第二話 壊れ始める日常
「謝っているだろ?何故、そんなに不貞腐れるんだ?」
アレキサンドライトと婚約解消した後、スファレライトが付き合い始めたのは、子爵家の三女ガーネットだった。
少し甘えん坊な所が最初は可愛かったが、暫くすると、友人と出掛ける時も一緒に行きたがり、断ると泣き叫ぶようになった。
そして、悲劇のヒロインを気取っては、周りに同情してもらおうとスファレライトの悪口を吹聴する。
「スファレ様には、分からないのですわ。私が、どれだけ貴方を愛し、そして傷ついているのか!」
芝居の演目のように繰り返される彼女との言い争いを、観客のような傍観者が周りを取り囲んで見ている。
「そんなに言うなら、別れよう」
そう言うと、ピタリと泣きやみ、
「それでは、また」
と返事にもなっていない言葉を残して去っていく。
どれ程喚き嘆こうとも、彼女に、別れる気などないのだ。
「別れよう」と言えば、判をついたように毎回同じ反応で去っていく。
デジャブにも似た光景に、スファレライトは、頭が痛くなるのを感じた。
友人のシトリンに彼女への不満をもらしても、
「それだけ愛されて幸せ者だな」
と期待している言葉は返ってこない。
「自分の立場に置き換えてみろよ。常に見張られているようなものだぞ?」
「それの、どこがいけないんだ?お前が悪さをしなければ、何も不都合はないだろう?」
いくらガーネットの異常さを語っても、シリトンは首を傾げるばかりだ。
実は、グルなのか?と怪しんでしまうほど鈍い反応。
兎に角、ガーネットの求める愛情の量を、スファレライトは返す事ができない。
アレキサンドライトの時のような絶対服従とは違う怖さが、ガーネットにはあった。
それなのに、両親が、またやらかした。
なんと、ガーネットの両親に婚約の打診をしたのだ。
「なんで、そんな勝手なことをするんだよ!」
「だって、貴方が選んだ子でしょ?何の問題があるの?」
「結婚なんて、まだ考えていな…」
「結婚する気もないのに、付き合ったというの?ありえないわ」
母親の意見も、最もだ。
ガーネットと彼の仲は、学校で知らぬものが居ないほど広がっている。
彼女が、連日愛だの恋だの大騒ぎしたせいだ。
もしスファレライトと別れたら、傷物として新たな婚約を結ぶことは難しいだろう。
しかし、抑えきれない不満が口をつく。
「だからと言って、俺に一言もなしに決めるだなんて…」
そこまで言って、スファレライトは、ふと気づいた。
両親と視線が全く合っていないことに。
確かにこちらを向いているはずなのに、やや伏せがちの瞳は、彼の胸元を見ている。
そして、文章をなぞるように左右に何度も動いては、突如止まり彼の反応を待つ。
何か付いているのかと胸元をパンパンと叩いたが、特に何も付着しておらず、そして、両親も石のように動かないままだ。
まるでゼンマイ仕掛けの人形が壊れてしまったようにも見える。
周りに立つ使用人達も、誰一人言葉を発せず息をしているのかさえ疑わしい沈黙に、冷や汗が出た。
どこか、おかしい。
彼らは、本当に人間なのか?
そう思い出すと、何もかもが薄気味悪く感じられ、スファレライトは言葉を発しないまま部屋を出た。
追ってくることはなかったが、バクバクと鳴る心臓は、収まることがない。
叫びそうになる口を押さえ、彼は、ベッドに潜り込むとガタガタと震えて一晩過ごした。
次の朝、食卓に座る両親は、普通に見えた。
ちゃんとスファレライトの目を見ていたし、ガーネットの事も謝ってくれた。
ただ、一度出した申し入れを簡単に撤回することはできず、既に先方から受け入れの返事を貰っていた為、彼とガーネットの婚約は成立してしまっていた。
「今度こそ、貴方は幸せになれるはず」
何を根拠に言い切るのか分からないが、母親は、ニコニコとご機嫌で、父親も横で深く頷いていた。
逆らえば、又両親が壊れた人形のようになってしまうのではないかと怖くなったスファレライトは、結局、頷くことしかできなかった。
次の日、学校に行くと、シトリンが満面の笑みで、
「僕、結婚したんだ」
と報告してきた。
相手は、アレキサンドライトの妹エメラルドだと言う。
シトリンより四歳下の十三歳。
家を繋ぐ貴族同士の結婚では、珍しい年齢でもないが、スファレライトには若すぎるように思えた。
彼女は、アレキサンドライトと母を同じにする双子の一人。
大人しく、おっとりとしており、家庭的だとは思うが、華やかさは、片割れのルビーの方が上だろう。
男爵家の次男であるシトリンとすれば、公爵令嬢を妻に出来ることは誉れかもしれない。
だが、見た目も良く成績も優秀で、あちらこちらから声のかかる彼なら、娘しかいない貴族の元に婿入りすることも可能なはずだ。
「お前が望んだのか?」
「いや。彼女の姉が隣国の王太子妃になるから、側仕えをする為に、結婚をする必要があったんだ。出国までに時間がなくて、あちこち声をかけたらしい。そこで、僕が手を挙げたんだよ」
「その姉って…」
「あぁ、アレキサンドライト様だよ」
当たり前だと答えるシトリンに、スファレライトは、眉をひそめた。
「嘘だろ?アイツは、『残念令嬢』と呼ばれていた出来損ないで、王太子妃になるなんて無理だ」
「何言ってるんだよ。彼女が『残念令嬢』と呼ばれていたのは、あれほど優秀な彼女が、君の側に居ることで、火が消えたように輝かなくなったからさ」
「は?」
友と思っていた男は、いつもと変わらぬ微笑みを浮かべながら、思いも寄らない言葉を吐く。
「だってそうだろ?あれも駄目、これも駄目、勝てないと分かると全部禁止。君こそ本当の出来損ないさ。それに比べ彼女は、正に『高嶺の花』だね。あちらの国でも国民に愛され、婚約を祝って街中お祭り騒ぎらしいから」
シトリンの細めた目から、こちらを馬鹿にしている気配が伝わってくる。
その事に、スファレライトは、頭にカッと血が昇った。
「シトリン!お前のことを友と思っていたのに!」
目の前の男の胸ぐらを掴もうとしたが、スッと避けられ、逆に床に転がされる。
無様な姿を晒した彼を見て、シトリンは鼻で笑った。
「フッ、僕は、一度も君を友と思ったことはないよ」
そう言われ、スファレライトは、どうして彼を友と思っていたのか不思議に思った。
子供の頃から遊んでいたわけでもなければ、何か特筆すべき思い出もない。
記憶を遡ってみても、シトリンが、いつから存在したのか分からないのだ。
「お前…何者だ?」
「僕は、シトリン。それ以外の何者でもないよ」
スファレライトは、ズルズルと尻を床につけたまま後に下がった。
昨日から、ずっと抱いてきた違和感が目の前で具現化した気がした。
こうなってくると、周りの者も、全員が、おかし過ぎた。
恋だの愛だの、非現実的な事ばかりに夢中で、我が子の意思など無視し続けている両親。
どんなに理不尽な命令も、粛々と従っていた元婚約者。
舞台女優のように悲劇のヒロインを気取る恋人。
「スファレライト、君、気づいてる?
ずっと季節が変わっていないことに」
柔らかな日差しに暑すぎない気温。
雨が降った記憶は、随分とない。
十七歳になった日は、一体いつだったのか。
スファレライトは、熱くもないのに汗をかき、荒い息を抑えようと大きく深呼吸したが全く効果はない。
それどころか、視界がどんどん狭くなってく。
そして、意識を失う直前、最後に聞こえたのは、
「お疲れ」
シトリンの気持ちのこもらぬ労いの言葉だった。




