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(三)

 釣りに行った翌日から、雅に対する暁光の態度が変わった。


 暁光から差し出された包みを雅は見詰めていた。受け取らないわけにもいかない、と雅が包みを受け取れば、中を見ろ、と急かされる。仕方なく広げると、焦げ茶色の饅頭が姿を現した。



「……これは?」


「饅頭だ」


「はい、饅頭です」



 雅が頷けば、饅頭は好きか、と訊かれ、はい、と言えば暁光は満足そうに頷き、雅の前から去っていった。



(なぜ私に……?)



 首を傾げてみたものの、口に含んだ饅頭から感じた餡子の甘さに胸に沸いた疑問なんてほろほろと崩れていった。


 だが、それは翌日も続いた。


 その日、暁光が持ってきたのは綺麗な桃色の花だった。朝から一番遠くの村に出掛けていたかと思えば、昼過ぎに返ってきた彼の手に握られていたものだ。それを渡された雅は、やはり首を傾げた。



「これは?」


「花だ」


「はい、花です」



 雅が頷けば、花は好きか、と訊かれ、はい、と言えば暁光は満足そうに頷き、雅の前から去っていった。


 何かの気紛れだろうか。そう思っていた。不思議に思いながらも、花を貰って悪い気はしない。その日は嬉しく思いながら志乃に花瓶を貸してもらい、部屋に飾った。


 だが、それはその翌日も続いた。


 早朝から散歩に行っていたらしい暁光は帰って来るなり、褥で眠っていた雅の隣に座っていたらしい。人の気配で目を覚ました雅は悲鳴を飲み込み、褥の隣で胡坐をかいている暁光に尋ねると、そう答えが返ってきた。唇に紅も引いていない状態で、普通ならば悲鳴を上げるべきなのだろうが、相手は一応自分の夫だ。寸前のところで悲鳴を飲み込むと、雅は困惑したまま彼を見上げた。



「……え、と」



 差し出されているのは、貝殻だった。大きな、白い、綺麗な貝殻。それほど大きくて綺麗な貝殻は初めて見た。目覚めたばかりで混乱していると、暁光に右手を取られ、その上に貝殻を乗せられる。



「貝殻だ」


「はい、貝殻です、が……」



 貝殻からは濃い潮の匂いがする。素直に綺麗だと思った。だが、それ以前に不思議だった。だから問いかけたのだ。



「なぜ、わたくしに?」


「……」



 暁光はなぜ訊かれるのか分からない、といった風に眉を寄せた。ほんのわずかな変化だったが、雅には彼の表情の変化が分かるようになっていた。彼は単調だった声音を少しだけ低くする。



「……いらんのか」


「いえ、有難く頂きます」



 雅が急いで笑顔を繕うと暁光は眉間の皺を消して、頷いた。そのまま部屋を出て行く彼の姿を茫然と見送り、雅は掌の中の貝殻を見下ろす。



(なぜ、私に?)



 一度なら、分かる。二度目も、許容範囲だ。だが、三度目となると、雅はもう首を傾ぐしかいない。


 雅は昨日貰った花が入れてある花瓶の隣に、貝殻を置いた。それから仕度を済ませると、部屋を出る。分からないことは、自分よりも暁光と付き合いの長い人物に訊くのが一番だ。


 そう思いながら縁側を歩いていると、庭に智重の姿を見付けた。箒を持っている彼は、掃き掃除をしている。その背に、雅は声をかけた。



「あの、智重」


「ああ、雅様。何でしょう」



 振り返った智重は直ぐに笑顔を浮かべた。雅は近付いてきた彼を見ながら問いかける。



「なぜ、暁光さまはわたくしに色々な物をくださるのでしょう?」



 この数日暁光に貰った物の話をすると、智重は考えることすらなくその理由が分かったようだった。ただ、小さく笑い声を立てるとそれを抑えることなく、彼は声に笑いを滲ませたまま言った。



「犬は……」



 彼の口から出た、犬、の単語に雅は首を傾げる。智重はそんな雅の反応を楽しむように続けた。



「犬は、飼い主の許へ自分の気に入った物を運んでいくという話を聞いたことはありますか?」


「えっと……」



 確かに、瀬和の城で飼っていた犬は何かと物を運んできてくれた。誰かの筆だったり地面に落ちている棒だったり様々だったが、その時の犬は尻尾を勢いよく振っていたことを覚えている。その様子を思い出しながら、雅は戸惑いつつも首を縦に振った。



「聞いたことはありますが……それと暁光さまの行動がどう繋がるのでしょうか?」


「つまり、そういうことです」



 どういうことだろう。


 分からず首を傾げれば、智重は楽しそうに笑みを深めた。



「犬は飼い主を慕うので、自分の好きな物を贈りたくなるのです」


「犬、ですか……」


「つまり、雅様は暁光に気に入られたのでしょう」


「……」



 智重に言われても雅は思い当たる節がなく、ただ首を傾げた。



「わたくし、何も致していませんが」


「本物の好意というのは自覚なく起こるものですよ、雅様」



 諭すように告げた智重は掃除に戻っていく。その背を見詰めていた雅は数日前に自分の中に生まれた疑問を思い出した。思ったまま、言葉が唇に乗る。



「あの、智重は……」


「はい」


「……智重は、暁光さまとどのようにして出会ったのですか?」



 箒を動かしていた智重の手が止まった。その彼の顔は雅の位置からは見えない。流れ始めた沈黙に、訊いてはいけないことを訊いたのか、と雅は不安に思った。だが彼は暁光と他の者の出会いは話してくれた。それならば、なぜ二人の出会いを訊いていけないのだろう。


 彼の返答を待つ雅の心は浮足立ち、流れる空気に居心地が悪くなる。質問を撤回しようかと、そんなことを思い始めた頃、智重が雅を見た。その顔にはいつもの穏やかな微笑が浮かんでいる。



「おや、気になりますか」


「……気になります」



 こくり、と雅が頷けば智重は小さく笑う。そしてきっぱりと告げた。



「秘密です」


「え」


「秘密です」


「……」



 なぜ、と問う間もなく、智重は続ける。



「聞いたら、きっと雅様は卒倒されますよ」


「どういうことですか……」


「だから、秘密です」



 声はやわらかだったが、それ以上訊くことを許さない空気が智重から放たれている。その空気に圧倒されて口を噤んでいると、智重が近くの柱に箒を立て掛けて、雅に近付いてきた。思わず身構えてしまったのは、なぜだろうか。


 智重は雅の目前に立つと、安堵のような吐息を落とした。



「それよりも雅様が暁光に興味を持ってくれたようで、私は嬉しいです」



 その台詞をかけられて、雅の呼吸が止まった。



(何で)



 心臓の音が、一際大きくなる。



(何で、暁光さまの過去なんて知ろうと思ったんだろう……?)



 考えても分からず、雅は眉間をきゅうっと絞る。それから真っ直ぐに見詰めてくる智重の目を見られなくなり、雅は足元で視線を泳がせた。


 戸惑い、困惑し、雅は胸の前で右手を握り締めた。



(そうだ)



 知る必要なんて、ないのだ。だって、雅はここに、彼を、殺すためにやって来た。それを忘れてはいけないのに。そう思えば思うほど、胸が締め付けられていく。思わず目を細めた時、背後に人の立つ気配がした。



「何をしている?」


「暁光」



 背後から聞こえた声に続いた智重の声で雅は振り返った。そこには雅と智重を交互に見る暁光の姿がある。暁光は雅の様子を見ると、首を傾げた。



「どうした。どこか痛いのか」


「いえ、そういうわけでは……」


「大丈夫だよ、暁光」



 言葉を濁らす雅に助け舟を出すように智重が言えば、暁光は訝しげな瞳を彼に向けた。



「何をしていた」


「ちょっと雅様とお話をね」



 それでも怪訝な目を解くことなく、暁光は雅の顔を覗き込もうとする。雅がそれから逃げるように数歩後ろへ下がれば、さらにその表情を濃くしていた。



「暁光、」



 その彼へ、智重が声をかける。



「ちょっと、道場で手合せしない?」



 暁光はその誘いに考えるように深い呼吸を一度した。吐息を全て落とした頃になって、彼はゆっくりと首を縦に振った。


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