再現
一歩。
また一歩と、前へ進んでいく男。
迫りくる、濃密な死の可能性。
それを前にしてもなお、鬼山さんは退く気配を見せない。
まだ、戦おうとしている。
「……もうまともに魔術も使えないというのに、戦う気か?」
「ああ。 このまま素直に殺されてやるつもりなど、微塵もないからな」
この絶望的な状況においても、いつものように振る舞おうとする鬼山さん。
そんな鬼山さんを見ていると、つい淡い希望を抱いてしまう。
もしかすると、鬼山さんはまだ魔術が使えるのかもしれないと――。
「……気が変わった。 お前は後で、殺すことにしてやる」
でも、その淡い希望は、いとも簡単に打ち砕かされる。
抵抗する為に突き出された鬼山さんの拳は掴み取られ。
身動きが取れなくなった鬼山さんの腹部に、男の前蹴りが直撃した。
「ぐッ――――――」
鬼山さんは背中を丸め、口から真っ赤な血を吐き出す。
「鬼山さん!」
男の攻撃は終わらない。
苦痛に悶える鬼山さんの背中に向かって振り下ろされる、男の拳。
上からの衝撃を受け、鬼山さんはそのまま倒れ伏す。
「先に殺すのは――――女、お前だ」
男がその手に取り出したのは……釘だった。
千円札の横幅よりも長い、銀色の釘。
男はそれを、地に横たわる鬼山さんの掌に突き刺した。
「――ッ――!!」
両手を地に縫い付けるよう、突き刺される釘。
激痛に耐えようと歯を食いしばる鬼山さん。
「お前はここで、この女が殺されるのを見ていろ」
この女。 それが誰なのか、わからないわけがなかった。
男は確かにわたしの目の前で言っていた。
冗談抜きの殺害予告。
明確に告げられた、わたしへの殺意。
「………………」
動けない。
動かなきゃいけないのに、体が動こうとしてくれない。
今までも、殺されそうになったことはあった。
もう死んでしまうかもしれないと思ったようなことだって、何度もあった。
でも、今回は……。
あまりにも、現実的すぎた。
抵抗する力は残っていない。
鬼山さんもわたしも、もう戦えない。
しかし、わたしたちの命を脅かす存在は、まだ戦う力を有している。
この、いつ殺されてもおかしくない状況。
もし男が、抵抗できなくなったわたしたちを即座に殺していたのなら、ここまでの絶望感を味わうことはなかった。
けれど、男は言った。
ゆっくりと、少しずつ、その命を削り取ってやると。
そう遠くない未来に殺すと宣言されているのに、その死はすぐに訪れない。
こうして与えられた時間は希望と言えるのかもしれないけれど……。
その一分一秒は、決して癒やしにはならない。
何故なら、今時間が与えられるということは、死に怯え、苦しむ時間が増えることと同義なのだから。
これではまるで死刑囚だ。
死刑執行日を当日の朝まで伝えられず。
いつ訪れるかわからない執行日に怯えながら日々を過ごす囚人たち。
引き伸ばされた時間は、わたしたちの抱く絶望感をより深く強めていく――。
「女。 一つ、話をしてやろう」
と言って男は、動けずに膝をついてしゃがみ込んでいたわたしの腹部を軽く蹴った。
「うぐッ――!」
それだけでわたしは吹っ飛ばされ、仰向けになって倒れ込む。
衝撃を受けてから数秒遅れで腹部を襲う痛み。
その苦痛に耐えきれず、瞳から涙が流れ出る。
「お前はもう知っているだろうが、俺は、お前たちの仲間の魔術師を殺した」
しゃがみ込み、わたしの苦しむ顔を見ながら愉しそうに話す男。
「三人の魔術師を、殺した。 ……そう言いたいところだが、正確には違う」
男が懐から取り出したのは……ナイフだった。 肉体強化魔術により、素手でも人を叩き殺せるこの男には、必要のない道具。
「あれは……金髪で、小柄な女だった。 そいつは、俺が直接殺したわけじゃない。 死に追い込んだのは間違いなく俺だが、そいつは自ら命を絶った」
男はそれを、わたしに突き立てた。
肌に触れる、冷たい感触。
「どうしてその女が自ら死を選んだのか。 ……お前には、わかるか?」
ナイフの切っ先でわたしの体を撫でながら、男は言葉を続ける。
「……このナイフで少しずつ生きる希望を削ぎ落としてやったのだよ。 それから俺は、選択肢を与えた。 他者により、苦痛を与えられながら死んでいくか、自らの手で死ぬか」
押し当てられたナイフに、僅かながら力が加わる。
冷たく尖った金属がわたしの皮膚を裂いていき、焼けるような鋭い痛みが刻まれていく。
「うっ…………ぐ――!!」
「どうだ? 自らの肉体が切り裂かれる感触は。 痛いだろう? 苦しいだろう? 自殺をしたその女は、それこそ体中に今お前につけたような傷を刻み込まれた。 そして、その苦痛に耐えかねて、自ら命を絶ったのだ」
わたしはもう、わかってしまった。
この男は、再現がしたいんだ……。
蝶野さんに自殺をさせたように、わたしにも自殺をさせようとしている。
その為に、男はわたしに少しずつ苦痛を与えているんだ。
「……この、外道ッ……!!」
「……何を言うのかと思えば、そんなことか。 いくらでも言うがいい。 クズだ、外道だ、畜生だと罵ったところで、お前はこの苦痛から逃れることなど……」
と言いかけて、何かを察したのか、男はゆっくりと後ろを振り返った。
男の視線の先。 そこには――
「……っ……!?」
両手からダラダラと血を流しながらも、強い怒りに染まったその顔を男に向けた、鬼山さんの姿があった。
「……そこから、離れろ……!」
「……どうやら、脚をへし折っておくべきだったようだな」
鬼山さんは、立っていた。
脚をふらつかせることもなく、しっかりと。
手に突き刺さっていた釘を力づくで引き抜いたのだろう。 その掌は真っ赤に染まっており、月光に照らされ気味悪く輝いていた。
「鬼山さん……!!」
思わずわたしはその名を叫んだ。
疑問や不安、焦燥感のこもった声音で。 強く、叫んだ。
「………………」
一瞬。 鬼山さんは、わたしの方を見た。
まるで、安心しろとでも言いたげな顔をしていた。 ……ように見えた。
「そんなに死にたいのなら、女より先に殺してやってもいいが……。 何故、そこまで死に急ぐ? お前は今、立っているのがやっとの状態だろう。 どう考えても、この女を救える状態ではない。 立ち上がったところで、この女は助からない」
「……そうかもしれないな」
「死を前にして冷静でいられるわけがないだろうが、それでもお前の取った行動は愚かだ。 何より、つまらない。 お前が今、立ち上がることで、誰も得することはない」
「……誰も得しない、か。 本当にそう、言い切れるのか?」
何か、ある。
鬼山さんの表情を見て、わたしは確信した。
戦う力の残っていない鬼山さんが、今、立ち上がった理由。
それは、単にわたしを助ける為というだけではないだろう。
ただ、抵抗の意思を表したというわけでもない。
鬼山さんは以前、「どんな絶望的な状況だろうと、生きることを諦めるだなんて真似をするな」と言っていた。
だからこそ、こう考えることができる。
鬼山さんは神頼みとか、運任せとか、そういうことはしない。
いつだって、現実的。 その時々で一番良い結果の出せる現実的な選択肢を選ぶ人。
「……強がりもそこまでだ、男。 蛮勇を振るう己に酔うことができるのも、今だけだ。 苦痛を前に、人はすぐ崩壊する……」
「蛮勇だと? 俺は死ぬつもりなどない。 この行為も、自殺行為というわけではない。 一言で言えば、時間稼ぎだ。 蕭条がこれ以上傷つけられるのを見て、冷静でいられる自信もないからな」
「何…………?」
男は眉間に皺を寄せる。
流石にここまで言われると、男も周囲に対する警戒を強めないわけにはいかないのだろう。
それがハッタリであったとしても。
「……お前が何を企んでいるのかは知らないが……」
と言って男は、再度ナイフを握りしめ、
「要するに、お前はこの女が殺されるのを見たくないだけなのだろう?」
それを、勢い良く振り下ろした。
人体にナイフが突き刺されば、どうなるか。
急所以外であっても、ただでは済まない。 刺されても平気な場所など、存在しないと思っていい。
人間の皮膚は、金属製の刃物を弾くほど頑丈ではない。
肉も、血管も、同様に柔い。 簡単に、切断される。
結果、血が流れ出る。 血は、生命活動を維持するのに必要不可欠。
ましてや、魔術の行使によりエネルギーの消耗したこの状態で、失血したら。
――死。 待っているのは、苦痛の伴った死だ。
「……っ……!」
目を瞑る。
一秒後には、ナイフはわたしの肉を切り裂いて、鮮血を辺りに撒き散らすだろう。
「………………?」
しかし、その時は訪れない。
デジャヴを感じる。 蟻塚美門操る魔物たちとの戦いを、思い出す。
そういえば、あの時は鬼山さんが助けてくれて……。
目を開ける。
わたしをナイフで突き刺そうとしていた男の腕は、誰かの手に掴まれていた。
「……誰だ」
男は驚愕を目に表しながらも、自身の腕を掴むその手を振り解こうとする。 が、びくともしない。
「くっ――!」
一体誰が、男の腕を掴んでいるのか。
それは、鬼山さんではなかった。
「……俺はお前のような人間を、許す訳にはいかない……」
人見啓人。
第二世界からやってきた魔人であり、わたしたちの協力者。
そうか……。 鬼山さんは、人見君がすぐ近くまで来ていることを、探知魔術で知って……。
これではまるで、蟻塚美門との戦いの再現のよう。
あの時も、わたしたちは人見君に助けられ、戦いは終わった。
「……もしや、お前がネアレスの言っていた、厄介なヤツというわけか――!」
でも――。
今回も同じように、終わってくれるのだろうか?
生命の危機から脱したという安心感の中に、一抹の不安が入り混じる。
「…………えっ!?」
そしてわたしは、見つけてしまう。
少し離れたところからこちらを伺う、五木紗羽の姿を……。




