【08-4】狂騒
時は流れ、私は2月のライブを無事に乗り越えた。澪さんは自分の1曲以外は裏方として様々な役回りをこなしてくれていた。
瑠璃子さんにその是非を問われたチアリーダーの衣装については彼女が風紀の問題を、私が寒さという物理的な問題を訴えかけたことで仕様が変わった。
これまでの衣装はそのまま使い、その上からお揃いのジャージを羽織った。それもただのジャージではなく、袖にリボンを編み込む特別なものだった。
私に限っては黒地に黒でリボンの存在はそれが持つわずかな艶とひらひらと揺れ動く様子でしか確認できなかったが、それで十分だった。
3月、全体の目標は再び白紙になってしまった。
2年生になったら、また新しい曲を出そうということになっている。『綺羅星』が作られていたころから話に挙がっていた、私が太鼓を演奏しながら歌う案も当然残っていた。
10月の合宿で得た気づきは、半年近く経つ今でもまだ果たせていなかった。せっかく勇気が出たものの言う時期を完全に見失ってしまったのだ。
何も言わなければ、澪さんは私が2年目のアイドル活動で太鼓の演奏をやらなくて済むように奔走してくれるだろう。
もう、その必要はない。
というのは、まだ言い過ぎだろうか。
ただ、向き合えるものなら向き合いたい。
私は澪さんをドリームテイルに引き込んだ時と同じ喫茶店に呼び出した。日が傾きかけ、店内の客もほとんどいない。
「文音ちゃん、太鼓の案は私が全力で阻止するから安心して文学少女やっちゃって!」
「澪さん……。もう、心配には及びません」
「えっ?」
「全てを、お話します」
「えっ、今?今!?」
出されたお冷をこぼしそうになっている澪さんへ、私は小学生の頃和太鼓部に入った理由から順番に話した。
中学生の頃冷やかされ学校に行くことすら難しくなったこと、そのせいで澪さんが探しても私が中学校で見つけられなかったことへの謝罪もした。
今全てを打ち明けるに至った合宿での出来事を包み隠さずすべてを話した。
「そんなことが……。起きていたなんて……。それなのにどうして!?なんで、そんな……?」
「ここで向き合わなければ、私はずっと逃げ続けることでしょう。もう、そうはしたくないんです」
私はずっと、自分のすることで誰かに認めてほしいとは考えてこなかった。褒められるような身分ではないことを、自分が十分すぎるほど分かっていた。
次の言葉を口にすることは非常に躊躇われた。
「心の底では澪さんも見たかったのではないですか。私がアイドルの舞台で、きらびやかな衣装を纏ったまま太鼓を演奏するところを……」
「で、でも……!文音ちゃんがそれでちょっとでも苦しむことになるなら嫌だ!私は、文音ちゃんに心から笑顔でいてほしいだけ……」
澪さんはとうとう涙を流し始めた。私は続けた。激しい感情のままに、震える手で澪さんの手を取ってしまう。そして、強く握った。
「澪さん、今はただ、私を見ていてください……」
後日、以前私がゆめみさんたちに和太鼓部であることが露呈してしまった場所を2人で訪れていた。
全員が集まれた時にしか使われない広々とした練習室に、あの時衝動のままに打ち鳴らしてしまった太鼓を運ぶ。小さいものでよかった。ここで澪さんに手伝ってもらっては少し様にならない。
その間、澪さんは少し離れたところに正座で座っている。少し居心地が悪そうだ。
「まさか文音ちゃんが太鼓を叩くところをまた見られるなんて……。すごい複雑だけど」
「ええ、今はまだそれだけの気持ちでいてください。今の私は、きっとあなたの記憶とは違う演奏をするでしょう。観客から見て、今の私が演奏する太鼓はどう聞こえるのか確かめてほしいのです」
「うん、なんだか難しそう……」
「とにかく、今の私の演奏を聴いた正直な感想を聞かせてください」
信頼している相手とはいえ、見られている。その事実で、バチを握る手が強張る。大きめに息をつき、1音だけ思い切り打ち鳴らした。想像していたより大きな音が出てしまったが構わない。
あれはもう過去のこと、澪さんがどんな感想を言うかは未知数だが少なくとも冷やかされることはない。そう何度自分に言い聞かせても頭は理解してくれない。
忌み嫌っていたあの頃を振り払うように、思考回路が焼き切れそうになりながら太鼓を叩き続けた。以前と変わらない鈍い音が轟く。
澪さんの前で演奏したのは小学生の頃によく演奏していた曲だったが、中学生の頃の記憶が楽しかった頃の記憶を覆い隠していく。
「っ……!」
気づくと、私は澪さんに抱き留められていた。床には握っていたはずのバチが転がっている。
「はぁ、間に合った……。びっくりしたよもう……。演奏中ふらっと倒れそうになるなんて危なっかしいんだから。どうしてそこまでして辛いことと向き合おうとするの……?」
「それは……。分かりません。アイドルというものは、どんな理屈でも推し量れない力を持っているのでしょう。それより感想を、聞かせてもらえませんか」
「普通この状況で聞く……?そうだなぁ……。すごく辛そうで、見ているこっちも苦しくなった。でも、なぜかかっこよくて。顔を背けたいのに、こっち見ろって頭を固定されちゃうような……」
私を抱えたまま、澪さんはいつもの3枚目な姿を取り払ってそう伝えてくれた。
「って、言っても全然意味分からないよね、あはは……。私も分かってないもん」
やはり、人前で演奏できるほどまでにはなれていなかった。変に思い上がり、澪さんにも不安な思いをさせてしまった。
すると、澪さんは私が落としたバチを拾い、返さず……。太鼓に向き合った。
「文音ちゃん、私にも太鼓できるかな。好きなくせに触ったことないんだ。多分私、文音ちゃんが和太鼓部に入るきっかけの授業の日、風邪引いててさ……」
皮肉な笑みを浮かべながら、澪さんはバチの構え方を模索している。
「あの頃はまだ大きな音が苦手で、休めてラッキー!って思ったけど……。私より先に、太鼓を叩く文音ちゃんの破壊力に気づく子がいなくてよかった」
どんっ、どんっ、どんどんどんっ。
あの人が生まれて初めて打つ太鼓は、笑ってしまうほど単純なリズムだった。そして、太鼓の音に交じって澪さんは口ずさみ始めた。
――言いたいことがあるんだよ やっぱり文音は可愛いよ
――好き好き大好きやっぱ好き やっと見つけたお姫さま
澪さんがそんな言葉を言っているような気がした。空耳だろうか。
――私が生まれてきた理由 それは文音に出会うため
――私と一緒に人生歩もう 世界で1番愛してる
愛、してる……?
幻聴だ、何かの間違いに決まっている。誰かが世界の摂理を根本から書き換えでもしない限り澪さんが私を愛しているだなんてありえない。
ありえない。澪さんが私を好きだなんて、3秒後に世界が滅ぶ確率のほうがまだ信じられる。嗚咽が漏れそうなほど涙が込み上げてきた。
「すごい、ガチ恋口上も太鼓の音に合わせた瞬間応援団みたいでちょっとかっこいいかも」
「ガチ恋っ、口上……とは?」
「オタク恒例のコールのひとつみたいなやつだよ。曲の終盤に長い間奏があると皆で言うの」
なんだ、決まった掛け声なら私は泣いてぬか喜びしただけだったのか。
「……だけど、それをここで出したのはね、私が本気だから」
「私、文音ちゃんのこと世界で1番好き。この世のどのアイドルよりも大好きだし、どんな同担にも負けないくらい好き」
澪さんが何か言っているのは分かるが、思考が全くまとまらない。同じ言語を話しているはずなのに、言葉として入ってこない。ただ頭の中を流れていく。
「えっとね、自分のターゲットになりえる子はたくさんいるけど君が1番だーってこと……。それと、恋のライバルが大勢いる中で自分が1番だーってことなんだけど……」
「あの、私も太鼓の音で伝えたいことが……」
私は澪さんに近づき、バチを返してもらった。太鼓に向き直り、静かに息をつく。
そして、今出せる全力で太鼓を連打した。それにかき消されないように、人生で1番と言っていいほど大きな声で叫んだ。
「澪さん、澪さんっ……!ずっと、あなたが好きでしたっ……!自由奔放でまっすぐで、無責任で幼くて、そんな可愛らしくて頼もしい所がずっと……ずっと!」
澪さんは耳を塞ぎそうになりながら目を丸くしていた。
そんなあの人の顔を見ていると、私の心から熱が一気に引いていく。数秒前の行為に激しい後悔の念が湧いてきた。
なぜ、なぜ今言ってしまったのか!
想い人への告白を、和太鼓を乱れ打ちしながらするだなんて、どんな恋愛小説にも恐らく出てこない。そんな小説は滑稽すぎて読んでいられない。
「やはりこんな風に相思相愛であることが分かるなんて……嫌です……。やり直させてください……」
「やり直すことないよ。だって、これで文音ちゃんの太鼓は、辛いものから大好きって気持ちを伝えるものに変わったし!何より、太鼓叩きながら告白なんて可愛すぎるからいいの!」
澪さんは、比喩抜きで私の全てを受け止めてくれる人だった。




