その性剣は、とある少年の手の中に
「やるぞ、フーマ! 」
視界の隅に、相棒の後ろ姿が見える。名を呼ばれた俺は、反射的に答えた。
「あぁ! いつでも来い、ガイ! 」
草葉を踏み締め、そよ風が頬を優しく撫でる。
眼前に広がるのは、見晴らしのいい草原。空も、これ以上ないほどの快晴だ。
ここに訪れた理由が、魔獣退治の時点で、この光景も無用の長物ではあるが。
俺は、右手の白銀の剣を、人差し指と中指、そして親指の3点を使い、矢をつがえる様に構えた。
左手は剣尖に当たるギリギリの位置で添える。
"構え"は出来た。あとは──。
「……今だ! 」
ガイが叫んだ瞬間、彼の体が横へ倒れたかと思うと、地に落ちた朝露のように消えた。
技の名は『華の法・九願•岩清水』
風景に自らの体を溶け込ませ、消えたと錯覚させる魔術。何百年とかけ、騎士が研鑽してきた技。
ガイが消えたことで、彼が抑えていた魔獣のシルエットが、明瞭に浮かび上がった。
薄い桃色の体毛から飛び出た四つの短足。顔から突き出すように伸びた鼻。
特徴だけ列挙すれば、奴は豚そのものだ。
しかし、3メートルを超えるその体躯と、頭頂部から生えた巨大な一本角が、奴が魔獣と化したことを示している。
「グルッ?!」
魔獣は、消えたガイの身体を探すように首を振ったが、新たな敵意に気付いたのか、首を据え、俺を睨んだ。
「プギイイィィ!!」
4本の足によって力強く打ち出された巨体が、俺を殺そうと迫る。血に飢えた眼光が、俺を射抜いた、その時。
「……行けッ!」
叫び、俺は愛剣から手を離した。剣は重力に逆らい、疾風の如く放たれる。添えた左手で作った魔力の渦によって、更に加速。
『華の法・三四願•流鏑馬』
絶大な威力と引き換えに、自らの武器を手放す正気とは思えない技だ。
だが俺には──いや、俺とこの剣には、そのデメリットを踏み倒せる秘密がある。
「ギィイイ!!」
魔獣の発した咆哮は、結果として断末魔となった。
一陣の風となって空を駆けた剣が、雷撃じみた炸裂音を散らしながら、豚の口に命中したからだ。
剣は勢いをそのままに体内へ。豚は魔獣の証たる青色の血を大量に吐き出し、大きく転倒した。
「……やったか?」
呟き、俺は草葉を踏み、痙攣する豚の体に駆け寄った。
腰を落とし、魔獣の角に触れると、角は塵となって俺の手の中に収まった。
豚の痙攣が止まり、吐き出された青い血の中に、新たに噴出した赤い血が混ざる。
血が赤くなった今、死亡確認は完了だ。あとやるべきなのは……
──腹の中に入った、剣の回収。
こんな形で力を使うことになるとは。塵を腰のポーチにしまい、俺は小さく呟いた。
「……剣よ、来い」
その言葉を皮切りに、死体が再度痙攣し始めた。先程とは違い、揺れは段々と大きくなっていく。
次の瞬間、俺の剣が生々しい音を響かせながら死体の腹を突き破り、血肉と共に飛び出した。
剣は宙で一回転した後、引き抜いてくれと言わんばかりに、柄をこちらに向けて地面に刺さる。
我ながら悍ましい。なのに、何故だか出産という言葉が脳裏によぎってしまう。
この剣が"生まれた"経緯を考慮すれば、表現は適切なのかもしれないが──
「やったな、フーマ!」
グロテスクな光景に目を奪われていた俺の肩に、いつのまにか姿を現したガイが飛びついてきた。
が、微動だにしない俺の表情を見て、ため息混じりに呟く。
「……まだ慣れないのか?もう三年も使ってんだろ、それ」
「三年しかだ。それに、上手く使えば使うほど気持ち悪いだろ」
「そんなもんかね……ま、そういう所も、お前の良いとこだもんな。死亡確認はしただろ?早く帰ろうぜ」
「……あぁ」
頷き、剣を地面から引き抜き、血振りをしてから腰の鞘に落とす。
何度この動作をしてきただろう。
何度この剣に嫌悪を抱いただろう。
チンッという小さな金属音が、俺の脳を刺激したか、あるいは単に疲れたからか。
自分でも気づかぬ間に、俺は、数年前の記憶を辿っていた。
この呪われた剣が生まれ、俺が騎士を"もう一度目指した"あの日の記憶、その情景を。
***
横殴りの雨が降りしきる、夜の森の中を歩く。
今よりもずっと目線が低く、幼かった当時の俺は、雨に濡れた前髪の隙間から、傘を差した親父の背中を覗いていた。
180はある骨の浮かんだその巨体は、背中を丸め、傘を片手に雨の中をのそのそと歩いていく。
親父は、木々の合間の道なき道を立ち止まることなく進みつづけた。俺は、必死になって親父の後を追う。
数分後。親父は森の奥の、開けた場所で立ち止まった。
「手をだせ」
命令じみた口調。奴は、骨ばった手のひらから、一つの小さな指輪を俺の両手に落とした。
「これは、ただの指輪ではない。とてつもない価値の、魔道具だ」
俺の手の器の中に、雨粒が溜まる。指輪は、それ自体に意志があるかのように水面に浮かび上がってきた。
「使い方は簡単だ。指輪をはめ、自分が大切だと思うものに手をかざす……」
「大切な……もの?」
親父の発言に、俺は質問を問いかけてしまった。この場合、大抵は罵声か拳が飛んでくる。しかし、
この時に限って親父は、俺に何かをすることなく、ただ一歩後ろへ後退りした。
「私に使うなよ。触れようとした瞬間、お前の腕を折るからな」
親父のその反応からして、指輪が碌でもない効果を持っているのは明白だった。
元より魔道具というのは、人間が使えないレベルの魔法を、犠牲を出してでも使おうという曰くつきの代物なのだ。
「それをしたら……どうなるんですか」
俺の質問に、親父はもう一歩後退りしながら答えた。
「手をかざしたものが……剣になる。どんな名工にも作れない、最強の剣にな……」
「剣に……なる……?」
言葉の意味を理解した上で、困惑した。
そんなものを俺に与えて、親父は何をするつもりなのか。
しかし、今度は質問する必要はなかった。
親父が、"恐るべき使い方"を、俺に押し付けたからだ。
「あと数分でガイがここに来る。"奴に使え"」
「は……?」
突如として挙げられた友人の名。
親父の言葉を理解した瞬間。親父の姿は人の形から外れ、角の生えた悪魔のように見えた。
「やれ。フーマ」
親父が、虚空に向かって指を刺す。
「フーマ」
感情のない、無機質な声音が、豪雨が作り出す重低音、森や木々のざわめきすらも掻き消し、俺の世界を蝕んでいく。
視界が滲み始めたその瞬間。
世界が──飽和した。




