
問題は生成時の負担だ。中型バイクで気絶したのだから、自動車など今の能力では無理だろう。
誠二はノートを開き、暖房設備の項目へ石油ストーブと灯油の文字を書き足した。その下に、携行缶、車、緊急避難所、と記しておく。思いついた時に残しておかないと忘れる。四十を過ぎれば、頭の中だけで全部覚えていられると思わない方がいい。
やかんの蓋が小さく鳴り始めた頃、東屋の扉が開く音がした。
少しして、毛布を肩へ巻き付けたラナが駅舎へ入ってくる。昨日渡したジャージを着ているが、それでも寒そうに肩を縮めていた。
「今日は随分と寒いな」
翻訳指輪をはめたラナの声が、わずかな遅れを伴って意味へ変わる。
「お前もそう思うなら、俺の体調のせいじゃないな」
誠二は新しく出した石油ストーブを指差した。
「近付いてもいいが、触るな。倒したら燃えるぞ」
ラナは警戒しながら近付き、赤く熱を持った筒を覗き込んだ。薪も炭も見えないのに火が燃えているため、不思議そうに眉を寄せる。
「何を燃やしている」
「油だ。専用の油を中に入れてある」
「油を燃やすのか」
「珍しいか」
「灯りに油を使うことはある。だが、こんな物は見たことがない」
ラナは両手を熱へかざした。最初は慎重だったが、暖かさを理解すると少しずつ距離を詰めていく。
昨日までのラナなら、未知の道具を前にもっと質問を重ねていたかもしれない。だが、一日一緒に過ごし、誠二が何もない場所から建物を出すところまで見ている。理解できない物が増えすぎて、いちいち驚くことに疲れてきたのだろう。
慣れるのはいいことだった。最初は異常だと思っていた物でも、毎日使えば日常になる。そして日常になった物を失うと、人間は強い不満を覚える。
誠二はやかんの湯を使い、二人分のミルクティーを作った。
「この辺りは雪が降るのか」
カップを渡しながら聞く。ラナは両手でカップを包み、少し考えた。
「降る。毎年同じではないが、あと二十日か三十日もすれば降り始めてもおかしくない」
「積もるのか」
「場所による。膝まで積もる時もある。もっと深いこともある」
誠二は顔をしかめた。
雪が積もれば、薪集めも水汲みも難しくなる。小川が凍る可能性もある。ソーラーパネルは雪で覆われるだろうし、屋根の強度も心配だった。
何より、ドムとキヤボが迎えに来る時期と重なる。
「雪が降り始めたら、あいつらは戻ってこられないんじゃないか」
「装備があれば、まだ平気だ。北の人間は雪に慣れている。あいつらも町に戻れば準備してくる」
「信用してるんだな」
「約束したからな」
ラナは当然のように言った。
誠二は返事をせず、ミルクティーを飲んだ。
約束したから戻ってくる。誠二には、それだけで人を信用する感覚がよく分からない。約束など、破った方が得だと思えば簡単に破られる。だが、ラナがそう考えていることには価値がある。
仲間を信じる人間は、仲間を人質にできる。約束を重く見る人間は、一度結んだ契約から逃げにくい。誠二にとって、人の美点はそのまま利用できる弱点でもあった。
「雪が降る前に、屋根と暖房をもう少し何とかする必要があるな」
独り言のように言うと、ラナはストーブへ視線を戻した。
「これがいくつもあれば、冬でも暖かいのか」
「燃料があればな」
「その燃料も出せるのか」
誠二は一瞬だけラナを見る。昨日、能力を明かしたことで、質問が遠慮なくなっている。
「出せる。ただし、無限に出せるわけじゃない。使えば疲れる」
「昨日みたいに倒れるのか」
「量による」
「無茶をするな」
思いがけない言葉だった。誠二はカップを置き、ラナの顔を見る。ラナは何でもないことを言ったような顔でミルクティーを飲んでいた。
心配しているのか、それとも誠二が倒れると食事や報酬が消えるから困るだけなのか。どちらでも構わなかった。少なくとも、能力の使用を止めようとする程度には、誠二の無事がラナの利益になっている。
依存の向きとしては悪くない。
朝食は、トーストにした。食パンを少し厚めに切り、フライパンで両面を焼く。本当はトースターを使いたいところだが、電力が惜しい。薪ストーブの上でも焼けるが、火加減が面倒だった。焼き目がついたパンへ、マーマレードジャムを塗る。
黄色と橙色の果皮が混じった甘い匂いが広がると、ラナの視線が露骨に皿へ向いた。
「果物を煮た物だ。苦い皮も入ってる」
「甘いのか」
「食えば分かる」
ラナは一口齧り、目を見開いた。砂糖の甘さの後に、柑橘の酸味と皮の苦味がくる。バナナや菓子とは違う味だが、気に入ったらしい。食べる速度が目に見えて上がった。
一枚目を食べ終えると、皿を見た。それから誠二を見る。
「もう一枚あるか」
「ある」
二枚目を焼き、今度は少しジャムを多めに塗って渡す。ラナは遠慮なく食べた。そして食べ終わると、少しだけ間を置いてから、もう一度言った。
「もう一枚」
「随分食うな」
「昨日働いたから腹が減っている」
「今朝の分まで昨日の労働に含める気か」
そう言いながらも、誠二は三枚目を出した。ラナは恥じる様子もなく受け取り、満足そうに食べ始める。甘味は強い。
砂糖がどの程度普及しているかはまだ詳しく聞いていないが、少なくとも日常的に大量消費できる物ではないのだろう。果物そのものにも季節や地域の制約があるはずだ。ジャムなら保存が利く。瓶詰めのまま出せる。種類も多い。苺、ブルーベリー、林檎、桃。安物でも味は均一で、見栄えもいい。
「これ、町で売れると思うか」
誠二が聞くと、ラナは食べる手を止めた。信じられないものを見るような目を向けてくる。
「売れないと思っているのか」
「相場を知らないから聞いたんだ」
「貴族か大商人なら高く買う。少なくとも、あたしが知っている果実煮より甘くて、香りが強い」
「瓶に入れたら、どのくらい持つ」
「分からない。こんな物は見たことがない」
売れるかどうかという質問そのものが野暮だったらしい。
ラナの反応を見る限り、商品価値は高い。ただし、食品は出所を誤魔化すのが難しい。大量に売れば、どこで作った、果物はどこから仕入れた、砂糖はどれだけ使ったと探られる。
少量を希少品として流す方がいいだろう。誠二はジャムの項目もノートへ追加することにした。
朝食を終えた後も、外の寒さは緩まなかった。
本来なら昨日の続きで整地を進め、もう一度プレハブ小屋の生成へ挑戦したいところだった。しかし、能力の消耗はまだ完全に抜けていない。
無理をすれば、また半日倒れる。昨日はラナがいたから助かった。だが、毎回介抱してもらえるとは限らない。大型獣が近付いた時に気絶していれば、そのまま食われる可能性もある。
慎重になりすぎるのは嫌いだが、同じ失敗を繰り返すのは慎重さ以前の問題だった。
「今日は外仕事を減らす」
誠二が言うと、ラナは少し意外そうな顔をした。
「昨日倒れたからか」
「それもある。寒いから、今日は話を聞く」
「何の話だ」
「国と土地だ」
待合室の机にノートを広げる。
ラナから聞く限り、ミコの森は巨大だった。北から南へ長く伸び、複数の国と地域に接している。だが、森の奥深くまで国境線が正確に引かれているわけではない。
「つまり、この場所がどこの国なのかは分からないのか」
「分からないというより、誰も気にしていない。人が住んでいないからな」
「地図はないのか」
「大まかな物ならある。だが、森の中まで測った地図なんて、軍か王家でも持っているかどうかだ」
「この辺りに町も村もないなら、土地の持ち主もいない」
「そうなる」
誠二は腕を組んだ。誰の物でもない土地。聞こえはいい。
だが、誰の物でもないということは、最初に住んだ者の物になるとは限らない。国や貴族が後から現れ、ここは昔から自分たちの領土だったと言い張ることもできる。
武力を持つ者が権利を主張すれば、それが事実になる。駅舎を作り、水道を引き、畑を開き、建物を増やした後で、税だの領主権だのを理由に接収されては堪らない。
「森の両側に国があると言っていたな」
「ああ。西側にローデン王国、南東にベルニア公国がある」
「仲はいいのか」
「良くはない。だが、今すぐ戦争をしているわけでもない」
「どちらかがこの森を自分の土地だと言い出すことはあるか」
ラナは少し考えた。
「街道や鉱山が見つかればあるかもしれない。何もなければ、わざわざ兵を送るような場所じゃない」
「今は価値がないから放置されているだけか」
「そういうことだ」
誠二は小さく息を吐いた。拠点を広げすぎれば目立つ。人を増やせば道ができる。煙が増える。木が切られ、畑ができ、物資が動く。やがて誰かの耳に入る。その時、国がどう反応するかは分からない。
税についても聞いた。土地税、通行税、市場税、商売の許可料、ギルドへの納付金。国や町によって制度は違うが、取れるところから取るという点では元の世界と大差がない。農民は収穫の半分近くを領主へ納める地域もあるらしい。戦時や不作の年には、さらに臨時徴収が加わる。
「六公四民より悪いかもしれんな」
「何だ、それは」
「昔の税の話だ。六割持っていかれて、残り四割で暮らす」
「普通じゃないか」
ラナが不思議そうに言った。
「普通なのか」
「土地も水も領主の物だ。兵が魔獣や盗賊から守る。その分を払う」
「守られなかったら」
「運が悪い」
誠二は鼻で笑った。やはり、今のところ国へ属する利点は薄い。戸籍も身分証もない以上、街へ出れば何らかの登録は必要になるだろう。だが、拠点そのものを国へ知らせる必要はない。
商売をして金を稼ぐ構想はある。しかし、今すぐ金が必要なわけではなかった。
食料は出せる。水も出せる。燃料も薬も衣服もある。税を払うために商売を始め、商売を続けるためにさらに税を払うなど馬鹿らしい。
必要なのは、街でしか手に入らない情報と人間くらいだ。住居は自分で増やせる。もっと能力を鍛えれば、風呂も倉庫も作れる。
あとは女か。
そこまで考えて、誠二は向かいに座るラナを見た。ラナはノートに並ぶ日本語を眺めながら、紅茶を飲んでいる。
会ってから数日。風呂へ入れ、服を着せ、飯を食わせ、寝床も用意した。能力の秘密まで見せた。だが、まだ手は出していない。
元々、女であることもラナを残した理由の一つだった。本人にも否定しなかった。 寒くなると人肌が恋しいというのは、年齢を問わず変わらない。特に、異世界の森で一か月以上一人だった。女を見れば考えることくらいある。
ただし、考えることと、すぐに行動することは別だった。無理に迫れば、ラナは抵抗する。今の身体能力を見る限り、押さえ込める保証はない。仮に力でどうにかできたとしても、その後の情報収集と労働力を失う。
利益に合わない。その一方で、環境を整える必要はある。
昨日のラナは体を洗ったが、湯を浴びただけだ。自分もまともな風呂には一か月入っていない。簡易シャワーで汚れは落としているが、肩まで湯に浸かるのとは違う。 冷え込みが強くなるなら、風呂は娯楽ではなく暖房設備の一部にもなる。
「ラナ。今日は近場で薪を集めてこい」
「話は終わりか」
「一旦な。細い枝だけじゃなく、腕くらいの太さの物も欲しい。倒れて乾いている木を選べ」
昔キャンプで使っていた手斧を生成し、ラナへ渡す。小型だが、刃は十分に鋭い。ラナは柄を握り、何度か軽く振って重心を確認した。
「これも良い道具だな」
「手まで切るなよ」
「子供じゃない」
ラナは不満そうに言い、厚手の上着と手袋を身に着けると外へ出た。その背中を見送り、駅舎の裏へ回った。
手斧を出した時、別の記憶が蘇っていた。
数年前、友人夫婦に誘われて一度だけ行ったキャンプだ。友人が張っていた大きなツールーム型のテント。寝室部分と居間部分が分かれており、両手近い人数の大人でも余裕がある大型の物だった。
所有していたのは友人だ。だが、設営を手伝った。ポールを持ち、幕を引っ張り、内部にも入った。片付ける時にも触れている。これまでの条件なら、生成できる可能性がある。
所有していなくても、触れた経験があれば出せる。ホームセンターの商品や駅舎がその証拠だ。細かな条件はまだ分からないが、試す価値はあった。
誠二は駅舎と東屋の間にある空き地へ立ち、テントの形を思い浮かべた。濃い色の幕。複数のポール。正面の大きな入り口。寝室と前室。雨除け用の張り出し。
大型とはいえ、建物ほど重くはない。
能力を使う。
体から少し熱が抜ける感覚とともに、地面の上へ畳まれたテント一式が現れた。
「出るのか」
自分でやっておきながら、誠二は少し感心した。一度触っただけの物でも、記憶が残っていれば生成できる。駅舎ほど鮮明な記憶ではない。だが、構造が単純で、触った箇所が多かったことが影響しているのかもしれない。
ラナが戻るまでに組み立てておくつもりだったが、大型テントは一人で張るには面倒だった。説明書など覚えていない。ポールを広げ、似た長さごとに分け、幕の穴へ通す。途中で向きを間違え、二度ほどやり直した。三十分ほど格闘したところで、背後から足音が聞こえた。
振り返ると、ラナが枝を抱えたまま立って怪訝そうな顔でテントを見ている。
「何をしている」
「見れば分かるだろ。テントを張ってる」
「さっきまでなかった」
「出したからな」
「昨日、無茶をするなと言っただろう」
「これは大した負担じゃない」
ラナは納得していないようだったが、枝を薪置き場へ運んだ後、結局設営を手伝った。構造を理解すると、ラナの方が飲み込みは早かった。誠二がポールを持ち上げ、ラナが幕を引き、地面へ杭を打つ。一時間も掛からず、大型のツールームテントが形になった。
「これも寝床か」
内部を覗きながら、ラナが聞く。
「半分正解だ」
「半分?」
「これから中に作る」
誠二はテントの床へブルーシートを敷いた。その上へ、コンクリートブロックを一つ生成する。灰色の直方体が現れると、ラナが眉を寄せた。
二つ目。三つ目。次々と生成し、床の上へ並べていく。ブロック一個ごとの負担は小さい。数を増やせば疲労は溜まるが、建物を一気に出すより遥かに軽い。
正方形に近い形で外周を作り、二段、三段と積み重ねていく。隙間にはモルタルを使いたいところだが、完全な施工をするつもりはない。内側へ厚手の防水シートを敷けば、湯を溜めるだけなら何とかなる。
「何を作っている」
ラナが何度目かの質問をした。
「風呂だ」
「昨日、体を洗った場所とは違うのか」
「あれは湯を浴びるだけだ。これは中に湯を溜めて入る」
「湯の中に入る?」
「肩まで浸かる」
ラナは意味が分からないという顔をした。この世界にも浴槽文化があるのかは知らない。川や桶で体を洗う文化はあるようだが、大量の湯へ全身を沈めるとなると、燃料や水を大量に使う。庶民には難しい可能性が高かった。
ブロックを箱型に積みながら、排水について考える。毎回、桶で湯を汲み出すのは面倒だ。最下段の一か所だけ、下部へ半円形の穴が空いたブロックを意識して生成する。既製品として触った記憶はないが、コンクリートブロックそのものは何度も触れている。形状を少し変えるだけなら可能か試してみた。
出現したブロックには、不格好ではあるが狙った位置に穴が空いていた。
「加工した形でも出せるのか」
誠二は小さく呟いた。
完全に新しい物を作ったわけではない。既知の物の一部を欠けさせただけだ。それでも、能力の応用としては大きい。穴へ短いホースを通し、外へ排水できるようにする。使用中は布かゴム栓を詰めればいい。ホームセンターで買ったことのあるゴム栓を生成すれば、さらに確実だろう。
見た目は酷い。ブロックを積んだだけの四角い箱。内側へ防水シートを敷き、縁を板で押さえる。浴槽というより、工事現場の水槽に近い。
だが、湯は溜まるはずだ。
「本当に、これに入るのか」
ラナが疑わしそうに聞く。
「入る。嫌なら入らなくてもいい」
「嫌とは言っていない」
「なら薪をもっと集めろ。湯を沸かすには大量に要る」
ラナが薪を集めに戻ると、誠二は浴槽の仕上げに取り掛かった。
コンクリートブロックを並べただけでは、当然ながら隙間から湯が漏れる。内側へ防水シートを敷くだけでも使えなくはないだろうが、湯を張るたびにシートがずれたり、角へ負荷が集中して破れたりする可能性がある。せっかく作るなら、もう少しましな形にしたかった。
誠二はホームセンターで何度も買ったことのあるコーキング材と、押し出し用のガンを生成した。風俗店の補修でも使ったことがある。水回りの隙間、壁紙の剥がれ、窓枠の雨漏り。業者を呼ぶほどでもない故障は、自分たちで直していた。
ブロックの継ぎ目へ白い充填材を押し込み、指とヘラで均していく。縦の隙間を埋め、横の隙間も塞ぐ。角は特に厚めに塗る。見た目は決して美しくないが、水が漏れなければいい。
「面倒だな」
一人で呟く。
これが大人数で入る共同浴場ほどの大きさなら、気が遠くなる作業だっただろう。幸い、そこまで大きくはない。もっとも、元の世界の一般家庭にある浴槽と比べれば、十分に巨大だった。大人が二人入っても余裕があり、詰めれば三人は入れる。家庭風呂というより、小さな宿の貸切風呂に近い。
誠二一人で使うだけなら無駄な大きさだ。だが、今後人が増える可能性を考えれば、最初から多少余裕を持たせておく方がいい。小さすぎる設備を作り直す方が面倒だった。
コーキングを進めながら、湯をどうやって浴槽へ運ぶか考える。最初はボイラーを作るつもりだった。水を加熱し、ポンプで浴槽へ送る。仕組みとしては単純に思える。だが、ちょうどいい大きさと性能のポンプに触れた記憶がなかった。
電動の灯油ポンプなら何度も使っている。実家でポリタンクから石油ストーブへ灯油を移す時に使っていた。生成もできるだろう。しかし、灯油ポンプは少量の燃料を移すための物だ。浴槽一杯分の湯となると、百リットルでは済まない。あの細い管で移していたら、日が暮れる。熱湯を通して壊れない保証もなかった。
「無理に仕組みを増やす必要もないか」
現状、太陽光で温めている大型の蓄熱タンクがある。昼間の日差しで水を温め、簡易シャワーへ流している物だ。湯量は多くないが、時間を掛ければ浴槽へ溜めることはできる。温度が足りなければ、別に沸かした熱湯を足せばいい。構造が単純な方が故障もしにくい。
誠二は一度テントを出て、蓄熱タンクに取り付けた温度計を確認した。針は期待していた位置まで上がっていない。朝から冷え込んでいるせいだろう。日差しはあるが、空気が冷たすぎる。風も強く、タンクの表面から熱が逃げている。使える温度になるまで、まだかなり掛かりそうだった。
「まあ、ちょうどいいか」
どのみち、コーキングが乾かなければ湯は張れない。焦って水を入れ、隙間から漏れれば最初からやり直しになる。今すぐに完成させる必要はない。風呂は逃げない。
コーキングを終えると、次はテント内部を整えた。入り口近くへ小型の石油ストーブを置く。ただし、入浴中に使うなら換気が必要だ。密閉した空間で燃やし続ければ、暖まる前に死ぬ可能性がある。排気口を開け、入り口も完全には閉じないようにする。
壁際には小さな棚を置いた。タオル、石鹸、シャンプー、リンス。替えの衣服を入れる籠。髪をまとめるためのゴムや、安い櫛も並べる。元の世界ならホテルや銭湯に普通に置かれている物だが、ラナにとってはどれも珍品になる。
足元には木製のすのこを敷いた。濡れた地面へ直接足をつけずに済み、水も下へ流れる。浴槽の周囲にも敷けば、多少は見栄えがよくなった。即席で作ったにしては悪くない。
テントはツールーム型で、風呂として使っているのは広い方の区画だけだった。幕で仕切られたもう一室が空いている。
「ここはヤリ部屋にしてもいいな」
誰もいないため、遠慮なく口にする。風呂に入り、体を洗い、暖まったところで隣へ移る。動線としては悪くない。ベッドを置き、照明を落とし、暖房を入れれば、それらしい部屋にはなる。
元風俗店員としては、設備の配置まで自然に頭へ浮かんだ。
だが、すぐに考え直す。風呂の隣は湿気る。テントの布地は結露するだろう。外気がさらに冷えれば、石油ストーブを止めた途端に室温が下がる。せっかく風呂で温まった後に、湿った寒い寝床へ移るのでは意味がない。
「今は保留だな」
どうせ作るなら、もう少しまともな建物の中がいい。欲望を満たすための設備で風邪を引くなど馬鹿らしい。何事にも順序がある。
作業を終えた頃、昼を知らせるように腹が鳴った。ラナも薪を抱えて何度か往復しており、そろそろ空腹のはずだ。誠二は作業を切り上げ、駅舎へ戻った。
今日の昼は肉にする。肉とはいっても、立派な塊を焼くわけではない。元の世界で何度も食べた、チェーン店の牛丼屋の牛丼だった。
丼へ白飯を盛り、甘辛く煮た薄切り肉と玉ねぎを載せる。紅しょうがは好みが分かれるため、別の小皿へ置いた。味噌汁と生卵も出せるが、ラナにはまだ生卵を食わせない方がいい。食文化によっては、腐った物と思われる可能性がある。
ラナは駅舎へ戻ってくると、肉の匂いにすぐ反応した。
「今日は随分いい匂いがするな」
「肉だ」
「見れば分かる」
手を洗わせ、ベンチへ座らせる。
ラナは丼を前にすると、まず白飯と肉を別々に眺めた。唐揚げ弁当で米には慣れ始めている。今回は迷わずスプーンを使い、肉と飯を一緒にすくった。
一口食べる。その後の反応は分かりやすかった。甘辛い汁を吸った米と、脂のある牛肉。玉ねぎの甘味。塩と砂糖と醤油の濃い味は、肉体労働の後には特に強い。
ラナは何も言わず、次々と口へ運んでいく。向かい側に座り、その様子を眺めていた。
汚れは落ちた。髪にも艶が戻りつつある。食事を十分に与えているため、初日に見た時より頬の色もいい。現代の服を着せたことで体格も分かりやすくなった。
あと必要なのは、まともな風呂だ。湯へ浸かり、髪と体を洗い、清潔な服へ着替える。そうすれば、さらに見栄えは良くなる。
ラナが牛丼を頬張っている最中、誠二は何でもないことのように口を開いた。
「さっき俺が作っていたのは、お前を綺麗にして、抱きたくなるようにするための設備だ」
ラナの手が止まった。頬を膨らませたまま、ゆっくりと顔を上げる。
何を言われたのか理解できなかったような困惑。理解した後の怒り。それに、多少の羞恥も混ざっていた。 すぐには言葉が出てこないらしい。誠二は平然と牛丼を食べ続けた。
「風呂のことだ。汗と泥を落とす。臭いも消える。髪も綺麗になる」
説明を足せば足すほど、ラナの顔が険しくなる。
「それを、あたしを抱くために作ったと言ったのか」
「それだけじゃない。俺も入りたい。寒さ対策にもなる。清潔にしておけば病気も減る」
「なら、最初からそう言え」
「嘘は言ってない」
ラナはスプーンを置いた。
怒鳴るかと思ったが、怒りをどこへ向けるべきか迷っているようだった。風呂そのものは必要で、入りたくないわけでもない。誠二の言葉が露骨すぎるだけだ。
「最初から、そういうつもりであたしを残したのか」
「理由の一つだとは、前にも言っただろ」
「本当に最低だな、あんた」
「知ってる」
否定はしなかった。ここで善人のふりをしても意味がない。欲がないと言えば嘘になる。ラナもそれを信じないだろう。ただし、欲があるからといって、何をしてもいいとは考えていない。
無理に手を出せば取引が壊れる。ラナが逃げる。最悪の場合、寝ている間に斧で頭を割られる。それでは割に合わない。
「勘違いするな。風呂に入ったら抱かせろと取引条件へ加えた覚えはない」
ラナは疑うように誠二を見た。
「では、何でそんなことを言った」
「俺が何を考えているか分からないまま警戒されるより、ある程度は言っておいた方が楽だからだ」
「ある程度どころか、十分すぎる」
「そうか」
ラナはしばらく睨んでいたが、やがて再びスプーンを持った。牛丼はまだ半分ほど残っている。怒って食事をやめるほどではないらしい。
誠二はその様子を見て、内心で少し笑った。美味い飯の前では、怒りも長続きしない。少なくとも、今のラナにとってはそうだった。
「風呂は使うのか」
誠二が聞くと、ラナは肉を噛みながら答えた。
「使う」
「俺が作った理由は気にしないのか」
「気にはする。だが、寒いのは嫌だ」
「正直でいい」
「ただし、覗いたら殺す」
「手斧を渡したのは失敗だったかもしれんな」
ラナは答えず、牛丼の残りを口へ運んだ。
怒っている。警戒もしている。それでも風呂は使い、飯も食う。
欲望と利益は、必ずしもどちらか一つを選ぶ必要はない。ラナが清潔になれば自分の目にも嬉しい。衛生状態が改善すれば病気も減る。風呂を目当てにこの場所へ残る理由も増える。
結果としてすべて自分の得になる。窓の外では冷たい風が森を揺らしている。雪が降るまで、早ければ二十日。それまでに暖房を増やし、風呂を完成させ、住居も何とかする必要がある。
国に属する気はない。税を払う気もない。誰かの命令で働くつもりもない。必要な物は自分で出す。足りない労働力は、飯と快適さで囲い込む。
そして女についても、焦らず、自分から離れにくくしていけばいい。
誠二は牛丼を食べ終え、空になった丼を置いた。風呂が完成すれば、この拠点はまた一つ、外よりも快適になる。
鉄格子はない。鍵も掛けていない。それでもラナは明日もここで目を覚まし、温かい物を食べ、薪を集めるだろう。
檻は、確実に形になり始めていた。




