(十)
鳥の囀りが、聞こえた。
雅はゆっくりと瞼を持ち上げた。障子越しに目映い光を感じる。その眩しさに目を細めた雅は左手に誰かの温もりを感じた。自分よりも遥かに温かいその体温。
虚ろの意識で、雅はゆっくりとそちらに顔を向けた。
「雅殿?」
そこにあったのは、暁と同じ色をした瞳。その彼の瞳が不安に揺れているのを見ながら、雅は記憶を辿る。
「ここは……?」
「……――良かった」
雅の声に答えず、そう言葉を零したのは暁光だった。彼は雅の手を強く握り締めると、確かめるように空いている左手で彼女の頬に触れる。
「生きているな」
「……はい」
答える雅の声は掠れている。それに気付いた暁光が水差しを手に取ると、雅の身体を起こしてくれた。彼の手を借りて水で喉を潤しながら、雅は自分の身体に痛みがないことを知る。
雅は確かに智重に血を与えたはずだ。途中で意識を失った彼女にはどこまで彼に身体を喰われたのか分からないが、痛みはどこにもない。そっと右手で自分の首筋に触れてみた。だがそこにも痛みはなかった。
目を彷徨わせた雅はこの部屋が暁光の屋敷にある自分の部屋であると気付いた。雅は暁光と目を合わせると問うた。
「私はどれくらい眠っていましたか?」
「三日だ」
「三日……」
暁光が水差しを置く、その姿を眺めながら雅は彼の横顔に尋ねる。
「智重は?」
「……」
「暁光さま?」
「……どうして、貴女はそう無茶をする」
ため息はなかった。
振り返った彼の瞳と目が合う。その瞳から言いたいことがたくさんあることが伝わってきた。その中に怒りまでも見えて、雅は思わず俯いてしまう。
確かに無茶なことをした、と冷静に戻った頭で雅も思った。だがあの時、あれ以外の方法はきっとなかった。そうすることで彼の友を救えると知って、なぜ黙ってこの屋敷で待っていられるだろう。
雅は顔を上げる。その彼女の瞳を見た暁光は淡々と告げた。
「智重は貴女を襲っている途中で意識を取り戻した。暫くは動けなかったが、今は以前と変わらず過ごしている」
「それでは生きているのですね?」
「ああ」
「よかった……」
そう口にした途端、雅の顔に微笑が浮かぶ。
だが。
「良くない」
冷たい暁光の声に一蹴された。
その声に、言葉に、雅が目を見開く。
手首を掴まれたのは一瞬。強い力に腕を引かれ、気付いた時には額が彼の胸に当たっていた。
「……貴女が、死んだかと思った」
ぽつり、零された声は震えていた。
泣いているのかもしれない。
そう思って、彼の顔を見上げようとする。けれど背中に回された腕の力で、それは叶わなかった。
呼吸さえも阻むほどの力で抱き締められて、彼の胸に押し付けた耳から彼の鼓動が聞こえた。
「意識を取り戻した智重の傍で貴女を抱き上げた時、死人のように冷たかった……」
「……」
「呼びかけても、答えなかった……あんな思いはもう、したくない」
「暁光さま……」
彼の名を呼ぶと、抱き締める彼の腕の力が緩んだ。
彼の顔を見上げる。そこには痛みに耐えるように歪んだ顔をした彼がいた。その頬に手を伸ばした時、雅ははたと固まった。
――抱き上げた、と彼は言わなかっただろうか。
瞠目した雅の右手が彼の着物へかかる。驚く暁光に構わず、雅は彼の襟を開いた。その視線の先には、彼の左肩。
薄暗い部屋の中で雅は彼の左肩を注視した。そこに光る鱗を見付けて、雅は目を剥く。
「――逆鱗が、ある」
意識を失った雅は確かに血に塗れていただろう。それは強烈な痛みと遠ざかる意識の中で雅は気付いていた。それならば、そんな自分を抱き上げた暁光もまた、雅の血で塗れてもおかしくはない。
暁光は雅の手をそっと自分の着物から離させると、着物を整えながら告げた。
「どうやら龍神の血では俺の逆鱗は消せないらしい」
「……」
雅の目が泳ぐ。
彼も龍神の血が龍神の逆鱗を消し去ることを知っていたのだ。何とも言えない居心地の悪さに雅は俯いた。
そんな彼女を見て、暁光がふっと息をついた。
「生きていて良かった」
そう口にした彼の顔に微かに浮かぶ安堵と微笑に雅は微笑む。
「私は貴方を独りにはしません」
告げた雅に暁光の手が伸びる。彼の手が頬に触れ、その温かさに目を伏せた。その直後、額に落とされた感触に雅が慌てて目を開ける。その彼女の目に映ったのは、吐息のかかる近さにあった彼の紅い瞳。
「暁光さま?」
「……何だ」
「……」
彼が首を傾げる、その姿に雅は思わず笑みが零れる。
先日、彼は雅を愛しく思うと言ってくれた。その言葉を思い出す度に、胸に込み上げる想いがある。
自分の過ちを思って、それでもここに残りたいと思ったのは雅だった。雅も彼が愛しいと思う。おこがましくて、とても声にはできないけれど。
「暁光さま、」
言葉は溢れるように、唇から流れた。
「ずっと、貴方の傍に置いてください」
「……――ああ」
彼の手に引き寄せられる。
彼の香りを胸いっぱいに感じて、雅は目を閉じる。




