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(八)

 目前で止まった二頭の馬。その上に乗った雅の姿を見て、暁光は言葉を失った。


 なぜ彼女がここに来たのか、暁光は理解できずに戸惑う。


 その彼の前で、雅が自分の後ろにいる脩仁に目を向けた。



「脩仁さん」


「ああ!」



 告げた脩仁が馬上から降りた。


 脩仁が着た着物の袷から身体に巻いた包帯が見えている。まだ動くことすら難しいはずだ。それほどまでに傷は深かった。



(なぜ)



 彼がここにいる。


 なぜ、彼女がここにいる。


 そして。



「……景時」



 彼まで、なぜここに来たのだろう。いつも自分の後ろに佇み、暁光の行うことに口出すことなどなかった。ただ黙って従う、その姿は真に矢代に仕える白河の血を濃く引いていることを体現しているようだった。そうだというのに。


 景時は今、馬から降りようとする雅の手助けをしている。それは彼が自分の意思で彼女をここへ連れてきたと言うことだ。



「これはどういうことだ」



 暁光は目を細めた。怪訝に、叱責するように景時に問う。


 その暁光の姿に一瞬、景時の動きが止まった。だがそれも刹那。直ぐに雅を地面に下ろす。



「答えろ」



 景時、と呼びかけるよりも早く。


 暁光は視界の端で光るものを見た。


 反射的に剣を抜いた。そして振り下ろされるそれを受け止める。


 刀だった。


 振り下ろすは、脩仁。彼の瞳を刀身越しに見て、暁光は声を低くした。



「脩仁……」


「悪ぃな、暁光。やっぱ、俺はお前の家臣にはなりきれねぇらしい」



 何を考えているのだろう。


 彼も知っているはずだ。


 これから暁光が行うことを。ここで起こることを知っていて、なぜ刀を振るうのだろう。



「俺はお前を斬れない」


「おう。俺もだ」



 いつもの軽い口調で脩仁は笑う。


 その顔がどこか晴れやかに見えたのは、なぜか。



「脩仁……?」



 問いかけた暁光から、すっと脩仁が暁光の背後へと視線を滑らせた。暁光は圧し掛かるような脩仁の刀身を受けたまま、彼の視線の先へ目を走らせる。



「――智重」



 そこに智重の姿があった。


 身体の動きは緩慢。瞳は虚ろ。


 餓鬼と化した彼の姿を見留め、暁光は脩仁の刀を弾いた。そのまま智重の許へ走り出そうとしたが。



「待てよ!」



 声と同時に再び脩仁の刀が振り下ろされた。


 感じたのは、微かな殺意。


 本能的に再び刀を構え、暁光は彼の刀を受けた。



「っ……」



 痺れが、腕に走る。


 なぜ彼に引きとめられるのか。その疑問ばかりが暁光の中で増殖していく。



「脩仁、お前……」



 その時だった。



「……――」



 暁光の傍を通り過ぎた、影があった。


 鼻を掠めたのは、芍薬の香り。


 甘いその香りが誰のものか、考えるよりも先に戦慄した。



「雅殿、何を……!」



 黒い髪が消える、その先へ暁光は目を走らせる。そこにあったのは智重の許へと駆け出した雅の姿だった。


 その背を追おうとした――しかし。



「お前の相手は俺だ!」


「脩仁……ッ」



 行先を塞いだのは、脩仁。


 彼の背。その先に、雅の姿があった。


 迷わず走る、その背を見て暁光は悟る。



(まさか……っ)



 雅は龍神だ。


 龍神の血は、人の命を救う。


 そのために、彼女がここに来たのだとしたら――。


 だが、と暁光は思う。


 今の智重の意識は遥か遠く。逆鱗を避けて、彼女の血を口にする可能性は高くはない。襲われている最中、逆鱗を奪われたら最後。――雅は、死ぬ。


 暁光は目前で刀を構える脩仁に叫ぶ。



「退け!」


「断る!」



 脩仁の覚悟も強かった。


 そんな彼に殺意さえ沸いた。刀の柄を握る手に、汗が滲む。彼のどこを斬れば、死なずに済むか。そんな算段が頭を過った時。


 脩仁が、言った。



「これはあいつの決意だ」


「雅殿が死ぬぞ!」


「それでもテメェのくだらねえ決意よりもマシだ!」



 その台詞に暁光は声を失う。



(くだらない?)



 智重が望んだことだった。


 交わした約束。初めてできた友との約束を果たすことのどこが、くだらないと言うのか。


 脩仁は暁光の前に佇み、告げた。



「勝算がある、とあいつは言った。それを信じると俺は決めた!」


「っ……」


「俺は自分の意志がある奴は嫌いじゃない」



 そう言って、脩仁はにやりとニヒルに笑う。


 彼は退かないだろう。例え、自分がどれほど斬られても。足を失っても、暁光を通す気などない。



「雅殿!」



 暁光は声を放った。


 願った。


 彼女の足が止まることを。引き返してくることを。


 ――それなのに。


 雅の足は止まらない。


 振り向くことすらなかった。


 真っ直ぐに智重に向かっていく。


 彼女の背が、遠退いて行く。



「行くな、――雅!」



 暁光の視線の先。



「智重!」



 叫ぶと同時に、雅が智重に腕を伸ばしたのを、見た。


 その直後、


 彼の視界を染めたのは、赤。


 十二年前のあの日。


 母の晒された首が、記憶が、蘇る。



「雅――!」



 刀を捨て、駆け出す暁光の身体が後ろから押え付けられる。


 その腕が景時のものだと知り、暁光はもがく。


 その視線の先に、ただ、愛しい彼女を映して。

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