帰ってきた勇者
――光が、消えた。
まぶたをゆっくり開けると、そこには…見慣れた景色があった。
切れかけの、安い蛍光灯。
ところどころに魚の血の跡が飛んでいる、白いクロス。
ポケットのところがほつれた、シンプルなパーカー。
紐のほどけているスニーカーと、クソ汚れたクロックス。
煮つけ用の調味料の黄金比が書かれたメモ帳が貼ってある、小ぶりな冷蔵庫。
ものの少なさで清潔感をアピールしている、シンプルなキッチン。
そして…、かすかに、しかし確かに鼻をくすぐる…、研いでいた包丁の鉄の匂い。
「…帰って、きた……」
紛れもない、自分の部屋。
見慣れた光景が目の前に広がっているのに、胸の奥がざわついている。
「夢じゃ……、なかった、よな……」
異世界での出来事が、鮮明に蘇る。
王様。
賢者。
兵士たち。
そして…魔剣。
思い出しただけで、悠真の胃が、ずーんと重苦しくなり…シクシクと痛み出した。
あの、キンキラキンの暴力的な存在感。
あの、宝石まみれの剣身。
あの、無駄にジャラつくチェーン。
あの、精神を削る気持ち悪い文様。
あの、あの、あの、あの……!!!
「……いやいや、もう忘れよう。あれは……終わった出来事なんだ!! うん、過去、過去の!!」
自分に言い聞かせるように、呟く。
異世界は異世界。
ここは現実。
もう関係ない、ないったらない!
「とりあえず……落ち着こう。余計なことを考えないで…思い出さずに、ごくありふれた日常を取り戻さねば!!」
水を飲んで落ち着くか、それともとっておきの桃缶を開けて…、いや、熱いシャワーですべてを洗い流した方が…それともカラオケでオールナイト…ゲーセンでコインゲーム、生配信…。
あらゆるパターンを思い描いてみるも、イマイチしっくりこない。
「……そうだ! 包丁! 」
異世界であれほど願った、包丁研ぎ。
無心になって研げば…きっと落ち着くに違いない。
そもそも、悠真はいつも…包丁を研いで心を落ち着かせてきた。
こっぴどくフラれた日、包丁を研いで…涙を引っ込めた。
一人だけ資格試験に落ちて凹んだ日、包丁を研いだあと…新しい問題集を買いに行った。
苦手科目のレポートが書けない時、包丁を研いで集中力を高めることで…実力以上の高評価を得た。
……現実に戻った証として、まずは包丁を手に取ろう。
幸い、誕生日にツレからもらった菜切り包丁がある。
まだ一度も研いだことがないから、みっちりじっくり研ぐことができよう。
いつものようにキッチリ研いで、満足感を胸に風呂に入って、ゆっくり暖まって…いい夢を見よう。
冷静の欠片を少しだけ掴むことができた悠真は、包丁をしまっているシンク下の扉に手を伸ばした。
扉を開ければ…、そこには自分の相棒が――
「……ん?」
棚の奥が、妙に明るい。
「……え?」
シンク下には、照明など備え付けてはいない。
なのに…、光っている。
もしかして懐中電灯でも入れていたか?
いやしかし、こんなにも派手な色合い…金色なんかに……。
嫌な予感が、背筋を駆け上がる。
さっきまでの落ち着きと余裕が秒で吹き飛んだ悠真は、大慌てでシンク下の扉を閉めた。
バンッ!!
「ま、まさか……いや、そんなはず…は…」
震える手で、シンク下の扉を…もう一度、そっと開
パァァァァッ!
金色の光が爆発した。
部屋全体が照らされ、蛍光灯の光がかき消される。
風が吹き荒れ、カーテンが揺れ、机の上の真っ黒いノートパソコンが白飛びした。
「うわあああっ!?」
とてつもない威圧感に吹き飛ばされた悠真は、豪快に尻もちをついて転がった。
もしここが二階だったら絶対に苦情が来ただろうなと思いつつ、身を起こし…手をかざしながら、発光するシンク下に目を向ける。
すると…、眩い光に混じって、巨大な影がせり上がってきた。何事だと思ったその瞬間、やけに聞き覚えのある音が部屋の中に響き渡った。
ジャラララララララ……!
こ の お と は ・ ・ ・ ! ! !
「…う、嘘…、だ、ろ……?!」
光が収まったとき、そこにあったのは――
暴力的な金色の塊。
じゃらじゃらチェーン。
宝石だらけの剣身。
蠢く気持ち悪い文様。
一度目にしただけで精神をゴリ削り、生命まで脅かす…呪物!!!
魔剣…、匠!!!
異世界で見た、あの悪夢のような剣が、悠真のワンルームの半分を占拠していた。
「なんでだよお!?」
悠真は頭を抱えた。
六畳の部屋に、全長二メートル超の剣。
しかも幅広、厚みもハンパない。
宝石がゴロゴロついているせいで、存在感が異常に強い。
本人の気分次第で重くなったり軽くなったりするキモさ。
いかがわしいデザインでエグイ動きをする文様……。
「いやいやいや、無理無理無理! なんで来てんの!? 俺、もう勇者じゃないよね!? 不適合者って言われたよね!? なんで追いかけてくるのさ!? ストーカーかよっ!? 武器のくせに!?」
魔剣・匠は、何も答えない。
ただ、そこにあるだけ。
だが、その存在感は“答えている”と言ってもいい。
――お前の武器は、俺だ。
――逃がさない。
――契約したのだから。
そんな圧をヒシヒシと感じる。
はっきり言って、悠真はタジタジだった。
「やめてくれよ…俺、ただの大学生なんだよ……? この世界救うとか絶対に無理だし、こんなの持って歩いたら…通報される!!……ていうか、そもそもこの狭い部屋に置いとけないじゃん!」
悠真は泣きそうになりながら、匠を見つめ、訴えた。
「……頼むから……帰ってくれよ…、な…?」
もちろん、匠は帰らない。
名を与えた瞬間から、悠真専用の武器《匠》は、彼だけのものになったのだ。
魔剣・匠は、悠真の魂に結びついてしまった。
異世界から元の世界に帰ったとて、その契約は消えない。魂の片割れが、何の縁もない世界に置き去りにされるなんてあっていいはずがないのである!
「……どうすんだよ、これ!!」
部屋の半分以上を占拠する剣。
生活スペースは著しく侵害されている。
ベッドに座ることすら難しく、冷蔵庫も半分しか開けられない。
包丁を研ぐどころか、料理もできない。
西日の眩しいこの部屋で、魔剣の照り返しは網膜を激しく焼くだろう。
機嫌を損ねれば、床に穴が開く事必至。
日課の筋トレもできなくなるし、おそらくドンドン身体がたるんで膨張するに違いない。
「俺の生活、マジ終わった……はぁ……」
深いため息が漏れる。
悠真は床に座り込み、天井を見上げた。
魔剣・匠は…、静かに、けれどド派手に輝いている。
まるで、これから始まる新しい物語を予感させるように。
「……いや、始まらなくていいからね?! おかしなナレーションは……やめてくれ!!!マジでヤバイんだぞ?! めちゃめちゃマズいことになってる!! と、とにかく…事態の収拾を、ええと、ええとー?! だ、誰か助けて!!心底プリーズうううウウウウウウウウウ!!!!」
悠真の泣きごとが、狭いワンルームに虚しく響いた。
………魔剣・匠は、今日もギラギラと光っている。
魔剣を手にした悠真には、世界の平和を守る事は…できない。
けれど、せめて…、生活だけは、守りたい……。
小さな願いを胸に、悠真は今日も黄金に輝く魔剣を避けよけ…ため息をつく。
勇者でもなんでもない、ただの大学生と魔剣の同居生活は、始まったばかり。
――――――この物語が、どう続いていくのか……、乞うご期待♡
「ッ?! 今!!! 恐ろしいことをつぶやいたのは!!! どこのどいつ、どのキンキラキンの…魔剣だあああああああああああアアアアアアア!!!!」




